いだきしん先生に出会い、生命の内に受け継がれてきた高句麗の歴史が運命となっている事が紐解かれ、解放されました。いだきしん先生は、まるで歴史の巻物の様だとおっしゃいました。私も歴史の巻物を紐解く様に受け継がれた運命の因子を紐解く時、高句麗の真の歴史が紐解かれていく事に大変驚き、同時に感動しました。高句麗の真に出会う時、内面が拓き、頭が良く働く様になる事を経験したのです。人間は真に出会うと、正しく判断、決断し、頭が働く様になる事を初めて知りました。運命が解放され、母の胎内に発生した瞬間の光を見出した時、この身がないかの様に身が軽く、空間とひとつである体感が心地良く、自由を感じ、正に「生きていける」状態でした。真の光は、真の自分であります。私は、先祖の歴史が受け継がれていましたので、王様の様な性格になる時と、お姫様の様になる時と様々に現わる自分の性格に大変戸惑い、苦しみました。どの性格が本当の自分なのだろうかと常に考えていました。いだきしん先生に出会い、運命が紐解かれていくと何故この様な性格であったのかという事の謎も解けていきました。全ては受け継がれていたものであったのです。そして、真の光を見出し、真の自分を取り戻した時、最も自由で苦も無く生きていける自分を見出しました。そして、過去は今生きる私の生命に融合し、生きる力、知恵と変わりました。悲しみは愛と変わり、2度と滅ぶ事のない人間の生きる世界を創っていく気持ち、力と生まれ変わりました。生命があるという事は、過去は過去で終わらずに今生きる生命に溶け込み、新たな力に変わる事を経験し、人間の生命、人間の存在の計り知れない力、神秘的な事に感動します。
1998年元旦、穏やかなお正月を一人で過ごしていました。開け放した窓から心地良い風が吹いてきます。春の様な温かさに包まれて、私は本を読んでいました。突然、ある写真を見た時に、時間が止まる程の衝撃を受けました。自分が何処にいるのか、何を見ているのか意識できなくなりました。時間のない世界でしたので、どれだけの時間が経ったのかは分かりません。はっと我に返り「ここは何処」と写真の場所を分かりたく、文字を探しました。何と「高句麗発祥の地、五女山城」と書かれていました。ここは高句麗発祥の地と分かり、生命の中を光が走り抜けた衝撃を受けました。同時に「私はここへ行く」と本音が生まれました。私は、生まれて初めて先祖高句麗の地へ行く事を考え、旅の計画を立て始めました。自分の生命に受け継がれた高句麗の歴史を、その地に身を運び、自分の生命で分かっていきたい気持ちがありました。現地に行って真実を確かめてみたい気持ちもありました。行く時期は大好きな5月、私の誕生月です。緑輝き、爽やかな風吹く5月、生まれて初めて高句麗の地へ旅立ちました。中国大陸、北京の空港に降り立ちました。駅に向かい、夜行列車に乗りました。夜行列車が苦手な私は、いだきしん先生に「先祖の地に行くのだから、楽しい旅になるよ」と言って頂き、苦手と感じるよりも先祖の地へ行くときめきに胸が震えました。車窓から見える風景は、心の中にあった故郷の風景です。私は、初めて訪ねるのに、心の中ではここを故郷として生きてきた事を知りました。どこまでも果てしなく続く大地、天に真っ直ぐ伸びる木、ここが心の中にある故郷の風景でした。日本に生まれ、日本で見た風景ではなく、大陸の風景が心の中にあったのです。夜行列車に乗り18時間、高句麗の地に降り立ちました。最初に降り立った地は、高句麗第2の都があった集安です。駅に降り立ち、最初に訪ねたのは、高句麗将軍塚でした。将軍塚の前に立ち、岩に手をあてると「悲しみを解決出来ずに、後世に受け継がせていく事が何より悲しい」とメッセージが聞こえました。父の背中に見た歴史の影、悲しみと同じ光景を見ました。代々受け継がれてきた悲しみは、いだきしん先生に出会い、受け容れられ、光と変わり、愛と変わりました。やっと高句麗歴代の王の悲しみが癒され、新しく生まれ変わる時が来た事を将軍塚は語っていました。胸の内は涙よりなく、涙と共に悲しみが癒されていく様でした。そして、丸都山城を歩きました。山々に囲まれて、穏やかな大地に小川のせせらぎの音が聞こえます。声はこだまし、山々に響きわたります。小川のせせらぎの音に心浄められ、心地良い風が吹くだけで、生きている事の喜び、感謝に震えます。「人は、ただ一緒にいるだけで楽しく、幸せ」と聞こえました。高句麗人は、ただ一緒にいるだけで楽しく、幸せだったのだと分かり、涙しました。