世界伝説 第17弾

再びエチオピアに行く時がやって参りました。コンサートの打合せの為です。私は、旅の支度をしている時に何故か黒い服を用意しなければいけないと心に浮かび、黒い服をスーツケースに詰めました。私は、ふと見える事を行うと、後から何故見えたかが分かる現象が起こり、助かるのです。生命は、未来を予感しているという表現をよく使いますが、その様に感じています。ふと見えた事をやらないでいる時に、困る事が多い事もずっと経験しています。この時も黒い服を何故詰めなければいけないかと一瞬考えましたが、それ以外の服がどうしても浮かばずにそのままスーツケースに入れた事をよく覚えています。エチオピアに着いてすぐにエチオピア大使の奥様がお亡くなりになった事を知りました。以前から、癌である事、中国まで行き漢方で治そうとしておられた事をお聞きしていました。そして、お体が動く内にエチオピアに帰るという事もお聞きしていました。エチオピアに帰り、ご家族がずっと看病をしておられたのですが、お亡くなりになったのだと知り、深い悲しみを感じました。大使の御家に弔問に伺う事となり、黒い服を着ました。この時の為だったのかと生命で頷いたのでした。途中、お花を買い御家に伺いました。御家に入った時から深い悲しみの空気に満ちていました。大使も大変悲しんでおられ、力を落としておられました。まだ小さなファティマちゃんという女の子がいらっしゃいます。ファティマちゃんには、お母さんが亡くなった事は告げていないと聞きました。お母さんはメッカに巡礼の旅に出たと伝えていると聞きました。悲しい事と感じ、ただ祈るよりない気持ちでいました。

 この時は、アディスアベバでアディスアベバ市長さんにお会いしたり、大臣にお会いしました。アディスアベバ市長さんは、とても精悍なやさしい方と感じ、素晴らしい御方にお会い出来、とてもうれしく感じました。運輸大臣もとても良い方と感じます。エチオピアを代表するエチオピアらしいホテルというギオンホテルが大使のお気に入りのホテルでした。ギオンホテルの中庭で運輸大臣とお会いし、明るい日差しの中、風に吹かれてお話した時のひと時は今もずっと心にあります。いつもエチオピアの木々の緑は濃く、エネルギッシュです。そして、真っ赤な鮮やかな花が咲いています。とても色が濃い事が心に残ります。日本で言えば、通産省に行った時の事です。木造で造られた古い建物の中に入りました。廊下も懐かしく感じる様な、日本では既に見る事のない建物でした。お部屋に通され、開け放たれた窓の外に見えた風景に私は胸の奥が動きました。まるで写真を撮る様にし、その場面が心に焼き付いているのです。私は「この光景を知っている」と感じました。昔ここに来た事があるのだろうかと、来た事がない事は明らかに分かっているのに、胸の内では確かに知っている光景だったので、いつの事だったのかを思い出そうとしたのです。アフリカに来る機会は、過去にはありませんでした。この度が初めてなのです。なのに、私は「この場面を知っている」と確かに感じる感覚がありました。ふと、10歳の時の事を思い出しました。アフリカでは食べ物がなくて、子供が死んでいくというニュースを初めて聞きました。雷が落ちた様な強い衝撃を受けました。時間が止まった様に、自分が何処にいるのか分からなくなる程の衝撃でした。本当の事なのだろうかと疑いもしました。子供が、食べ物がなくて死んでいくなんて本当の事なのだろうかと、何度も心の中で問いました。食べ物がなければ、子供から食べ物を与えていくのが当たり前と考えていたからです。そして、食べ物は皆で分かち合うものと考えていました。食べ物がなくて死んでいくなんて…。信じられない事でした。次には、世の中にはお金持ちが一杯いるのに、何故、子供が食べ物がなくて死ななければいけないのかと考えました。そして、頭が良い人も一杯いるのに何故、子供が死ななくてはいけないのかとも考えました。そして、自分が何が出来るのかと考え続けました。