世界伝説 第64弾

ブルガリアから帰ってすぐに、あるメールが届いていました。「恵子さん、五女山でお待ちしています。」というメールでした。そして、五女山の写真が映っていたのです。お名前も何方か知らず、何故この様なメールが来たのかと不思議な気持ちでいました。大変失礼ながら、誰かが悪戯でもしているのかと考えてしまったのです。私が五女山に行きたい事を分かっている人が、何かの悪戯を考えたのかという以外は、何故この様なメールが来たかという事が理解出来なかったのでした。暫くして、韓国の知り合いからメールが届きました。「恵子さん、五女山に行きませんか」という内容です。一体どうなってしまったのかと驚きました。メールを読み進めていくと、やっと理由が分かりました。私は、2002年の12月に五女山がある中国遼寧省の知事が来日されていた時に、日中友好協会の会長さんから、お会いになるなら中継ぎをして下さるというお申し出を頂いたのです。私は、喜び、感謝しお願いしました。川崎の方のあるホテルのロビーにて宴会が終わる事を待ちました。宴会が終わり、遼寧省知事はお酒を飲んで酔ったお顔をし、出てこられました。私は名前を名乗り、自分の先祖の地は遼寧省にある五女山である事をお伝え致しました。通訳の方に伝えて頂きました。知事さんは大変喜び、遼寧省の観光地には五女山という所がある、という事をお話下さったのです。「そこが私の故郷なのです」とお話させて戴きました。私は、「故郷で自分が世界平和実現の為に開催しています『高句麗伝説』100回記念コンサートを開催したい」とお話させて戴いたのです。知事さんは喜び「協力しますよ」とおっしゃって下さったのです。私は、夢の様な出会いと感じ、心から嬉しく感じました。知事さんは「雪が解けた頃に是非、遊びに来て下さい」とおっしゃって下さいました。私は「雪が解けた頃、必ず参りますので宜しくお願いします」とお伝えし、お別れ致しました。私は、雪が解ける時を楽しみに待ちました。年が明け、丁度レバノンに行く1週間位前に在レバノンの日本大使からお電話を頂きました。2003年3月、アメリカがイラクを攻撃し、危険な状況になってきているので、この度のレバノン行きは延期にした方がいい、との助言を頂きました。ドバイ経由で行く事を告げると、尚更危ないので止めた方がいい、とはっきりおっしゃいました。丁度この時、在レバノン日本大使と食事を一緒にする約束をしていたので、大使は心配して下さり、延期を勧めて下さったのでした。大使がそうおっしゃるなら、お気持ちを受け、従う事が順当と判断し延期とさせて戴きました。私は、レバノンに行きたかったのでとてもがっかりしていました。何故この様な事になってしまったのかと考えました。今まではいつも、いい様にいい様にと事が巡り、道は拓かれてきたのです。この度は、決めていたにも関わらず、延期にしなければいけないという事態となり、一体どの様な事を大いなる働きかけが教えて下さっているのかと考えました。考えた先に見えたのが、五女山行きだったのです。雪が解けた頃と知事はおっしゃっておられた事を思い出しました。3月は、まだ雪は解けていないと考え、4月か5月に行こうという心づもりでした。が、日本であれば3月は雪が解ける頃という表現になりますので、もしかしたら五女山も解けているかもしれないと考えたのです。

瞬間、目の前が拓かれ、レバノン行きが延期となり暗く沈んだ心は一気に明るく拓かれました。急いで知事さんにお手紙を書きました。「雪が解ける頃、来て下さい」とおっしゃって下さったので、3月のこの時期に行きたい旨を書き、アポイントメントのお願いを致しました。知事さんからはお返事が中々来なかったのです。中国の北京にいる、私の代理人を務めてくれている方に連絡をし、経緯をお話しました。知事に連絡をとってほしいと依頼をしました。代理人は引き受けて下さいました。しばらくし、代理人から連絡が入りました。知事は「高麗さんの事を知らない」と言っている、との報告を受けました。そして「コンサートは一切関与しないし、手伝う事もしない。遊びに来る事は自由です。」という内容の事を伝えられました。ここまでおっしゃるなら、私の事を知っているという事なのに、知らないと通す事にやりきれなさを感じます。日本でお会いした時に「ご協力しますよ」と喜びおっしゃって下さった事は何だったのかと、私は心が暗くなってしまったのです。代理人は、はっきりと言いました。「可能性はないから、もうやめた方がいい」と。私は、最後に自分の胸の内を言葉に表し、手紙だけは届けてほしいと代理人に頼みました。涙ながらに書いた手紙でした。私からすれば、気持ちを表現した手紙を無視する事は出来ないのではないかと、自分を基準に想像したのです。想像は外れ、知事さんからは何一つ連絡が来る事はありませんでした。ある日、夢を見ました。「自分の気持ちを伝えられる人に伝えておく事」という夢でしたので、私は、その時にふと心に浮かんだ韓国で会った知人に手紙を書いたのです。韓国の知人は、ある日、韓国で五女山の麓の人に出会ったと言うのです。そして、私の話をしたら「喜び協力するので、五女山に来てほしい」とおっしゃったというのです。故に「恵子さん、五女山に行きませんか」とのメールになったのだという事が分かりました。この様な事があるのかと大変驚きました。夢のお告げは凄いと大変感動しました。私は、五女山に行きたい気持ちで、韓国の知人と一緒に五女山に行く計画を立て始めたのです。8年ぶりの五女山です。1998年8月、母が亡くなり初七日も過ぎない頃、2度目に訪ね、泣く泣く予定を全て変更し、出直す事を誓って日本に帰ってきたのです。それから、8年の年月が経ち、再びこの様な巡りが訪れたのです。続く…。