アラブニュース(2005 年1 月24 日号)に掲載されたアラビア語記事訳
(駐日レバノン大使館の協力で訳して頂きました。)

高麗恵子 : 花々と木々から生まれ出た使徒
詩と音楽を通しての平和への新たな見方

レバノン大学芸術学部教授 ガジ・カフージ氏

詩人高麗恵子は自然と愛、栄光の夢を生きる人間についての彼女の黙示と言葉の中で永遠との春のような彩に包まれ、あたかも花々や木々と水から生まれた使徒のごとく姿を現す。美しい葉叢と瑞々しい蕾に囲まれ花開く。彼女が歩を進める時、吹き過ぎるそよ風が彼女を立ち止まらせ、小鳥は待ち焦がれたように、彼女のもとに飛び来たってその小さな肩に止まる。彼女の周りには群れをつくる鳩が旋回し、その場は鳥の羽ばたきと平和の調べに満たされる。

幸福の香りが広がり、人々の心にも生命の血脈にも愛が広がる。彼女が行くところどこでも、剣は下に向け頭を垂れ、その激情は大地を抱擁するように鋤に変わってしまう。大地に蒔かれた種を発芽させ、やがて花開かせる。花冠を高くかかげ、互いの心の交感や曇りのない純粋さの大義を歌い上げる。

平和の情熱が彼女をその真髄にまで連れて行った時、彼女は「全体」に至るために「部分」と言葉を交わすことができた。宇宙とその中の様々な存在を実際的に感得することが彼女を落ち着かせることになった。そして、彼女は愛こそが永遠の生命の必然的な支えであると信じた。その全ての喜びと悲しみ、またその裏切りと勝利をもって過去との和解を結ぶための重要な入口となる自分自身との「純粋な」対話は、音楽と「愛」の意志を通してされると考えた。

他方で、その短所と長所をもって、人類に共通するしっかりと定まったことを生み出す準備をすることになる「均衡」のすばらしい方程式が実現するはずであり、またこの均衡は互いの心の交感を導き、すべての者を平和のオアシスに連れて行くことになると確信した。

続いて、彼女は言う。「初めのうち、私はどんな風に感じたか。私の生命の光が消えて行くのを感じました。私は自分が意味もなく、そしてただ死に向かって行くことを恐れました。何のために私はやって来たのか。どうして私は行き急ぐのか。これは恐ろしい深淵でした。私はどんなにか惨めで、絶望に苛まれていたことでしょう。私は本当のことを知りたかったのでした」。こうして高句麗伝説の詩集を通して、高麗恵子の書葉は曇りのない純粋さをもってさまざまな新しい夢を生み出す「夢」によって、永遠に続く真実と愛に向けていつまでも続く渇愛の状態を公に宣言しながら、真っ直ぐに進む。

そのために、彼女は「全体」に行き着くために「部分」に注視した。それで、彼女は自分を捨て、「森」との濃密な対話を構築するために、「木」に触れた。源泉に辿り着くために流れる川に向かって微笑んだり、空を飛ぶことや旋回することの秘密を理解するために小鳥と仲良しになったように振る舞い微笑み掛けた。彼女は「波」に話しかけることはしなかった。彼女のゴールとしたのは、「海」だったからだ。

宇宙と生命の意味を纏める包括的なこの見方と立場が高麗恵子を特徴のある「オリエンタル」な存在にした。それが、彼女の夢と思考に広がりを与えるところとなり、先駆的な船乗りであるフェ二キアの岸辺と他者との相互の結びつきに始まり、チグリス・ユーフラテス川の間に広がる国とかそこの偉大な文明や、ナイルの賜物であり、偉大なヴィジョンと奇跡的な実績の持ち主であるエジプトにまで至るわれわれの全ての聖なる土地 La Terra Santa に至る6 千年の歩みの上に広がる豊かな文化を持った「われわれのオリエント」と相まみえる。

時問と歴史の深みの中で打ち続けられる隠れた互いの心の交感こそが、多分、哲学や詩や音楽やその他の芸術を生み出した極東と近東が1つの瞑想的な思考における1つの泉から溢れ出る大きな2つの川を形成し、先駆的な役割を演じることに繋がったのだ。芸術はおしなべて精神の曇りのない純粋さの表現と結び付けを行なう「1つ」との結合と待望する。そこでは、すべての「部分」は「全体」のための証を提供するものとなる。

