世界伝説 第63弾

2006年9月は、ブルガリアにて「高句麗伝説」を開催する事になっています。無事にブルガリアに到着し、ソフィアから開催地であります、トルノボへと移動しました。ブルガリアのホテルは、とても苦しくなるホテルです。社会体制の苦しみを感じます。が、外に出ると草原が広がり、木々の緑豊かで、美しい花が咲き、とても爽やかな風が吹く美しい地です。ブルガリアでは、外へ行きたいと生命が欲します。トルノボのホテルは、私にとってとても苦しい部屋でした。私は、目に見えないものが見えたり、その地の歴史や人々の重荷を身に受ける体質ですので、身に受ける苦しみから、人々がどの様に生きているか、その地にどの様な歴史があったかを分かるのです。とても苦しい状態を何とかしたいと考えながら、過ごしていました。最初に市の担当の方の奥様が入院していた病院に連れていって頂きました。まだ、お会いした事がない御方でしたが、日本にいる時にコンサートの準備の為にメールのやりとりをしている時に、奥様が乳癌で手術をされるという事を知りました。すぐにお見舞いのメッセージをお送りし、私は生命の無事を祈り心模様作品を創ったのです。それをお贈りしましたら、とても喜んで下さり、奥様は「心が健やかで、安らいだ」とおっしゃっていたとお聞き致しました。そして、奥様は無事に退院されたのです。入院していた病院の院長先生が興味を持ち、お会いする事になったのです。院長先生は女性の方でした。最初は訝しげな表情をし、あまり興味を示されませんでした。次第に表情が変わり、目がキラキラと輝いてこられたのです。そして、おっしゃった事が、私がつけている心模様のネクタイが、キラキラキラキラ光って、見ているだけで心が安らいで、元気になったとおっしゃったのです。「この心模様作品を、病院の病室に飾りたい」とおっしゃったのです。私に「作って下さいますか」と依頼されたのです。私は、信じられない気持ちでありながら、とても嬉しく、喜びお引き受けさせて戴きました。寄贈させて戴く事をお伝え致しましたら、大変喜んで下さいました。また「手術室に、いだきしんサウンドを寄贈します」という事もお伝え致しました。もちろん、いだきしん先生の音楽つきであります。きっと手術をされる方は心が安らぎ、いだきしん先生の生命の音にふれ、ご回復が早くなると感じ、とても嬉しく感じました。とても素晴らしい出会いがあり、とても良い時を過ごし、嬉しい気持ちで病院を引き上げました。そして、次は市の担当者のお知り合いの方の御家にお招き頂き、ランチをご馳走になりました。素晴らしい花々が咲くお庭で、最初お食事を頂きました。ご自分で作っていらっしゃる野菜やお肉、お魚、チーズ、色とりどりの美しいお料理が並びます。一人一人サービスして下さいますので、断る事は出来ず、私は、ここは頑張って頂こうと決め、いつもより沢山頑張って頂いたのです。私は、あまり量を食べられない体質です。少し食べれば十分なのですが、この時は次から次へと「いかがですか」とお料理を運んで頂き、断る事が出来ず、少しずつ頂きましたが、沢山の種類がありましたので、私にするとかなり頑張って頂いたのでした。とても美味しいお料理で、美しい庭で過ごすひと時は、豊かで素敵なひと時でした。次は家の中で用意して下さっていたメインディシユを頂きました。至れり尽せりで、とっても美味しい手料理を断る事は出来ませんでした。

心からの感謝の気持ちをもってお暇をし、リハーサル会場に向かったのです。リハーサルをしていた時に、後ろから何か巨大なコンクリートを投げ込まれた様な衝撃を受けました。私にはドカーンという凄い音まで聞こえてきたのです。私は、その衝撃を受け、一気に具合が悪くなってしまったのです。振り向くと何とレバノンのスタッフが到着したのです。戦禍の中をくぐり抜けて、ブルガリアまで来てくれたのです。レバノンの方々の悲しみ、苦しみ、辛さ、重荷を背負ってきたのだと感じました。それは、ドカーンと身に受けた重荷から分かりました。どれだけ辛い思いでレバノンの方々が生きているかを体で思い知りました。沢山の方々が犠牲になっていったのです。その悲しみは、私などには想像も出来ない悲しみであるという事が受けた苦しみ、重荷から身に沁み分かりました。

