世界伝説 第11弾

2000年11月1日午後1時、晴れて、レバノン大使館に行く事が実現しました。レバノンの全権特命大使のお部屋の扉が開き、大使と初めてお会い致しました。お会いした瞬間、心触れ合うものがあり、旧知の知り合いにお会いした様で、とてもうれしくなりました。そして、亡き父によく似ている御方でありましたので、父に会えた様にうれしくなり、涙まで滲むのでした。レバノン大使も私を娘とし受け容れて下さいました。私は「今日は父の命日です。世界に伝えたい事を書いたものとビデオを本日はお持ち致しました。完成してお渡しする初めての御方が大使です」と申し上げました。本当は、初めてお渡しした方は、いだきしん先生です。外部の方で初めてお渡しした方がレバノン大使だったのです。大使は深くお辞儀をして下さり、大変喜んで下さいました。心からの感謝を伝えて下さいました。フォトブックを見る前に内容をお分かりになった様です。「貴方が何をしたいかは分かりました」とおっしゃいました。まだ何も話していないのに、そうおっしゃる大使のお言葉に驚きました。どの様にご理解頂いたのかという事を知りたくて、大使に失礼ながらお尋ねさせて戴きました。大使は「愛によって世界を制覇し、平和にしたいのですね」とおっしゃったのです。「世界を制覇」という言葉は日頃、自分は使う事はなく考えた事もない事ですが、平和を創るという事は、子供の頃から祈り続けて来た事でございます。それも、愛によってという事でご理解頂いたのだと分かり、大変うれしく感動しました。会っただけで分かって下さる方がいらっしゃる事を初めて経験しました。何より、いだきしん先生にお会いしていますので、会うだけで自分以上に自分の事を分かって下さるという事を生まれて初めて経験し、余命2カ月の生命が助かり生きている私です。言葉は同じですが、いだきしん先生の様な方は世界におられない事はよく分かっております。その様な中で、いだきの仕事を始めた時、人は会っても分からない、話しても分からないと感じる事ばかりでありましたので、お会いして、まだ話をする前にご理解頂けた事が大変うれしかったのです。お部屋に通して下さり、レバノンのコーヒーを頂きました。その空気も風もレバノンです。私は、レバノンの空気、風に触れるだけで生命が躍動し、心がときめきます。とても幸せなひと時を大使と過ごしました。大使は、私の為には全面協力をします、とお申し出下さいました。大変うれしい出会いでした。私は、レバノンに行く事を話していました。文化大臣が親友なので、ご紹介下さる事になりました。私は、11月には世界開拓の旅に出ると決めていました。「高句麗伝説」のフォトブックとビデオが完成したら、世界開拓の旅に出て、世界平和実現への道を創ると決めていたのです。まず、何処に行こうかと考えました。いつもであれば、大いなるはたらきかけを受け、偶然の巡りでコンサートを開催させて戴く事が多かったです。が、この時は自分で考え、道を創っていかなければなりませんでした。毎夜考え、考え尽くし、中々道が見えずに大変苦しみました。まずは決めていこうと、決めはじめました。アメリカは以前、全米ビルボード・ヒットチャートの14位に、いだきしん先生のCDが入った事があります。ロサンゼルスを中心に、毎月プロモートの為に行っていた事があります。ニューヨークのカーネギーホールでもコンサートを開催しました。再びアメリカに行く気持ちにはなれず、ヨーロッパに定め、イギリスとフランスに行く計画を立てました。以前、任意の実行委員会を作り、皆でボランティア活動をしながらコンサートの運営資金を集め、動員活動もしました。S.T.実行委員会を作り、S.T.コンサートを開催しました。熊本、沖縄、両国国技館、日本武道館にて開催しましたので、世界中の方にもメッセージをお送りさせて戴き、賛同のメッセージを頂くという活動をしていました。沢山の国々のリーダー、著名人から賛同のメッセージが届きました。メッセージを下さった方々に私は、アポイントメントの依頼のお手紙を書きはじめました。中々アポイントメントが成立せず、出発の日は近づき、大変不安な気持ちで心が暗くなる程でした。いだきしん先生は「誰にも会えなくていいから、行ってみる事が面白い」とおっしゃって下さいました。ありがたいお言葉でしたが、そうはいっても、貴重ないだきしん先生のお時間をとるわけですから、何かしら動きを作っていかなければ申し訳ない気持ちで一杯でした。

