世界伝説 第14弾

ベイルートから日本に帰り、レバノンでのコンサートを開催したい気持ちを実現したく動き始めました。2000年12月には再びエチオピアに行きました。エチオピア政府の方が、物やお金よりも、この飢餓の問題や貧困の問題を作っているのは社会であり、社会は人間が作っているので、人間の内面を変える事が一番してほしい事とおっしゃったのです。私は稲光が落ちる様な衝撃を受けました。日本で常に人間の内面が外的環境を作るという事、故に人間の内面から変わらないと社会は変わらない事を表現し続けて参りましたが、中々すぐにご理解頂ける事はなかったのです。初めてお会いしたエチオピアの政府の方は、日頃私がずっと表現してきた事をおっしゃったので大変衝撃を受けました。私は人間の内面を根源的に変えていけるいだきしん先生のお話をさせて戴きました。そして自分の人生の経験のお話をさせて戴きました。内面に受け継がれてきた運命が解放され自分の生命は助かった事、そして真の自分を見出し本音で生きて人生拓かれた事をお話させて戴きました。エチオピアでいだきしん先生のコンサートが開催できれば、人間の内面を変えていくという根源解決になるという事をお話させて戴きました。大変興味を持って頂き、エチオピア大使との面会の時がやって参りました。エチオピア大使も大変興味を示して下さいました。そして、まずはご経験頂きたい気持ちをお伝えさせて戴き、大使も喜び同意下さり、東京で開催致しましたいだきしん先生のコンサートに大使はじめ大使館員の方々にご参加頂きました。エチオピア大使のコンサートでの経験を表わした文章に大変感動致しました。ここに掲載させて戴きます。「この音楽は、宇宙と地球をひとつに結び、この世のあらゆる境界、政治、民族、言語、宗教の境を解いて人間をひとつにする音楽である。」そして、エチオピアでのコンサート開催に向かい共に動いていく事を同意して下さいました。その為に12月に再びエチオピアに行く事となったのです。

この時の旅は駐日エチオピア大使と共に行かせて戴きました。コンサートの打ち合わせと共に、8月に干ばつの地ゴデに行った時にゴデのお医者様と約束した事を守る為に行きました。何が欲しいかと問うた時に、可動式のレントゲンとお医者様はおっしゃいました。必ずお届けします、と約束しました。レントゲンはビルケナシュ基金のお金が貯まっていましたので、すぐに購入しエチオピアへ送りました。ところが中々着かない事を知り、どこで止まっているのか調べるとその時はイタリアに止まっていたのです。それからエチオピアに届いた所までは確認できましたが、レントゲンを探し、届ける事が大切と考え、エチオピアに着いてからはレントゲン探しに尽くしました。エチオピアには到着していましたが、エチオピアの法律で2週間経たないと通関できない事を知りました。エチオピア大使は運輸大臣をご紹介下さり、運輸大臣に特例とし2週間以内ですが通関してほしいと依頼して下さいました。運輸大臣は快くお引き受け下さいました。私達がゴデに向かう飛行機に載せて運ぶ事になりました。当日飛行機に乗り込もうとしましたが、レントゲンを積み込んでいる様子が見えず確認しました。レントゲンは積み込まれていなかったのです。レントゲンが積み込まれなければこの飛行機には乗れないと訴えながら、空港中レントゲンを探して頂きました。しばらくし、レントゲンが運ばれ、積み込まれました。私達も飛行機に乗り込み、ゴデへと向かいました。ゴデでは感動的再会が訪れました。

野原の様な所に飛行機は着陸します。医師が迎えに来てくれていました。何より約束を守ってくれた事が嬉しいと、涙を流し喜んで下さいました。人間は人の気持ちに支えられ生きていく存在とよく分かりました。

いだきしん先生が、朝一番に自分の気持ちの表現とし貯金箱にお金を入れるとご提案下さった事は、医師の涙を見て深く分かりました。物やお金よりも、気持ちで人間は支えられ生きていく存在ということが生命をもって分かり、私も共に涙しました。無事にレントゲンをお届けでき、とても嬉しい再会でした。私は前に出会った子供たちを探しました。誰一人会う事が出来ませんでした。マラリアに罹っていたという事を聞き、亡くなってしまったのだという現実を受け止めました。一瞬時間が止まった様に自分がどこにいるのかわからなくなり、胸の内は涙が流れ続けるのです。我に返り、また会えると思っていた自分を悔やみました。が、どんなに悔やんでも子供たちに会う事はできない現実を受け止め、出会った子供たちの魂は共に在るということを胸の内で感じこの子たちの為に生き続けると心に誓い、ゴデを発ちました。エチオピアでのいだきしん先生のコンサートに向かう事が子供たちの為にもなると考え、無我夢中でコンサート実現へと向かい始めました。アディスアベバでは内閣の大臣にたくさんお会い致しました。アディスアベバ市長様にもお会いさせて戴きました。コンサート開催へと向かい、祈る様な気持ちで無我夢中でエチオピア大使と共に動きました。エチオピアの大臣が実行委員となり、エチオピア政府、私共NPO高麗、NPOいのちとの共同主催によりいだきしん先生のコンサートを開催する事が決まりました。2001年1月11日、初めて「高句麗伝説」を開催しました。父は事始めはいつも一の日を選んでいました。私も一の日を選び、一並びの日をスタートと決めました。はじめは、いだきしん先生が作って下さいました「高句麗伝説」のCDを流しながら私が詩を詠んだり、お話をさせて戴くイベントでした。エチオピアコンサートが決まりましたのでコンサートに向けての主旨をお話することが多くなりました。コンサートが実現するまで「高句麗伝説」にてずっとエチオピアコンサートの主旨をお話させて戴きました。続く…