世界伝説 第15弾

2001年は、エチオピアコンサートに向かい、全身全霊で取り組みました。5月にエチオピア全土を撮影の旅に出掛けました。道なき道を地平線を見ながら延々と車で走ります。見る物全ては生まれて初めての風景です。空間に虫だらけという表現になりますが、目を開いても口を開いても虫が飛び込んでくる様な虫だらけの空間の中で、顔に蚊帳を被せて撮影した事をよく覚えています。私には慣れない環境での撮影の旅は大変緊張する事の連続でした。道中お手洗いもありませんし、レストランもありません。お手洗いはいつも朝出掛ける時にホテルにて、又帰ってからホテルにてよりないのです。お水の飲み方等十分気をつけながら安全に無事に旅ができるようにと工夫しながら、何とか無事に歩く事ができました。木々も日本や他の国と見る木とはまるで違うのです。飛ぶ鳥も動物もまるで違います。本当に未知なる世界に舞い降りた感覚となります。

ちょうど5月13日誕生日の日、慣れない旅の連日で大変疲れていました。ホテルの中は悪臭も強く不衛生でありますので、私のような神経質な人間はとても居心地が悪くて困っていました。部屋に入ったもののすぐに出てきてしまい、野原に横になっていたのです。ホテルの中よりも外の方が気持ちが良いのです。草原に寝転び、満点の星空を眺めていました。手を伸ばせば届くように感じる程、近くに大きく輝く星が空一杯に輝いているのです。エチオピアでなければこれ程の星空は見る事ができないと感動しました。大地から聞こえてきたメッセージは「今日で自分の人生は終わり」という言葉でした。誕生日ですので今までの人生は終わり、今日から新しい人生が始まるのだと受け止めました。これからは世界の平和の為に生きる人生と心の中で受け止めました。呼ばれて、レストランの中に入りました。何とバースデーケーキが用意され、部屋に飾り付けまでして下さっているのです。この僻地でよくぞバースデーケーキを用意して下さったものだと感動致しました。そして飾り付けも手作りで、本当にお気持ちが嬉しくありがたく感動しました。皆で「ハッピーバースデー」とお祝いをして下さいました。私はバースデーケーキのろうそくの火を消すのに懸命でした。ろうそくの火を消し終わり、皆が拍手でお祝いして下さいました。その後、旅に同行しているエチオピアの人から突然私に話があったのです。貴方のようないい人をずっと待っていたとおっしゃって下さいました。エチオピアはコーヒーの産地です。たくさんのコーヒーが採れますが、農民は衣食住もままならないという実情をお話し下さいました。いい人にコーヒーを売ってほしいとおっしゃいました。「良いものを良いままに、美味しいものを美味しいままに伝えて頂ければありがたい」とのお言葉に感動しました。断る理由は一つもなく、その場でお引き受け致しました。「私は日本で小さなカフェを持っていますので、コーヒービジネスはすぐに行なう事ができます」とお答えしていました。

本当に不思議な巡りで、数年前より青山に小さなカフェを作ったのです。私は飲食は苦手です。カフェをすることは考えもしませんでした。が、何度も勧められ、成り行きとしか言いようがない状態でカフェをオープンしたのです。経営はうまく行かずに、毎年決算の時には良くなる見込みがないので早いうちに店を閉めた方が良いとは会計士さんに言われていた事でありました。それでも閉めずに赤字続きでカフェを経営してきました。この日の為であったと、初めて合点が行ったのです。本音は未来との出会いです。その時は意味が分からなくても未来には実現します。エチオピアのコーヒーを輸入するようになるとは、カフェを作った時は考えもせず想像もできませんでした。が生命は予感していたのか、未来からの光と出会っていたのか、カフェを作っていたのです。思い起こせば、この度のエチオピアの撮影の旅に出る前です。アディスアベバに着き、いつも宿泊するシェラトンホテルのラウンジで、一人でコーヒーを飲んでいました。ラウンジではいつもピアノの音が聞こえます。女性がいつも生演奏をしています。エチオピアでより聞けない哀愁を感じるピアノを聴きながらコーヒーを飲んでいた時、突然私は「コーヒーは天命」と口ずさんでいたのです。「コーヒーは天命」と何度か言いました。一人で、天命かもしれないと話していたのです。

