世界伝説 第9弾

2000年になりました。2000年は、「神性の顕わる時代ーDivine Agesー」といだきしん先生は銘打ちました。私は変わらず「本音で生きて下さい」講演会を全国で開催していました。春頃、広島にて講演会を開催する為に、広島に着いた時、ニュースでエチオピアでは1000万人の人々が生命の危機に瀕していると知りました。これだけ沢山の方が生命の危機に瀕するとは…只々驚くばかりでした。この事が心の中で動き始め、気になってならなくなりました。自分の事の様になってきたのです。何とかしたい気持ちはありますが、遠いアフリカの事を自分が何が出来るのかと考えるばかりでした。東京にいらっしゃるいだきしん先生にお電話をさせて戴いた時に、ふとこの事をお話したのです。いだきしん先生は「エチオピア大使館に行って聞いてきたら良い」とおっしゃって下さいました。私は、すぐに行く事を決めました。東京に帰り、エチオピア大使館に連絡をとり、アポイントメントをとりました。初めて触れるアフリカの空気に戸惑い、驚き、緊張しました。各国の大使館にはよく行きますが、大使館はその国の空気そのものになっています。エチオピア大使館の空気は生まれて初めて感じる、アフリカの空気でした。お会いした方は、参事官のアディスさんという方でした。私には見慣れない表情をなさいますので、私は、はじめ怒っているのかと感じたのです。ニュースで聞いた事を話しはじめると、大変強い口調でお話しはじめました。「報道機関にこの事実を報道してほしいと依頼しても、報道してくれない」と嘆いておられました。そして、旱魃による飢餓で沢山の方々が生命の危機に瀕している事を何とかしたい気持ちが、胸に飛び込む程伝わってきました。「旱魃は天候の問題であっても、飢餓は社会の問題である」とおっしゃいました。「旱魃は、周期的にくるので手は打てるが、手を打たせない社会は問題であり、社会は人間が作っていくので、人間の中身が変わらない限り、飢餓も貧困も延々と変わる事はない」と悲しみ、嘆いておられました。私達に何が出来るかと尋ねた時に「物やお金はいらない」とおっしゃいました。社会を変える事が解決であるお話されました。そして、私達に「貴方方に事実を知る勇気があるか」とおっしゃいました。私は「もちろん、あります」と即答しました。私は、先祖高句麗の歴史の真実を分かり、生命が助かり、今生きている事をお話しました。事実を知る事なくして、生きる道を作る事は出来ない事もお話させて戴きました。「エチオピアに行って事実を確かめてほしい」とおっしゃいましたので、私はエチオピアへ行くと決めたのです。エチオピア大使館を後にし、会社に帰るまでの時間に、いだきしん先生にお電話をしエチオピアに行く事を話しました。私がとても興奮していましたので、先生はこの興奮状態を正されました。エチオピアへ行く事を調べはじめ、既に事務所に着くまでに旅行社に連絡をとり、どの様に行けるかを相談しはじめました。まず、予防接種を打つ事が必要で、何ヶ月もかかる事を知り、がっかりしました。明日にでも行きたい気持ちになっていましたので、すぐに行けない事に落胆しました。が、エチオピアへ行く計画を立てる事が始まりました。一番早くて予防接種が終わった頃の8月でした。この間にも生命の危機に瀕する方々が大勢いらっしゃると考えると、居ても立っても居られずに、行けなくても出来る事はあると考え始めました。物や金はいらないと言われましたが、何をするにもお金があれば、きっとお役に立てると考えました。誕生日の5月13日、エチオピアビルケナシュ基金を設立致しました。長い間ボランティア活動をしてきましたので、毎日少しずつ出来る事が一番継続出来ると考えました。私達は、よくミーティングの時や活動の折に、缶コーヒーを買って皆で飲んでいました。この缶コーヒーを飲まなくても私達は生きていけるので、この缶コーヒー代を毎日貯金箱に入れておこうと提案しました。缶コーヒー代でなくても、10円でも20円でも毎日の積み重ねが大きな金額になっていく事を、過去のボランティア活動でも経験し、分かっていました。街頭募金をし、1円からの募金を集めた経験があります。が、毎日行っていくと何千万円にもなっていったのです。自分達が決めた金額を、毎日貯金箱に入れるというのが私が提案したエチオピアビルケナシュ基金でした。いだきしん先生が発足の時に、毎朝、自分の気持ちの表現として貯金箱に入れるという事をお話下さいました。釣り銭を入れるのではないという事をお話下さいました。気持ちの表現であれば、自分が生きる事そのものですので、毎日継続していけるという事がとてもありがたいと、胸の内に希望の光が灯りました。

毎日、ビルケナシュ基金の貯金箱に決めた金額を入れ、初めてエチオピアへ行く時を迎えました。バンコクからエチオピア航空に乗り換えるのです。エチオピア航空に乗った瞬間、アフリカの空気に驚き、戸惑いました。今まで全く触れた事がない空気であったので、未知なる世界に触れた緊張で一杯でした。緊張したまま、機内で過ごし、やっとアディスアベバの空港に降り立ちました。草原の風が吹いて、活き活きと輝く草花が迎えてくれました。大地は歓迎をして下さっている事を、大地の声から分かりました。アディスアベバは標高2400mの高地です。高原の風が吹いています。とても気持ちが良い所です。初めて降り立ったアフリカ大陸の大地のエネルギーは、ダイナミックでやさしいです。大地に歓迎された事がうれしくて、緊張も解けていきました。見るもの全ては生まれて初めての世界です。一瞬一瞬が未知なる世界との出会いでした。エチオピアを旅している時、ラリベラにある「岩の教会」へ行きました。岩をくり抜いた教会を見た時、強い衝撃を受けました。真との出会いでした。「こちらが本物」という言葉が生まれました。元はここにあると分かりました。昨年までヨーロッパに行く機会が多く、途中、イタリアやパリの教会を見てきました。ステンドグラスの美しい教会を見てきた私は、何もない岩をくり抜いた教会を見、神に出会いました。人生変わる出会いです。何が真か否かは、瞬時に分かる出会いでした。作り物は虚しく、いずれ崩壊するものである事も瞬時に分かりました。価値観が変わり、人生観も変わりました。

その後、旱魃の地ゴデに行った時には、完全に人生観は変わりました。家畜も死ぬという旱魃の地で出会った子供達の純粋で美しい瞳を見た時、こちらが人間と生命で分かりました。物もお金もなく、物質的には貧しく、衣食住もままならない状況であっても、人間としての美しい瞳が輝く、その姿に真の人間の姿を見ました。私は、どちらが人間なのだか分からないと感じ、援助に行くつもりの自分の傲慢さを恥じました。自分が人間にならなければ、この子達とは会えないのだと分かりました。ところが、この子達は私を歓迎し、マラリアで病院のボロ切れの上で寝ていた子供達であったのに、私の後をついてきてくれ、ぴょんぴょんと飛び跳ね、喜んでくれたのです。気づけば、私はこの子達と生命ひとつになって喜び合っていました。私は、その時から援助という言葉は使えなくなりました。人間は、助け合い、支え合う存在です。人生変わるエチオピアとの出会いです。続く…