子供であり、お金もありません。助けたくても、助けに行く術も分かりません。虚しくなりました。せめて自分が物を食べずに同じ飢餓の状態でいる事が、共に生きる事と答えを出しました。その時から食事をしなくなり、母が大変心配をしはじめました。そして、ある時、母はきっぱりと言いました。「あなたが食べなくても、あの子達が助かる事はない」と。悲しくて、涙があふれました。確かに、私が日本で食べ物を食べなくなったところであの子達が助かる事はない、とはよく分かります。せめて気持ちは共にありたいと願い、物を食べなくなったのです。母は「食べなきゃ駄目だよ」と言いました。母はやさしく、この様な事を言う様な母ではありません。私を心配して言っている事はよく分かりました。私は、涙を流しながら再び食事をする様になりました。無力さに泣くばかりでした。私は、未来にアフリカに行く事を予感していたのかもしれないと通産省の一室から窓の外の風景を見た時に、10歳の時と今が繋がったのです。ここに来る事を生命は予感していたのかもしれないと感じると、生命の奥深くでは合点がいくのでした。人間とは不思議な存在と感じます。生命の奥にある記憶は、本音であるのです。本音が生まれても気づかなかったり、押し殺してしまったり、あきらめたり、忘れてしまっていても、生命の内には在り続けるのだと分かる事の連続でした。いだきしん先生に出会ってから、ふと気づく事、思い出す事によって、本当は自分の感じていた事は正しかったのだと分かる事の連続でした。生命の内には、その時の事が記憶として残っています。先生とお話していると、生まれた本音や正しく感じていた事が思い出されるのです。子供の時は、本音で生きていたのだと分かるのでした。私は、本音は「生命から生まれる生命の芽」とも時折表現します。生命から生まれた芽は、押し殺しても、忘れていても、出会いによって蘇ると表現します。生命から生まれた芽を潰したまま、気づく事もなく生涯を終える事は、あまりに悲しい人生と感じます。私は、いだきしん先生に出会い、生命から生まれた芽である本音を思い出す事が出来て、本当に命拾いしたといつも胸を撫で下ろし、感謝の気持ちがあふれて参ります。まさか10歳の頃、アフリカに来る事を予感していたとは、考えもつかない事でした。が、今アフリカの地にて、アフリカの木々、花々を見、ここに来る事を予感していた生命の感覚が蘇ってくるのです。

人生の不思議さ、素晴らしさに胸震え、感動します。アディスアベバでお会いする方々は、生まれて初めてお会いする方々です。勿論、初めてお会いするという事でもありますが、今までお会いした事がない様な人々なのです。ある朝、大使と一緒に孤児院を訪れました。お出迎え下さった女性は、とても控えめで慎ましやかな御方でありました。大使と接する、そのお姿を見た時も日本でこの様な仕草をする女性はいないと感じるのです。とても微笑ましいお姿でありました。孤児院で子供の髪をとかす女性もやさしい方です。子供達の衣類やシーツにアイロンをかける女性もとてもやさしくて、見ているだけで心がやさしくなり、微笑みが生まれます。

ふと私もここでこの女性達と一緒に働き、子供達と共に暮らしてみたい気持ちが生まれたのです。出来る訳がないのに、その様な気持ちが生まれた事に自分自身が大変驚きました。孤児院の空気はとても温かく、大きな家族でした。沢山の子供達がいて、皆家族と感じる空気でした。まだ0歳だと見える凛々しい男の子に会いました。ベッドの上で寝ていますが、瞳は未来を見ています。手を上げ、未来を見据えているその赤子の瞳に神を見ました。大きくなったら大統領にでもなる様な子供だと感じました。この様な瞳の子が大統領になる国は、良い国となると感じました。とても和やかで心温まる孤児院でのひと時は、幸せでした。この子達が健やかに生き、幸せに生きてほしいと心の底から祈ります。この時の旅は、既にコンサートに向かっていましたので、エチオピアの厳しい状況を身に受け、大変体も苦しく、困難な道を乗り越えていく体感でした。