世界伝説 第13弾

ベイルートの空港からロイヤル・ヨルダンエアラインにてアンマンの空港へと飛び立ちました。生まれて初めてヨルダンの地に降り立ちました。空港のトイレに入った時、鍵が開かなくなり、冷汗が出る程緊張しました。誰でも閉じ込められる事を好む人はいないと思いますが、私は閉所が苦手です。貧血を起こしそうになりますが、この時は必死でドアを開けようとしました。外で女性達が気付いてくれ、皆でドアを叩いてくれましたが、ドアは開く事がありませんでした。ドアの向こうでジャンプ、ジャンプと聞こえ、私はドアをよじ登り、幸いにも上が空いているドアでしたので、女性達に言われ、ジャンプし、ドアの外に出たのです。見知らぬ女性達と歓声を上げ合い、喜び合いました。こんな経験はした事がありません。今まで怖かった事を乗り越えた喜びで、とても強くなれた気持ちがしました。アンマンの空港から町に出ました。英語もフランス語もスペイン語も通じない町です。アラビア語より通じず、アラビア語はちんぷんかんぷんですので、何も通じない事が面白いと感じ、笑いが込み上げてくるのでした。やっとタクシーに乗ることができました。まるで時代が戻った様な街並みでした。ラクダが歩き、のどかな時間が流れています。同じ地球上に生きているとは思えず、このような時間で生きている国があるのかと驚くばかりでした。ヨルダンの王族の王妃の指示に従い、あるホテルまで向かいました。到着したホテルも世界のどこででも見る事がないホテルでした。ラクダが歩いている街並みに合うホテルでした。ゆっくりとした時間が流れるホテルの中で、王妃のお迎えの車を待ちました。

やがて車が到着し、王妃のお宅へ向かいました。スウェーデン人であります王妃は、私達の活動に大変理解を示して下さいました。私は持参した「高句麗伝説」のCDの「五女山城」を流して頂きました。激しくダイナミックなエネルギーが溢れる曲です。王妃と友人のスウェーデン人の女性は、アラブ人が喜ぶ音楽と笑いながらおっしゃいました。ヨルダンでのコンサートにはご協力の気持ちを示して下さいました。静かで本質的なお話ができる語らいの時を過ごすことができ、とても心が安らぐひと時でした。次に、ヨルダン大使館からご紹介頂きました文化省へ向かいました。ここでも私達のコンサートは賛同を得、協力の意を示して下さいました。ヨルダンでのコンサートの可能性が見え、文化省の方がコンサート会場の候補地をご案内下さいました。街中にある野外劇場でした。既に夕暮れ時となっていました。夕暮れの風が吹く中を、楽しそうなカップルが野外劇場の椅子に座り語らっていました。なんて楽しそうなのだろうと微笑みが生まれました。ここでコンサートができればいいと私は心が浮き立ちました。

ヨルダンにはレバノンのベイルートで購入した服を身に着けて行きました。いつも宿泊するホテルには、私の大好きなブランド、ジャン・フランコ・フェレがありました。そこで購入したスマートな軍服の様な服を着ていったのです。故にトイレのドアをジャンプし、外に出る事ができたのです。野外劇場でも自分は軍人の様な気持ちになり歩いていました。いだきしん先生がおっしゃった言葉を自分は聞き間違え、軍人さんみたいですかと私の事をそのようにおっしゃったのだと聞こえたのです。いだきしん先生は、軍人はそんなやわじゃないよと笑っておっしゃいました。私は心の中でくすっと笑い、軍人さんはこんなやわじゃないかと笑いながら受け止めたのでした。その頃自分は、戦う兵士の様に一寸の隙もなく強く生きていきたいと願っていました。自然と服も動きやすい服を選ぶ様になっていました。心地良い野外劇場からいくつかの遺跡をご案内頂き、最後にマーケットに連れて行って頂きました。マーケットの中は溢れる人と掛け声を交わす人々の声に溢れていました。私には聞き慣れないアラビア語は怒っている様にも聞こえ、大きな声で元気よく話していると喧嘩でもしているのかと感じてしまうのでした。あまりの熱気に自分はいたたまれなくなり、全身が痛みました。いつも突然何かを身に受け倒れてしまうので、倒れる前にここを抜け出そうという気持ちでマーケットを抜け出しました。

倒れる前でしたので倒れずにアンマンの空港まで向かう事ができました。夜の9時頃になっていたかと思います。人気がないアンマンの空港のロビーにてその日初めて食べ物を口にしました。ドーナツとコーヒーを食べ、とても美味しかった事がずっと良い思い出とし残っています。こんなひと時がいつも旅の忘れられない思い出となります。ベイルートに到着し、いつものホテルのいつものレストランでいつもの席につき、夕食をとりました。とても体が重く具合が悪くなりました。いだきしん先生からマーケットで逃げたからと一言おっしゃって頂きました。私はドキッとしました。自分はマーケットの中で倒れたら、また救急車騒ぎとなり迷惑をかけると心配し取った行動が、逃げたのだというお言葉を聞き、大変驚きました。スウェーデンにて、環境団体の会長様と夕食を共にしている時、私は突然苦しみを身に受け、倒れてしまったのです。救急車を呼ぶ騒ぎとなりましたが、いだきしん先生が大丈夫とおっしゃって下さり、その後回復したのです。ヨルダンでも倒れたらと考え、自分では手を打ったつもりでした。が、胸がドキッとした事で図星である事を受け止めました。倒れる事を恐れ、その場にいる事を逃げたという事は生命で分かりました。その事を受け止めました。後日、ヨルダンはパレスチナの難民を最も多く受け入れている国と知り、ヨルダンの人口の3分の2はパレスチナ難民と知ったのです。マーケットにはパレスチナの方が大勢いらっしゃいました。そして、あの野外劇場で楽しそうに過ごしていたカップルもパレスチナの人と分かりました。パレスチナの人の痛みを受け、倒れそうになったのだという事に気づくことができました。次は逃げずに痛み、苦しみを身に受け、抜け出す道を見つけると心に誓いました。今もあの時レストランの窓から見たベイルートの夜の街の明かりが心に残っています。続く…