ヤルガッチャフェ村へと行った過酷なエチオピアの旅路から、次は日本に帰る途中、北京に寄る予定となっていました。アディスアベバからエチオピア航空で北京行きの飛行機に乗り込みました。知っている人のお顔を見て、思わずにっこりと私は微笑みました。どこで会った方かと瞬時に思い出すと、タンザニアの政府の方でした。タンザニアコンサートの時に、私達を受け入れてくれた担当者だったのです。ところが、コンサートが終わった時に、この方だけは姿を現さなかったのです。私は、御礼を申し上げたいと考え、お会いする事を楽しみにしていましたが、コンサート後は一度も姿を現す事はありませんでした。不思議に思い、関係者に尋ねてみた時に、何かお金に関して不正を行った様でした。それも、私達のコンサート開催にあたってのお金を誤魔化したという内容を聞きました。一緒にコンサート開催に向かい動いていた御方だったので、私はとてもがっかりました。同時に、アフリカで生きるという事の厳しさ、辛さを感じました。変な言い方ですが「よくある話」と聞いたからです。不正でも行わなければ一族も生きていけない状況なのだという事は、よく聞いた話でした。何ともやり切れない事でした。それでも、どの様な事情があったとしても、不正は許してはいけない事ですので、私達は訴え続け、最後はきちんと精算して頂いたのです。機内でお会いしたその方は、私達を見てぎょっとした顔をしていました。人間は悪い事は出来ないものだと、つくづく感じました。まさか、再びエチオピアでお会いするとは、想像も出来ない事でした。同じ機内で長時間を過ごし、北京の空港に着きました。その方は挨拶もせずに、隠れる様にし、飛行機から降りていきました。逃げる様にとか、隠れる様にし生きる生き方は悲しいです。どこでも皆と快く笑顔でお会いし、お別れしたいものだと、この時はしみじみと感じたのでした。北京空港から市内のホテルへと向かい、私は、私の代理人を務めて下さる中国の方にお会いし、打ち合わせをしました。コンサートとカフェの展開のお話です。前回よりも更に進み、私はとても希望を感じました。