ブルガリアでの「高句麗伝説」コンサートは、演出はガジ教授であり、音響も照明もレバノンチームに依頼していました。ところが、イスラエル軍の攻撃を受け、準備する事は命懸けであったと聞いていました。機材やパンフレット類を運び込む時は、イスラエル軍のレーダーをくぐり抜ける様にし、深夜運び込み、シリアに持ち込んで、シリアから運んだと聞いています。皆、シリアからブルガリアに来てくれたのです。胸の内は涙で一杯でした。私は、お一人お一人に日本で創った、お守りの様にし描いた心模様作品をお渡し致しました。皆様大変喜んで下さいました。私は、この時から体の具合が悪いまま、良くなる事がなく、寝込んでしまったのです。翌日も具合が悪くて起きれませんでした。

翌日は、ブルガリアの大統領がトルノボにいらっしゃり、橋の竣工式にご参列されると聞いていました。大統領がお見えになるので、私に「参加しましょう」と市長さんからお誘いがあったのです。

市長さんは、私の事を「プリンセス」と呼んでいますので「プリンセス、大統領に会いに行きましょう」とおっしゃったので、私は、もちろん断る事は出来ないと感じていましたが、身が動かずに大変困りました。いだきしん先生にご相談しました時も「行けばいい」とおっしゃって下さいました。いつもの私は、どの様に体が辛くても、しんどくても、決まった事は必ずやってきましたので、この日もいつも通り化粧をし、身支度はしたのですが、あまりに具合が悪く、立っていられない状態だったのです。それでも迎えのバスに乗り込みました。が、座っていれない位、具合が悪かったのです。その様子を見、いだきしん先生が「もうホテルに帰ったらいいよ」とおっしゃって下さいました。市長さんは「救急車を呼びましょう」とおっしゃいました。私は「救急車は呼ばないでほしい」と訴え、その訴えを受け容れて頂き、私と一緒に来ていた、姪でありますが、スタッフと一緒にホテルに引き返したのです。それから、全く起き上がれなくなりました。普通でいえば食中毒の様な症状でした。ブルガリアの家庭の手作りのお料理は、大変美味しく、楽しみましたが、私には量が多すぎたか、合わなかったか、またレバノンの重荷を身に受け、体は壊れてしまったのでした。水すら飲めない状態となり、3日間、全く起き上がれない状態となってしまっていました。辛いだけで何とか治りたい一心でしたが、回復する事がなかったのです。そして、いよいよリハーサルの日がやってきました。何があっても行かねばなりません。ベッドで寝ながら、ネメさんの奥さんが私にメイクをして下さいました。そしてヘアセットもして下さいました。何も食べず、飲まず、3日過ごし、リハーサルの日も何も食べず、飲まないまま会場に向かったのです。ふらふらでしたが、ありがたい事にリハーサルは出来たのです。

無事にリハーサルが終わり、ほっとしたまま、再びベッドに入り、何も食べれず本番の日を迎えたのでした。本番の日の朝、いだきしん先生がお電話を下さいました。「今日はスープをスプーン一杯でもいいから飲んだ方がいい。必ずスプーン一杯を飲んで本番に臨むのだ」という事をおっしゃいました。私は「はい」とお返事をし、スプーン一杯のスープを何日かぶりに頂きました。そして、またネメさんの奥様にメイクとヘアセットをして頂き、会場に向かったのです。トルノボの会場は、お城跡で丘の上にあります。山登りをするようにし登った高台のお城跡が舞台になっています。乳癌の手術をし、退院された担当者の奥様は、この丘を登り「高句麗伝説」にご参加下さったと聞きました。とても嬉しく、喜びました。こんな状態でも、私は本番が無事に出来たのです。

誰も、私が具合が悪いとは見ていませんでした。後から、具合が悪くずっと寝ていたと話しても、誰も信じませんでした。真にありがたい事と深く深く感謝しました。大いなる働きが共にあって下さったとしか考えられない舞台だったのです。私にとっては奇跡を経験出来、一気に体が回復しました。自分の体で分かりました。苦しみの中にある時は、一向に良くならない事もよく分かっています。ある次元を超えると、私の体は一気に抜け出し、良くなるのです。コンサート程次元を超える経験はありませんので、私は一気に回復出来たのです。この経験をもって、私は本番前は十分気をつけ、万全に臨むと心に決め、2度とこの様な事がない様に考え、備え始めました。続く…。