世界伝説 第16弾

エチオピアコンサートに向かいながら、私はレバノン、フェニキア9000年前の都市ティールでもコンサートを開催したくて動いていました。早春の風が吹く時、日本を発ち、再びレバノンに行きました。コンサート開催に向かい、レバノン大使がご紹介下さった大使の友人にお会いしたり、様々な場所にコンサート開催の可能性を求めて動きました。大使の友人は、やはりティールのご出身の方でいらっしゃいました。今思えば、私が2005年に「高句麗伝説」を開催した遺跡の野外劇場を見下ろすマンションにお母様やお姉様がお住まいでした。ティールに行った時に御家に行かせて戴き、高い所から、いだきしん先生が野外劇場を撮影されたのです。この映像は当時、東京カフェ哲の「FATHERドキュメンタリーサロン」にて何度も皆で見ていた映像です。

大使の友人にご案内頂き、ティールのいくつかの場所に行かせて戴きました。一つは子供の施設でした。その組織の理事長さんは、ずっと帰って来ないというお話を聞きました。どの様な意味かと最初分からずにいましたが、理事長さんの妹さんにお会いし、その事情をお聞きしました。未来を予言する予言者だった理事長さんは、爆撃が起こったりすると、誰がその事を行ったかという事を分かる感覚があった様です。リビアのカダフィ大佐に国創りを共にしてほしいと依頼され、リビアに向かったそうです。それ以来、消息が不明となったとお聞き致しました。その方のトランクがローマの空港に着いていたという事だけ分かっているだけで本人はそれ以来、何処に行ってしまったのか分からずに、ご家族が捜し続けているとお話下さいました。何という事が起こっているのかと大変驚きました。ティールにいると、予言者と言われる人が大勢いる様に感じます。何方にお会いしても、予言者の様な瞳をされています。ティールの地にいると空間が異次元空間となり、時空を超えた世界となりますので、内面が時空を超えた世界で生きる様になるのだと私は感じていました。私も、ティールの地を歩いていると、この世の次元ではなく、異次元に飛翔する感覚があります。この世の時間ではない、異次元の時間で生きている感覚となるのです。きっとこの地は予言者が現れたり、当たり前に人が見えないものが見える人がいらっしゃるのだと感じていました。私も人が見えないものが見え、未来が見える感覚が生まれつきありましたので、私の様な感覚の人が当たり前にいらっしゃるのではないかと感じながらティールで過ごしていたのです。

昼食をとる為に海辺のレストランに入りました。美しい海が見えるレストランでお聞きした事は、あまりに惨い現実でした。子供の遊び場に地雷が埋められていて、子供が地雷を踏んで亡くなったという事をお聞きしました。子供が遊ぶ場に地雷が埋められているなんて、あまりに酷い事と私は目をふさいでしまいました。子供が安心して遊べる場がない状況は、どれだけ緊張を強いられ、恐怖を感じる事かと想像するだけで胸が痛むばかりです。街は銃撃や銃弾の跡が沢山残っています。美しい地を破壊する事が辛く、悲しく、やり切れない思いで一杯になります。この地でコンサートが出来れば、状況は変わっていくと考え、何としてもティールでコンサートを開催したい気持ちは強まるばかりです。ベイルートにて、ティールフェスティバルを演出しておられる、レバノン大学芸術学部のガジ教授をご紹介頂きました。ネメさんという俳優も一緒に活動している方で、ガジ教授とネメさんのお二人に初めてお会いしました。私は、何としてもティールでコンサートを開催したい気持ちを表現し、先生の働きをお話させて戴きました。この出会いから、ガジ教授とネメさんは私達と共に動くNPO高麗のスタッフとなりました。その後の海外コンサートの時も共に舞台を作り、共に歩きました。いつも私が泊まりますフェニシアンホテルのラウンジにてお会いし、沢山お話をし、多くの時間を共にしました。フェニシアンホテルのラウンジに行くと、いつでもガジ教授がおられる様に感じます。いつもフェニシアンホテルのラウンジが私達の仕事場となっていました。沢山の思い出があります。窓から吹き抜ける風はフェニキアの風です。外はいつも車のクラクションの音とブレーキを踏むキーキーという音ばかりで大変賑わしい街でありますが、その音ですらも私には愛おしく、懐かしく、馴染んでくるのでした。ラウンジに座っているだけで、心がときめき、次は何が待っているのだろうかと未知なる出会いに心馳せるのでした。ここで沢山の人にお会いしました。ブルガリアでの「高句麗伝説」を開催する事になったのも、このラウンジでブルガリアの方にお会いした事から始まりました。ここに座っていると、中東を自由に歩き、更に沢山の国々に繋がっていると感じる風が吹くのです。私の大好きな風です。私は、レバノンにいるだけで、魂喜び、ときめくのです。何を見ても愛おしく、うれしい気持ちばかりが込み上げてきます。が、街はベイルートも銃弾の跡が残っていたり、破壊された跡が残っています。痛ましい状況を見る度に、何故この美しい地が破壊されるのだろうかと世の中の仕組みや成り立ちに憤りを感じ、やり切れなさと悲しみばかりが込み上げて参ります。この地で、いだきしん先生のコンサートを開催する事は必要であると身に沁み感じるのです。何度も何度もレバノンに足を運び、5年後に「高句麗伝説」開催が実現出来たのです。本当は、エチオピアの前に開催したいと願い、レバノンに足を運んでいたのでした。が、レバノンはいつ戦争が起こるか分からない状況ですので、時期を見合わせる事が続き、中々開催の時を決める事は出来ない状況でした。エチオピアはどんどん物事が決まり、開催実現へと皆で一丸となって全身全霊賭けて取り組んでいきます。後から考えますと、人類発祥の地であるエチオピアから開催する事が自然の道であったのだと考えました。続く…。