世界伝説 第66弾

五女山の麓に着き、その夜は韓国から一緒に来てくれた李さんが出会った、この地に住む朝鮮人の方々にお会い致しました。朝鮮料理のお店に連れて行って頂きました。五女山でのコンサートを開催したい気持ちをお伝えし、ご協力下さる意志を示して下さいました。こんな展開になるとは、人生は本当に分からないものだと驚くこの度の導きでした。ご協力頂けるならば、本当にありがたいと心から嬉しく感じ、実現に向かっていけます事が大いなる喜びでした。良い話し合いが出来、次のステップへ向かう事になりました。話が順調に進みましたので、翌日は「五女山に登ろう」と韓国の李さんがおっしゃいました。「五女山に行けるのですか」と私は驚きながらも胸の内は喜びで一杯でした。「行きましょう」と言って下さったので「喜んで」と信じられない気持ちで、五女山に登る日を迎えたのです。

韓国の李さんと

この度の旅は、コンサートに向けての打合せの旅と聞いていましたので、仕事用に大好きなブランド、ジャンフランコ・フェレのスーツを着てきたのです。そして、ブーツを履いていたのです。この格好で五女山へは、とても登る事は出来ません。服は、室内着であっても室内着ではない様な服を持ってきていたので、それを着て行く事にしました。靴は、靴屋さんに連れていって頂き、購入しました。そして、いよいよ五女山へと向かいました。8年前に来た時とは、まるで町並みも変わっていましたけれど、五女山の入り口も変わっていました。五女山は、2004年に世界遺産に登録されたのです。駐車場も整備されていました。駐車場で別の車に乗り換えます。中国政府が用意している車です。そして車を降り、999段の階段を上るのです。私は、この階段を上れるのか、と途方に暮れてしまい、入り口に人力車があったので、乗ろうとしました。すると、いだきしん先生が「先祖の土地は自分の足で歩きなさい」とおっしゃったので、私は恥ずかしくなり、苦笑いするよりなかったのです。そして、自分の足で歩き始めました。石段を一段一段上っていくと、風が吹くのです。ふっと疲れて息をつくと、心地良い風が吹いて力が漲ってくるのです。生命は喜び、躍動し、999段の階段は何の苦も無く、楽しく上りきる事が出来ました。風が吹くと、魂が喜び迎えてくれている事を生命で感じたのです。こんなに沢山の魂が喜び、迎えてくれ、一緒に上ってくれているのです。これ程力強い事はありません。魂と共に、五女山の石段を上る事は、喜びよりありませんでした。

龍の爪を眺め

999段の階段を上りきると、西門に到着します。砦を通り抜け、五女山城の山道が続きます。森の中を歩いていくのです。吹く風は、心地良く、爽やかで、歩いているだけで清々しい内面と無限な世界に通ずる広い空間にいる事がただ嬉しく、幸せでした。そして、風は魂の声を伝えてくれます。魂は「この時をずっと待っていた」と喜び、光り輝いています。後日、共に五女山を歩いた韓国の李さんが、韓国に帰った後、私に詩を送って下さいました。「恵子さんが歩く時、高句麗魂は喜び迎え入れ、風となっていた」という内容のとても素敵な詩でした。李さんは、五女山城に吹く風は、魂の風と感じられていたのだと分かりました。やはり、同じに感じていらした事がとても嬉しく感じました。そして「高句麗のお姫様が五女山に帰って来た事を、魂は総動員で喜び迎えていた」と詩に書いて下さっていたのです。正しく私も同じ様に感じたのです。再会を喜び、涙し、時に笑い合い、それはそれは楽しい五女山城でのひと時でした。

1998年に初めて行った時に手を当てた城壁にて

丁度、紅葉が見事な時期でした。10月10日が、一番紅葉が美しい日と聞いています。いつも一緒に五女山に行くガイドさんは、私が他の年も「今年の紅葉は、いつ頃が見頃ですか」と尋ねると、必ず「10月10日」と答えるのです。「紅葉は、その年によって、自然環境や天候によって見頃が変わるのではないですか」と尋ねてみると「10月10日が一番きれいです」と同じ返事が返ってくるのです。故に私は、秋はいつも10月10日に五女山に行く事になるのです。