コンサートを開催するという事は、いつもその国の歴史や生きている人々の運命を見ます。コンサートへ向かう道のりは、困難続きです。困難な事に遭遇する度に、この国はいつもこの様な巡りにあってきたのだという事が分かるのです。故にここで断念したら、再び歴史が繰り返されます。いだきしん先生が運命の壁を身に受け、変えてゆかれますので困難な事は解決に向かっていけるのです。2度と過去の歴史を繰り返さず、新しい道が拓かれると分かります。一つ一つ困難、壁を乗り越え、コンサート開催へと向かっていくのです。大変厳しい状況が身をもって分かるエチオピアでのコンサートに向かう活動の旅でした。初めてエチオピアを訪ねた時は、初めて観光の旅となりました。観光で歩いている時は、あまり苦しみを感じません。ところが、コンサートが決まると一気にその地の苦しみ、悲しみ、歴史がそのまま動き出し、途轍もないエネルギーを身に受けるのです。とても苦しく、身動きがとれない状態となりますが、いだきしん先生が全てを引き受けて変えて下さるので抜け出していけるのです。コンサートを開催するという事は、人間の生命、自然の生命に負担がかかる状態を変えていく事という事を生命をもって分かる経験となります。一回一回、エチオピアでの経験は違うのです。次から次へと解決しながら向かっている事だけはよく分かりますので、留まらずに、ただ実現に向かうのみと心しながら苦しい時も乗り越えてきました。アディスアベバは標高2355mで高地ですので、お湯を沸かしても菌が消えない様で、何を飲んでもお腹を壊します。ホテルのレストランで何を食べてもお腹を壊します。この様な事もとても辛い事の一つになります。突然、倒れたりする仲間もいます。が、医療の設備がありませんので、いだきしん先生がいつも倒れた人の事を身に受けながら、良くなるまでずっと共に在るという事が分かる経験をしています。いだきしん先生がいなければ、とても不安になると感じる事が多いです。初めてエチオピアに行った時、大学生の姪も一緒に行きました。岩の教会のあるラリベラに行った夜、姪は高熱を出しました。日本にいる時、初めて行くアフリカですので、色々旅の本を読み、調べていました。高熱が出たりすると疫病にかかっている恐れがあるので、すぐに近隣の医療の設備が整っている国に移動する事と書かれてありました。私は、その事を心配し、夜通し眠れませんでした。いだきしん先生は「神に出会った衝撃による体の変化」とおっしゃっていました。唯一そのお言葉だけが、心の支えで夜を過ごしました。そのお言葉とひとつにある事が、回復に向かう事と必死に神と共に在る事に尽くしました。夜が明け、姪は熱も下がり、ケロっとして元気になっていました。腰が抜ける程ほっとしました。「神様、ありがとうございます」と心の底から御礼を言い、何より「先生、ありがとうございます」と、いだきしん先生の働きの凄さを、身をもってわかりました。その後も建物もない、道もない道を行く旅は続きます。同行者が具合が悪くなると、とても心配になります。が、いつもいだきしん先生が共にありますので必ず回復していく事が救いでした。私は、腹を括りました。私は、いだきしん先生にお会いしてから医療機関に行く事もなく、薬を飲む事もなく生きてきました。体が悪くなると体に聞き、原因を分かると良くなっていくので、自分で自分の事が分かれば、生きていける事がとてもありがたく、これ程安心出来る生き方はないと、いつも胸撫で下ろし、ありがたい気持ちで生きてきました。日本にいても医療機関に行かないのですから、医療機関がないエチオピアにて不安になる事はないと気づくと、やっといつもの自分らしくなれたのです。何処にいても本音で生きていけば良いのだと気づくと、笑いが込み上げてきました。本音を分かる事は生きていく力です。エチオピアにいても本音を分かる事で体を壊しても乗り越えていける事が大変ありがたい事と感謝するばかりです。続く…。