フランスの方からは丁寧にお返事を頂きましたが、この度の時間が合わずにフラランス行きは断念致しました。ロンドンに賭けて日本を旅立ちました。出発の前日、唯一ケンブリッジの市長さんとのアポイントメントが決まりました。ロンドン、そして以前シルビア王妃がご参列下さったスウェーデンでのコンサートの時にお会いした環境団体の会長さんに会いにストックホルムへ行く予定を立てました。それから、レバノン大使にご紹介頂いた、文化大臣にお会いしにレバノンへと向かう旅の予定を立てました。ロンドンでは、無事にケンブリッジ市長さんにお会いさせて戴きました。アポイントメントは、一つよりありませんでしたので、次はどうしたら良いのかと考えていましたが、丁度ケンブリッジまで連れて行ってくれたタクシーのドライバーがイランの亡命者だったのです。私達の活動に大変興味を示して下さいました。そして、ご家族でありますロンドン大学の教授の家に連れて行って下さいました。やはり、イランの亡命者でありました。とても厳戒態勢が敷かれていました。緊張しながら、その教授の御宅をお訪ねさせて戴きました。扉が開き、お会いしたその方は満面の笑みでやさしく私を迎え入れて下さいました。手を握り「これからロンドンに来た時は、まず私の家に来て下さい」と何度も繰り返しおっしゃいました。初めてお会いした方に、これ程喜び迎え入れて頂き、自分の家と思って必ずここに来るようにとおっしゃって頂いた事に私は、喜びながらも戸惑ってしまったのです。どの様な理由で…と考えてしまったのです。日本で、いだきの仕事をさせて戴き、驚く程人間の本性を見る機会がありました。表面は繕っていても、本性はまるで違うという事に驚くばかりでした。日本には「建前」という言葉があります様に、建前を本気で聞いてしまうと、大変な事になるという事を知る経験ばかりだったのです。故に、笑顔で迎え入れて下さった教授のお気持ちをそのまま受け止める事に戸惑いを覚えてしまったのです。大変恥ずかしい事と後から分かりました。「今朝、窓から鳥が入ってくる夢を見た」と教授はお話下さいました。「今日、家を訪ねて来る人は神様の使いと夢のお告げで教えられた」とお話下さったのです。イスラム教徒は、この様な事が日常に起こる方々である事をレバノンに行った時から知る事となったのです。神様と共に生きておられる方々に、疑う心は大変失礼な事であります。私は心から、心を入れ替えると決めました。教授の家にお越しになっていたテヘラン大学の教授とも交わりながら、ロンドンでのいだきしん先生のコンサート開催の打合せをさせて戴いたのです。

日本で旅の計画を立てている時には、想像も出来なかった出会いと展開となりました。そして、スウェーデンへと向かい、スウェーデンでお会いした方からヨルダンの王妃の事をお聞き致しました。ヨルダンに行ったら、その方にお会いすると良いとのことでしたが、残念ながら連絡先をなくしてしまったという事なのでした。ただ、王妃ですから連絡先は探せば分かるとおっしゃってお名前を教えて下さいました。再びロンドンに戻り、ロンドンからベイルートへと向かいました。2度と来れないと、寂しく感じていたベイルートの街に私は再び降り立つ事が出来たのです。人生の不思議さを想い、心ときめきベイルートの街をしっかりと目に焼き付ける様にし眺めました。相変わらず車のクラクションの音とキーキーというブレーキを踏む音が鳴り続ける街であります。再び来れた事が本当にうれしくて、何を見ても心がときめくのでした。続く…