2006年9月は、ブルガリアにて「高句麗伝説」を開催する事になっています。無事にブルガリアに到着し、ソフィアから開催地であります、トルノボへと移動しました。ブルガリアのホテルは、とても苦しくなるホテルです。社会体制の苦しみを感じます。が、外に出ると草原が広がり、木々の緑豊かで、美しい花が咲き、とても爽やかな風が吹く美しい地です。ブルガリアでは、外へ行きたいと生命が欲します。トルノボのホテルは、私にとってとても苦しい部屋でした。私は、目に見えないものが見えたり、その地の歴史や人々の重荷を身に受ける体質ですので、身に受ける苦しみから、人々がどの様に生きているか、その地にどの様な歴史があったかを分かるのです。とても苦しい状態を何とかしたいと考えながら、過ごしていました。最初に市の担当の方の奥様が入院していた病院に連れていって頂きました。まだ、お会いした事がない御方でしたが、日本にいる時にコンサートの準備の為にメールのやりとりをしている時に、奥様が乳癌で手術をされるという事を知りました。すぐにお見舞いのメッセージをお送りし、私は生命の無事を祈り心模様作品を創ったのです。それをお贈りしましたら、とても喜んで下さり、奥様は「心が健やかで、安らいだ」とおっしゃっていたとお聞き致しました。そして、奥様は無事に退院されたのです。入院していた病院の院長先生が興味を持ち、お会いする事になったのです。院長先生は女性の方でした。最初は訝しげな表情をし、あまり興味を示されませんでした。次第に表情が変わり、目がキラキラと輝いてこられたのです。そして、おっしゃった事が、私がつけている心模様のネクタイが、キラキラキラキラ光って、見ているだけで心が安らいで、元気になったとおっしゃったのです。「この心模様作品を、病院の病室に飾りたい」とおっしゃったのです。私に「作って下さいますか」と依頼されたのです。私は、信じられない気持ちでありながら、とても嬉しく、喜びお引き受けさせて戴きました。寄贈させて戴く事をお伝え致しましたら、大変喜んで下さいました。また「手術室に、いだきしんサウンドを寄贈します」という事もお伝え致しました。もちろん、いだきしん先生の音楽つきであります。きっと手術をされる方は心が安らぎ、いだきしん先生の生命の音にふれ、ご回復が早くなると感じ、とても嬉しく感じました。とても素晴らしい出会いがあり、とても良い時を過ごし、嬉しい気持ちで病院を引き上げました。そして、次は市の担当者のお知り合いの方の御家にお招き頂き、ランチをご馳走になりました。素晴らしい花々が咲くお庭で、最初お食事を頂きました。ご自分で作っていらっしゃる野菜やお肉、お魚、チーズ、色とりどりの美しいお料理が並びます。一人一人サービスして下さいますので、断る事は出来ず、私は、ここは頑張って頂こうと決め、いつもより沢山頑張って頂いたのです。私は、あまり量を食べられない体質です。少し食べれば十分なのですが、この時は次から次へと「いかがですか」とお料理を運んで頂き、断る事が出来ず、少しずつ頂きましたが、沢山の種類がありましたので、私にするとかなり頑張って頂いたのでした。とても美味しいお料理で、美しい庭で過ごすひと時は、豊かで素敵なひと時でした。次は家の中で用意して下さっていたメインディシユを頂きました。至れり尽せりで、とっても美味しい手料理を断る事は出来ませんでした。
心からの感謝の気持ちをもってお暇をし、リハーサル会場に向かったのです。リハーサルをしていた時に、後ろから何か巨大なコンクリートを投げ込まれた様な衝撃を受けました。私にはドカーンという凄い音まで聞こえてきたのです。私は、その衝撃を受け、一気に具合が悪くなってしまったのです。振り向くと何とレバノンのスタッフが到着したのです。戦禍の中をくぐり抜けて、ブルガリアまで来てくれたのです。レバノンの方々の悲しみ、苦しみ、辛さ、重荷を背負ってきたのだと感じました。それは、ドカーンと身に受けた重荷から分かりました。どれだけ辛い思いでレバノンの方々が生きているかを体で思い知りました。沢山の方々が犠牲になっていったのです。その悲しみは、私などには想像も出来ない悲しみであるという事が受けた苦しみ、重荷から身に沁み分かりました。
ブルガリアでの「高句麗伝説」コンサートは、演出はガジ教授であり、音響も照明もレバノンチームに依頼していました。ところが、イスラエル軍の攻撃を受け、準備する事は命懸けであったと聞いていました。機材やパンフレット類を運び込む時は、イスラエル軍のレーダーをくぐり抜ける様にし、深夜運び込み、シリアに持ち込んで、シリアから運んだと聞いています。皆、シリアからブルガリアに来てくれたのです。胸の内は涙で一杯でした。私は、お一人お一人に日本で創った、お守りの様にし描いた心模様作品をお渡し致しました。皆様大変喜んで下さいました。私は、この時から体の具合が悪いまま、良くなる事がなく、寝込んでしまったのです。翌日も具合が悪くて起きれませんでした。