ベイルートから日本に帰り、レバノンでのコンサートを開催したい気持ちを実現したく動き始めました。2000年12月には再びエチオピアに行きました。エチオピア政府の方が、物やお金よりも、この飢餓の問題や貧困の問題を作っているのは社会であり、社会は人間が作っているので、人間の内面を変える事が一番してほしい事とおっしゃったのです。私は稲光が落ちる様な衝撃を受けました。日本で常に人間の内面が外的環境を作るという事、故に人間の内面から変わらないと社会は変わらない事を表現し続けて参りましたが、中々すぐにご理解頂ける事はなかったのです。初めてお会いしたエチオピアの政府の方は、日頃私がずっと表現してきた事をおっしゃったので大変衝撃を受けました。私は人間の内面を根源的に変えていけるいだきしん先生のお話をさせて戴きました。そして自分の人生の経験のお話をさせて戴きました。内面に受け継がれてきた運命が解放され自分の生命は助かった事、そして真の自分を見出し本音で生きて人生拓かれた事をお話させて戴きました。エチオピアでいだきしん先生のコンサートが開催できれば、人間の内面を変えていくという根源解決になるという事をお話させて戴きました。大変興味を持って頂き、エチオピア大使との面会の時がやって参りました。エチオピア大使も大変興味を示して下さいました。そして、まずはご経験頂きたい気持ちをお伝えさせて戴き、大使も喜び同意下さり、東京で開催致しましたいだきしん先生のコンサートに大使はじめ大使館員の方々にご参加頂きました。エチオピア大使のコンサートでの経験を表わした文章に大変感動致しました。ここに掲載させて戴きます。「この音楽は、宇宙と地球をひとつに結び、この世のあらゆる境界、政治、民族、言語、宗教の境を解いて人間をひとつにする音楽である。」そして、エチオピアでのコンサート開催に向かい共に動いていく事を同意して下さいました。その為に12月に再びエチオピアに行く事となったのです。
この時の旅は駐日エチオピア大使と共に行かせて戴きました。コンサートの打ち合わせと共に、8月に干ばつの地ゴデに行った時にゴデのお医者様と約束した事を守る為に行きました。何が欲しいかと問うた時に、可動式のレントゲンとお医者様はおっしゃいました。必ずお届けします、と約束しました。レントゲンはビルケナシュ基金のお金が貯まっていましたので、すぐに購入しエチオピアへ送りました。ところが中々着かない事を知り、どこで止まっているのか調べるとその時はイタリアに止まっていたのです。それからエチオピアに届いた所までは確認できましたが、レントゲンを探し、届ける事が大切と考え、エチオピアに着いてからはレントゲン探しに尽くしました。エチオピアには到着していましたが、エチオピアの法律で2週間経たないと通関できない事を知りました。エチオピア大使は運輸大臣をご紹介下さり、運輸大臣に特例とし2週間以内ですが通関してほしいと依頼して下さいました。運輸大臣は快くお引き受け下さいました。私達がゴデに向かう飛行機に載せて運ぶ事になりました。当日飛行機に乗り込もうとしましたが、レントゲンを積み込んでいる様子が見えず確認しました。レントゲンは積み込まれていなかったのです。レントゲンが積み込まれなければこの飛行機には乗れないと訴えながら、空港中レントゲンを探して頂きました。しばらくし、レントゲンが運ばれ、積み込まれました。私達も飛行機に乗り込み、ゴデへと向かいました。ゴデでは感動的再会が訪れました。