世界伝説 第62弾

2006年7月、レバノンはイスラエル軍からの攻撃を受けました。日本でそのニュースを知った時、胸が突き刺される程痛み、苦しみ、目の前が真っ暗になりました。私が「高句麗伝説」を開催し、永久名誉市民の称号を授与されたティールは、イスラエルの国境の町です。ティールの町は破壊され、沢山の尊い生命が失われたと知りました。私は、胸が動揺してならず、レバノンにいるガジ教授やネメさん、ティール市長さんに連絡をとりながら、何か出来る事はないかと必死で考えました。ネメさんの甥っ子さんが行方不明になったという事も聞きました。戦いに行ってしまったのではないかと心配していました。日本にいながら、居ても立っても居られずに心が痛むばかりでした。何度もレバノンに行こうとしました。が、具体的に自分がレバノンに行った時の事を考えますと、言葉も通じない、そして、どこかへ行く時にはレバノン人に共に動いてもらわないと動けない自分が行ったところで、お役に立てる事はないばかりか、迷惑をかける事は明らかでした。現地に行かずとも、日本にいてやる事を見つけようと必死でした。ティールの市長さんと電話で話した時、市長さんは「娘よ。いつでもレバノンに来て下さい。私はずっとここにいる。」とおっしゃっていました。市長さんは、どこにも避難せずにティールにいると力強い意志、市長さんの生き様を見、私も共に在る、と生きる姿勢を決めました。ティール市長さんはレバノンのヒーローとなり、毎日、新聞やテレビに出ていたと聞きます。私財をなげうって、爆撃により家を失った人達に食料や、生活に必要なものを配っていたと聞きました。沢山の人が亡くなったと聞いています。ある時、CNNのニュースに市長さんが出ていました。「彼の瞳が深い悲しみを語っている」と集団埋葬を決断した市長さんの事がその様に語られていました。何という事になってしまったのか、日本にいて何も出来ず、辛いばかりでした。ある時、子供達の施設が爆破され、沢山の子供達が亡くなったニュースを見ました。外国のニュースで子供の遺体が映し出されたのです。私は、耐え難き苦しみと悲しみに気が狂いそうになりました。地に落ちそうになった時、大地から、そして生命から「悲しみを深く分かる人間は、やる事がある」と聞こえました。倒れそうになった私は立ち上がりました。そして、その日に見た夢は「千人針の一針を」という夢でした。私は、よく夢のお告げと言っていますが、何をしたらいいかを夢によく見るのです。実際、実行すると、とても良い結果が生まれるのでした。きっと沢山の働きかけが私に夢を見させてくれ、一緒に動いてくれているのだと、いつも感じてきました。「千人針の一針」は知ってはいますが、本当はどの様な事であったのかという事を改めて調べました。戦地に赴く人の無事を祈り、女性が一針一針刺していったという事を改めて確認し、千人針の一針とは何をしたらいいのかと考えました。瞬時に答えは見えました。「人間の生命の真の光は、誰も犯す事も傷つける事も出来ない」と、いだきしん先生からいだき講座を初めて開催した日に教えて頂きました。「現代は核戦争の時代であり、一発で世界が滅ぶ時代である事、その様な時代に生きる我々一人一人はどの様に生命を守り生きるのか」と、いだきしん先生は受講生に問うておられました。私は、幼い頃から痴漢に毎日遭い、色々な危害を受ける巡りがありましたので、この様な物騒な世の中でどの様にし自分の身を守り生きていけるのか、常に考える事でした。そして、答えを求めていました。いだきしん先生は「母の胎内に発生した瞬間の真の光は、誰も犯す事も傷つける事も出来ない」とおっしゃいました。私は「これだ」と真の希望の光を見出しました。いだき講座で、親や先祖から受け継がれた運命が解放され、最後母の胎内に発生した瞬間まで戻ります。その瞬間はきれいな光が見えます。世界で一人の人間です。世界で一つの光です。皆、一人一人違う光を放っています。私は、この光を「真の自分」と表現しています。この光を誰も犯す事も傷つける事も出来ない、とのいだきしん先生のお言葉に真の希望を見出し、真の光を表し生きていく事が、どの様な時代にも身を守り生きていく事と、確かに分かりました。

私が日本で出来る事は、レバノンにいる仲間達の生命の無事を祈り、生命の光を表す事と、自然と導かれる様にし「心模様作品」と呼んでいます作品作りが始まりました。ペンダントやブローチにラインストーンをのせて、真の光を表し始めたのです。また、縮緬生地に心模様を描き始めたのです。心模様は目には見えませんが、私の目には見える内面の光景であったり、生命の光景です。「光景」という言葉は、改めて考えますと、本当に光の景色である事に感動しました。光を表す事が生命守る事と、必死で心模様作品を作り始めました。そんなある日、レバノンのティールに住むガジ教授のお母様が100歳を超えていらっしゃるのに、ベイルートに避難せざるを得ない状況で、ガジ教授のベイルートの御家に避難してきたという知らせを受けました。ティールに生き続け、人生はほとんど戦争だったとお聞きしています。そして、100歳を超えても尚戦争により家を離れ、避難しなければならない人生を考え、辛くなりました。

ガジ教授とお電話がつながった時、お母様はおっしゃいました。「日本にいる貴方方と生命がつながっているので、生命守られるので大丈夫です。心配しないで下さい。」とおっしゃいました。ガジ教授のお母様は予言者と聞いています。私が日本で光を表している事が分かった様です。場は離れていても、生命はつながっているので守られるという事を生命で感じられた様なのです。私は、感動で涙あふれました。場を超え生命ひとつで生き、生命守り合うと心に誓いました。心模様作品が生まれた背景です。続く…。