高麗恵子は即興演奏の芸術家である いだきしんと一緒に続けられる彼女の旅の中で、幾千もの今日的 な問題や問い掛けに対する明確な答を提示した。それが、2 人の「宇宙の宣言」Cosmic Manifesto だったのであり、それで2 人は人々の耳目に平和についての新しい意味を与えた。

「宇宙の宣言」は言う。安定した平和というのは、ただ単に戦争が消滅したり、戦闘がなくなったりす ることだけを意味するものではない。それはただ平和の段階の第1 歩に過ぎない。平和の根本とその本 当の意味は愛と努力と生産、更には他者に対して自らを開放すること、互いの心の交感、他者との対話 の中で実現するものだ。平和は芸術的、文化的、学問的、人間的に創造性に溢れた生命を意味している。 また、他者への広範な手助けも意味している。また、「相まみえること」や人々の間を分け隔てている 障壁とかカーテンを取り払うためのあらゆる方途、手立てを創造することも意味している。それは、安 全への深い感覚であり、悲しみの過去を未来の道を照らすたいまつに「変換」する試みである。

高麗恵子は自分自身と世界との本当の和解に達した。信頼と信仰をもって、彼女の祖先の遺言と使命を 担うことになった。すなわち、世界はすべて1 つの共同体であり、その共同体は変容し、輝きを得た平和をもってする外には平穏になることもなく、祝福されることもない。共同体の永遠の価値は、愛と心 の純粋さ以外を受け入れない。

高麗恵子は668年に終わりを迎えることになるまで約800年にわたり繁栄した高句麗の帝国を統治した 王家の家系に属してる。亡命した最初の王と彼の集団が7 世紀に日本に住んだ。それ以来、ケイコの家 系はコマという名を守り続け、高句麗の伝統と習慣を守り続けたのだった。

高句麗はそのユニークな歴史と多様性を持った文化を享受した。幾多の戦いが起きたにも拘わらず、 高句麗はアジアにおける偉大な共同体として存続した。「ユン・ヤン」王の治世には、高句麗は「スイ・ ヤン・ティ」王の200万の軍勢によって攻撃を受けた。 高句麗は2万にも達しない数の戦士でその軍勢を迎え撃ち、徹底的に打ちのめした。その当時、天が敵 を敗北させたのだと言われた。また、高句麗の王は天意を知っていたのだとも言われた。というのは、 王は天のすべての恵み、すなわち彼と彼の民との調和のもとに、一体となって生きてきたからだ。

高麗恵子はこの地球上の人間は1 つの共同体を形作っているという考えを持ちつつ、彼女の祖先の性格 や気質を受け継いだ。この確信から出発して、彼女は多くの苦しみに遭遇した。彼女には人類全体の運 命に変革をもたらすようなことは何もすることができなかった。彼女は激しい絶望から精神的にも肉体 的にも殆ど死んだようになった。その時、彼女は偶然にも「芸術家 いだきしん」に出会うことになった。彼女には、そこで彼がピアノによって演奏する音楽が自分自身の高句麗の歴史の歩みとその連なり を取り戻していることが明らかになった。

それは彼女自身の中に抗し得ない悲しみを引き起こした。というのは、人生における彼女の運命は音楽 と歌を通して彼女の国の歴史を取り戻すことなのだということを知ったからだ。その音楽に近づけば近 づくほどに、彼女は自分と絶望や苦しみとの間の距離が広がるのをはっきりと見えてきたからだ。

いだきしんは言う。私は少年時代の初めに、治る当てのない病気に苦しめられました。それが、私を一 度ならず死に近づけました。私はいつも生と死との間でシーソーをしていました。そうして、10年を費やしてしまいました。だが、やがて私の中には隠れていた感覚が私を安らいだ気持にさせ、私を生へ と向かわせてくれました。この感覚は大きくなり、それへの自分自身の自覚も増大してきました。私の 身体的な健康も良好になり始めました。私には自分の中には心の病に苦しむ多くの人々の生命があるこ とを知りました。そこでは、彼らの回復は彼らの間の互いの心の交感と1つの宇宙での彼らの統合がな くては達成されないということでした。私のピアノの演奏を通して曇りのない純粋さと誠実さと静かさ の上に築き上げられた互いの心の交感の一連の変容が形作られていくのです。

