五女山の麓の朝鮮族の学校にて、五女山での「高句麗伝説」の打合せをしました。子供達が遊ぶ光景を見させて戴きました。教室も一つ一つ回らせて戴きました。五女山の麓の空気が流れる中、学ぶ教室一つ一つの空気は、今でもよく覚えています。
最後に沢山の寄付金を依頼された時に、私の五女山への夢が汚される様な感覚となり、とても辛くなってきました。この話には乗れないと、次第に感じ始めました。いだきしん先生も同じお考えだったので、これ以上、話を進める事は控えました。五女山での「高句麗伝説」開催の夢は消えましたが、8年ぶりに五女山に来る事が叶いました事、真にありがたく、喜びで一杯でした。夢の実現に向け、また新たな道を探していこうと、新たな気持ちが生まれました。この度は、韓国の李さんに道を作って頂きました。大変不思議な経験となりましたのは、この度の事が実現する前に、夢に見た事が蘇るのです。韓国の有名な俳優さんが運転する車に乗せて頂き、五女山に行くという夢を見たのです。あまりに鮮明な夢で、脳裏に残って忘れる事が出来ない夢でした。夢はシンボルで現れますので、韓国の夢の俳優さんは、李さんであったのだと気づきました。8年ぶりに叶った五女山への道は、夢で見た通り、韓国の方に連れて行って頂いたのです。高句麗の地は、現在、朝鮮族と満州族の人々が住んでいる地と聞いています。朝鮮族の方にお会いした時に「先祖は高句麗ですか」と尋ねました。「韓国」と答えられました。高句麗の人々は、高句麗が滅んだ後、この地からは離れ、この地は暫く無人の地であったと知りました。次第に犯罪者や流人が入ってくる様になり、再び人が住むようになったと知りました。高句麗滅亡後、暫く無人であった地だったのだという事が分かり、高句麗人はこの地にはいないのだと改めて知ったのです。今、この地に住む朝鮮族の人は、韓国から来た人と知りました。
8年ぶりに登った五女山城は、やはり全てがまるで変わったと感じました。1998年5月、初めて訪ねた時、山道を歩いていると、突然、五女山城の城壁が現れたのでした。この度は、駐車場まで車で上り、車を降り999段の階段を上がって五女山城に入りました。あの時に見た城壁は何処であったのかと探しました。「ここだ」と感じる場所がありました。暗い森の中、恐る恐る城壁に手を当てメッセージを聞いた事を思い出します。今は、明るく拓かれた空間に、その城壁がありました。あの時と同じに手を当て、メッセージを聞きました。五女山城では、何処からも「生命ひとつ、愛」というメッセージが聞こえます。
五女山城は「生命ひとつ、愛」で生きた地である事がよく分かります。世界遺産に登録され、東明王様の宮殿跡という標識が作られていました。野原としか見えない場所ですが、ここに東明王様が暮らしておられたのだと感じ、その地に立ちました。目を閉じると「光と光が出会い、新しい世界が生まれる」世界平和実現の光景が見えました。