2006年10月、8年ぶりに五女山に行く機会が訪れました。夢の様だと、信じられない気持ちでありながら、私は嬉しくて嬉しくて、嬉々とし、五女山に行く準備をしました。「東明王様にお土産を…」と思い、心模様を描き、額に入れました。とても美しい心模様作品が誕生しました。嬉しくて、東京のカフェ高麗屋、当時カフェ哲にて集った仲間達に見せたのです。「これは、東明王様へのお土産なの」と大喜びで見せたのでした。が、次の瞬間「東明王様は生きている御方ではないので、お土産を持っていっても何処に置いてきたらいいのか」と思わず言っていたのです。土に埋めてくるのか、何処かに置いてくるのか、想像した時、悲しくなってしまったのです。このお土産は、私の手元に置いておこうと決め、旅の荷物には入れませんでした。今生きている人のお土産を作り、荷造りをしました。瀋陽の空港に降り立った時、嬉しいながらも、恐怖を感じました。恐怖は、管理が強い中国の社会体制を感じて、緊張したものと自分では考えていました。体が震えてきましたので、いだきしん先生にその事を告げると「東明王様がいるし、先祖が一杯待っているから大丈夫だよ」といだきしん先生はおっしゃって下さいました。私もそのお言葉を聞いた時に、胸の内が嬉しくて嬉しくて、喜びがあふれ出て、恐怖は解けていきました。スーツケースを受け取り、外に出る時、沢山の先祖が迎えに来てくれている様でとても嬉しかったです。が、現実には私の身内は、ここには一人もいないのです。故郷に帰ってはきても、迎えてくれる身内はいない、不思議な気持ちがありました。けれど、沢山の魂が迎えてくれていました。涙があふれてきました。空港で韓国から来てくれた知人、李さんにお会いしました。まさか中国でお会い出来るとは、不思議なご縁だと感じました。
瀋陽から五女山へと向かい、車に乗り込みました。以前と違い、高速道路が開通していました。それでも、五女山への道は遠く、幾つもの山を越え、6時間から7時間、車に乗り続けます。私は、中国の田園風景を眺めながら、山を越える道に入ると、いつも眠ってしまうのです。そして、目が覚めた時、まるで違う空気が漂っているのです。とても深遠な空気で、深く、静かなのです。この静けさ、深さは、いだきしん先生の様だと、いつも感じるのです。そして、目に飛び込んできた標識には「桓仁県」という文字が書かれているのです。五女山がある桓仁県に到着したのです。