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トンネルを抜けると桃の畑が一面に広がる風景に幼い頃の夢が蘇ります。私は幼い頃から灰色空の下、寒中に咲く梅の花を見つけると暗闇に光を見つけたようで、胸の内に希望の光が灯るのです。梅の花は春告花とはよく名付けたものだと昔の人が生きていた生き方を感じる名前に感動します。そして桃の花が咲くと、胸の内は光満ちる喜びが生まれます。空間全体が桃色に染まる光景が好きでたまりませんでした。日本では桜の花が人生と共にある花と感じます。が、私は何故か桜の花を見ると悲しくてたまらず、桃の花が大好きでした。ある時、ふと高句麗の地には桜の花が咲くのでしょうかと疑問を抱きました。現地の方に尋ねた時、咲かないとのお答えでした。ここは桃の花が咲くとのお答えには魂震えました。やっぱりと深く合点がいったのです。魂は桃の花が咲く故郷を知っていました。桜の花はどこか馴染みがなく、よそよそしくなる感覚がありました。やっと幼い頃からの謎が解けました。そして高句麗の地では雪解けの音を「桃花水」と呼んでいることも知りました。桃の花が咲く頃に雪がとける音が聞こえるからと聞いています。素敵な表現に感動します。今日も一面の桃畑を見、懐かしさに胸一杯となりました。この桃畑は、父母が病に倒れ、入院していた時に見舞いに行く時に通った道です。トンネルを抜けると突然夢のような世界がひらかれ、いつも歓声をあげるのです。何度この桃畑を見、涙したことでしょう。生まれ育った地から離れた地に入院している父母を想い、涙したのでした。今思えば、生きていてくれたことだけでもうれしいのですが、その時は入院していることを憂いていました。悲しむ私の心に桃の花は夢を運んでくれました。そんなことを思い出す道中でしたが、幼い頃は3月の桃の節句には必ず桃の花を生け、お雛様に飾りました。家の庭にはたくさんの桃の花が咲きます。春は希望でした。いつか桃色の未来がくると感じ、未来に心馳せて生きていたのです。今、人間とし生きることを深めていけます人生を生きています。夢にも見ることのできなかった人生を生きています。心よりありがとうございます。