赤く染まる木の葉が美しく、魂揺さぶられるばかりです。枯れ葉が風に舞う音は、生命の喜びを伝えてくれました。いつも秋は寂しいと感じていました。枯れ葉が舞う音は、心の中に寂しい風が吹いて、涙までする私でした。五女山では「木の葉は枯れ落ちても、生命は新しい生命を生む喜びに満ちる」とメッセージを受けました。木の葉は枯れ落ちても、悲しくも寂しくもない、生命は次の生命が生まれる喜びに満ちているのだという事を生命で分かり、秋が初めて寂しい秋ではなく、喜びの秋と変わったのです。五女山の紅葉はこの世のものとは思えない程、美しい光を放っていました。心に刻まれる光景となりました。吹く風も心地良く、木々はやさしく共にあり、生命交流し、歩けば歩く程、力が生まれてきます。清々しくて、何もなく、爽やかで、何て気持ちが良い所かと、感動の連続で五女山の山道を歩いていますので、時間を忘れて、ただ楽しく、幸せなのです。いだきしん先生は、五女山に吹く風を「宇宙なんてものではない」と表現して下さいました。真にその様に感じます。このダイナミックさ、清々しさ、潔さ、美しさ、強さを何と表現したらよいのかと、言葉を探しても、的確な言葉は見つかりませんが、生命は躍動してならず、幸せでならないのです。いだきしん先生がおっしゃる「宇宙なんてものではない」正に的確です。宇宙につながり、宇宙を更に超えていく、途轍もないエネルギーを感じるのです。ここが高句麗が生まれた地と考えますと、人間の計り知れない力、神秘的な力を感じ「人生はこんなものではない」と未知なる可能性に、心はときめくばかりです。

東明王宮殿跡にて

朝8時頃から五女山への登山が始まり、午後3時頃になると出口の門に辿り着くのです。ここで五女山とお別れです。終わりが近づいてくると寂しくて、今度、またいつ来れるのだろうかと、2度と来れないのかもしれないと、複雑な気持ちになるのです。そして、また五女山を後にし、車に乗り、後ろ髪を引かれる様にし「振り向かずに、ただ前を向いていこう」と気持ちを引き締めるのでした。山を下りれば、昼の昼食用に食料品店でパンを買い、それを少し食べただけですので、とても空腹である事に気づきます。五女山を登った後に頂く遅い昼食は、いつもとても美味しく感じます。朝鮮料理店に連れていって頂くのですが、この食事が私はいつも幸せを感じるひと時なのです。私は、五女山にいるだけで楽しく、幸せです。生命が躍動してならず、満面の笑みで過ごすのです。こんなに幸せな事はないと、いつも生命がはちきれんばかりに喜んでいるのです。予想外に、また予定外に五女山へ登る事が出来、何の身支度もせずに、いきなり五女山に行ける時が来る事かと、本当に驚き、喜び一杯でした。日本から衣類や靴を用意せずに、五女山に登る事が出来たのです。ただ嬉しい気持ちで、瀋陽に戻りました。その日は、瀋陽に泊まりました。翌日が日本に帰る日です。瀋陽のホテルで、私は亡き父母に手紙を書いたのです。「お父さん、お母さん、やっと帰って来れました。こんなに嬉しい事はありません。」書きながら涙ばかりが込み上げます。きっと、父が生きていたら、共に喜び、涙したでしょう。亡き父母と一緒に故郷に帰ってきたと感じ、ただありがたくて、嬉しくて、手紙を書かずにはおれなかったのです。投函する事が出来ない手紙であっても、私は、亡き父母に手紙を書くという機会を与えられた事が嬉しくて、感謝の涙があふれました。忘れられない瀋陽での夜の出来事です。続く…。