私がどんなにか各個が自らの中に本当の愛を感じるようになれることを願ったことか。この愛は永遠に 広大な宇宙のあらゆるところで光を放ち続けるでしょう。 芸術家がピアノを弾くとき、相互に結びつくと2つのことが起きる。1つは過去についての表現であり、もう1つは未来に向けて開く出現である。すなわち、過去の悲しみはそれを認めることがない限り、解放されることはない。私たちには訓練が必要であり、解放に至る実際的な慣れも必要である。その時に、理性は輝きを放って働くのであり、過去の苦しい経験は新たな生命のためのカとなる。歴史は生命のエネルギーの同義語である。彼女は確信している。歴史的な事件というのは、すべてそれらを理解し、それらを受け入れ、それらに表現を与える者の手から生み出されることを待っているのだ。

だから、いだきしんが高句麗の歴史についてピアノを弾くとき、聴衆の1人1人の中にあるそのエネルギーが他のエネルギーと一体となりながら、再び新たなエネルギーに変わるまでに活力を取り戻す。

子供時代の高麗恵子に対して、彼女の父親は来る日も来る日も彼女の心の中に彼女が高句麗の王家の家系にある者であることを語り、気高さと誇りを植えつけた。そのために、彼女は実際に、王たちの資質と美質を相続した。王国の重要性と偉大さの消滅に気付いたけれども、彼女は芸術家 いだきしん に出会った後、彼女の人生のためのもう1つの道を描き始めたのだ。

1998年、高麗は家族を亡くした。その後、彼女は両親の遺言を実行し始めた。すなわち、彼女は残されたすべての遺産をNPO KOMA 設立のために投資した。そして、このNPO KOMA は平和を宣べ伝え、人生に幸福と愛を広める新たな社会に向けて、道を開く努力を始めた。

このようにして、高句麗の源を訪ねる彼女の旅を続けるようになった。旅はついにはエチオピアにまで達した。エチオピアは人類がそこから始まったといわれる場所の1 つである。エチオピアにおいて、彼女には単純だが、真実に満ちた言葉が与えられた。「人間の生命には1 つの源がある。それは愛だ」。

芸術家 いだきしん

20歳の時から人生の難問に関する深い考察を続けてきた。特に、公衆の健康に関することだった。絶望と苦痛、挫折の段階から解放され、高みに上り、自分自身を理解したり、自らの持てるもののうちの最も美しく、高貴で最善のものを与えることへの人間の能力を信じる創造の段階に至るにはどうすれば良いのかへの見方を重ねてきました。

そのために、高麗恵子は語る。「私は永遠に生きたいと願います。私は自分自身を捧げたいからです」人間の生命は捧げることを措いて続くことはありません。捧げることだけが永遠に偉大な意味を与えるのです。私は深く永遠を信じます」

35歳の時に、 いだきしんは人類に共通する生命の機能的な活動の本質を取り戻す方法を発見した。ピアノの上での音楽的な即興を通してあいまいな問題の多くに解決を見い出そうと試みたり、自分自身の中での混乱と不毛な問い返しに合理的な答えを発見しようと試みた。いだきしんは日本や世界中で230回以上ものコンサートを開き、聴衆に生命の不変の美しさの根源的な純粋性を表現したり、交感したり、未来に向けて新たな道を開くために失われた活力を取り戻すための機会や可能性を与えた。

歴史の中の高句麗王国

  • 紀元前39年 現在の中国東北部に高句麗が樹立された。その国境はサンガリ川にまで至った。
  • 紀元197年 大きな「ウンド」の城が築かれた。
  • 紀元392年 「サクワン・ガイト」王が戴冠し、王国は目覚しい拡大を見た。
  • 紀元413年 王国は安定と最大限の国境の拡大を見た。
  • 紀元590年 高句麗王国は200万の軍勢により攻撃を受けたが自らの2万の兵力をもって勝利した。
  • 紀元642年 帝国はそれに反対する勢力によって滅ぼされた。原因としては、一族内の内部的な対立が挙げられる。