世界伝説 第65弾

2006年10月、8年ぶりに五女山に行く機会が訪れました。夢の様だと、信じられない気持ちでありながら、私は嬉しくて嬉しくて、嬉々とし、五女山に行く準備をしました。「東明王様にお土産を…」と思い、心模様を描き、額に入れました。とても美しい心模様作品が誕生しました。嬉しくて、東京のカフェ高麗屋、当時カフェ哲にて集った仲間達に見せたのです。「これは、東明王様へのお土産なの」と大喜びで見せたのでした。が、次の瞬間「東明王様は生きている御方ではないので、お土産を持っていっても何処に置いてきたらいいのか」と思わず言っていたのです。土に埋めてくるのか、何処かに置いてくるのか、想像した時、悲しくなってしまったのです。このお土産は、私の手元に置いておこうと決め、旅の荷物には入れませんでした。今生きている人のお土産を作り、荷造りをしました。瀋陽の空港に降り立った時、嬉しいながらも、恐怖を感じました。恐怖は、管理が強い中国の社会体制を感じて、緊張したものと自分では考えていました。体が震えてきましたので、いだきしん先生にその事を告げると「東明王様がいるし、先祖が一杯待っているから大丈夫だよ」といだきしん先生はおっしゃって下さいました。私もそのお言葉を聞いた時に、胸の内が嬉しくて嬉しくて、喜びがあふれ出て、恐怖は解けていきました。スーツケースを受け取り、外に出る時、沢山の先祖が迎えに来てくれている様でとても嬉しかったです。が、現実には私の身内は、ここには一人もいないのです。故郷に帰ってはきても、迎えてくれる身内はいない、不思議な気持ちがありました。けれど、沢山の魂が迎えてくれていました。涙があふれてきました。空港で韓国から来てくれた知人、李さんにお会いしました。まさか中国でお会い出来るとは、不思議なご縁だと感じました。

瀋陽から五女山へと向かい、車に乗り込みました。以前と違い、高速道路が開通していました。それでも、五女山への道は遠く、幾つもの山を越え、6時間から7時間、車に乗り続けます。私は、中国の田園風景を眺めながら、山を越える道に入ると、いつも眠ってしまうのです。そして、目が覚めた時、まるで違う空気が漂っているのです。とても深遠な空気で、深く、静かなのです。この静けさ、深さは、いだきしん先生の様だと、いつも感じるのです。そして、目に飛び込んできた標識には「桓仁県」という文字が書かれているのです。五女山がある桓仁県に到着したのです。

 

高句麗発祥の地がある地は、いだきしん先生の様な本質的で、重厚で、深遠なる空気の地である事を、私は誇りと感じます。東明王様はこの地で高句麗を建国したという事が、言葉に言い表せない程凄い事だと、畏れを感じます。町並みも以前とは随分と変わっていました。新しい建物も一杯立っています。以前は、土壕の様な家が並んでいましたが、今は高い建物も時折立ち、町は大きく変わっていました。8年の年月を想います。ガイドさんが車を止めてくれました。ここから五女山が見えると教えてくれました。私は、すぐ車から飛び降り、五女山を見つけ、驚喜し、涙ほとばしりあふれました。涙流し喜びました。生命は嬉しくて嬉しくて、喜びに震え、驚喜しています。五女山に帰って来れた事を皆に伝えたくて、心の中で「帰ってきた。帰ってきた。」と叫んでいました。何でこんなにも嬉しいのかと、理屈なく、生命は嬉しくて、喜びあふれ、涙ばかりが込み上げるのです。

ホテルに着きました。1998年に泊まったホテルだと知りました。同じホテルであっても、ホテルまでまるで違う様に感じました。私はホテルの部屋に入って、最初にコーヒーを淹れたのです。日本から持ってきた、アンドロメダエチオピアコーヒーのドリップバッグをお湯を沸かし淹れる事が出来たのです。以前は、お湯を沸かすにも大変でした。ポットもなければ、ミネラルウォーターもなく、水道の蛇口をひねれば、赤や茶色の水が出てくるのです。とても飲める様なものではありませんでした。この時はミネラルウォーターもあり、ポットもついていました。コンセントを差し、スイッチを入れたらお湯が沸いた事も、とても嬉しかったのです。ポットはあれど、スイッチが入らない事も過去には何度も経験していました。無事にお湯が沸き、コーヒーを淹れる事が出来、五女山の麓で飲んだアンドロメダエチオピアコーヒーの美味しい事が身に沁み、また涙しました。「五女山の麓でアンドロメダエチオピアコーヒーを飲めるなんて、幸せ」と一人で叫んでいました。8年ぶりの故郷です。続く…。