いだきしん先生にお会いした時、体の具合が悪く、コーヒーはとても飲める状態ではありませんでした。自律神経失調症でもありましたので、コーヒーを飲むと夜眠れなくなってしまう為に、一切飲む事はありませんでした。いだきしん先生はお会いする時、コーヒーを淹れて下さいました。が、私が一切手を付けないので、ある時、コーヒーを飲んでみたらとおっしゃいました。当時の私は、ありがとうございますと言いはしても飲む事はしませんでした。いだきしん先生は何度かコーヒーをお勧め下さいましたが、私は飲もうとしませんでした。最後に、飲みなさいとおっしゃいました。その時初めて私はコーヒーが飲めないのですと本当の事をお話ししたのです。大丈夫だから飲みなさいとおっしゃいました。が、私は頑なに断ったのです。その時、いだきしん先生は、俺が淹れたコーヒーが飲めないのかとおっしゃったのです。気持ちは飲みたいですが、コーヒーは飲めませんとお断り致しました。飲んでみたらと再びおっしゃったので、その時自分は一口頂いたのです。美味しい、と思わず口にしました。そして全部飲み干しました。コーヒーがこんなに美味しいなんて、生まれて初めて知りました。それから私は再びあのコーヒーを飲みたいと欲し、コーヒー屋さんを探してはコーヒーを飲みました。が、いだきしん先生が淹れて下さったコーヒーの様なコーヒーはありませんでした。それでも自分はあのコーヒーをもう一度とコーヒーを探しまくったのです。私は一つの事に集中すると、のめりこむ性格です。見つけるまで探すのが自分の習性です。ある日、井の頭公園の池の畔にあるコーヒー専門店に出会いました。木の温もりに包まれるクラシックな調度品を置いてあるとても素敵なカフェです。コーヒーを注文した時一口で美味しいと叫びました。美味しいコーヒーを飲めば美味しいコーヒーが分かるという事を初めて知りました。今まで、いだきしん先生のコーヒーは美味しいと感じましたが、それ以外のコーヒーはどのコーヒーが美味しいか分からなかったのです。が、美味しいものは美味しいのだという事を分かるようになりました。私は一度はまると、ずっとはまっていきますので、そのコーヒー店に毎日通う様になりました。井の頭公園の池の香りがするような店内にて、詩を書く事が大好きな時間でした。ここのコーヒーは私の毎日にとって欠かせないものとなりました。仕事をするようになってからも必ずこのコーヒー店に来てコーヒーを飲んでから仕事をしていました。ピアノの営業で大変な成果を上げましたので、コーヒーを飲んでから仕事をするという習慣はずっと続いています。あれだけコーヒーを探し求めた事を思い出し、天命かもね、という言葉になったのでした。いだき講座を始めた時、私の自宅に私の友人、知人がいだきしん先生に会いに訪れましたので、私はコーヒーを何杯も淹れました。もちろんこのコーヒー専門店の極上のコーヒーを淹れました。大変高価なコーヒーでしたので、他では決して飲めないお味でした。次第にコーヒーが美味しい所という評判が立つようになりました。私が電話に出ると、コーヒーが美味しい所ですかと尋ねてくるのです。コーヒーはお出しはしていますが、やっている事は講座ですという事を何度申し上げたか知れません。いだき講座では毎回コーヒーをお出ししていましたから、コーヒーはとても縁がある飲み物とはずっと感じていました。エチオピアのシェラトンホテルのラウンジにて哀愁こもった女性の弾くピアノ演奏を聴きながら胸の内から生まれた「コーヒーは天命」という言葉を、コーヒービジネスを依頼された夜に思い出していました。生命は先取りし、その瞬間が来ることを予感していたのだと分かったのです。コーヒービジネスのはじまりです。