世界伝説 第47弾

ヤルガッチャフェ村へと行った過酷なエチオピアの旅路から、次は日本に帰る途中、北京に寄る予定となっていました。アディスアベバからエチオピア航空で北京行きの飛行機に乗り込みました。知っている人のお顔を見て、思わずにっこりと私は微笑みました。どこで会った方かと瞬時に思い出すと、タンザニアの政府の方でした。タンザニアコンサートの時に、私達を受け入れてくれた担当者だったのです。ところが、コンサートが終わった時に、この方だけは姿を現さなかったのです。私は、御礼を申し上げたいと考え、お会いする事を楽しみにしていましたが、コンサート後は一度も姿を現す事はありませんでした。不思議に思い、関係者に尋ねてみた時に、何かお金に関して不正を行った様でした。それも、私達のコンサート開催にあたってのお金を誤魔化したという内容を聞きました。一緒にコンサート開催に向かい動いていた御方だったので、私はとてもがっかりました。同時に、アフリカで生きるという事の厳しさ、辛さを感じました。変な言い方ですが「よくある話」と聞いたからです。不正でも行わなければ一族も生きていけない状況なのだという事は、よく聞いた話でした。何ともやり切れない事でした。それでも、どの様な事情があったとしても、不正は許してはいけない事ですので、私達は訴え続け、最後はきちんと精算して頂いたのです。機内でお会いしたその方は、私達を見てぎょっとした顔をしていました。人間は悪い事は出来ないものだと、つくづく感じました。まさか、再びエチオピアでお会いするとは、想像も出来ない事でした。同じ機内で長時間を過ごし、北京の空港に着きました。その方は挨拶もせずに、隠れる様にし、飛行機から降りていきました。逃げる様にとか、隠れる様にし生きる生き方は悲しいです。どこでも皆と快く笑顔でお会いし、お別れしたいものだと、この時はしみじみと感じたのでした。北京空港から市内のホテルへと向かい、私は、私の代理人を務めて下さる中国の方にお会いし、打ち合わせをしました。コンサートとカフェの展開のお話です。前回よりも更に進み、私はとても希望を感じました。

エチオピアにて体を壊してしまった様で、北京に着いた時は具合が悪くなっていました。私は、薬は飲まないので、いつも生命の声を聞いて体がよくなっていくという経験をし、生きてきました。この時は、体に聞いても生き方の歪みで悪くなった訳ではない事が分かるのでした。エチオピアは衛生が悪く、何を食べてもお腹を壊してしまいます。それも酷くお腹を壊します。アディスアベバは標高1800メートルでしたので、お湯を沸かしても沸点が低く、菌が消滅しない事は聞いていました。実際、お湯を沸かしコーヒーを飲んでも、お茶を飲んでもお腹を壊すという事が続いていました。その様な中で、唯一アンドロメダエチオピアコーヒーを飲む時、良くなっていく事がとてもありがたい事でした。エチオピアではコーヒーは薬として飲まれています。胃腸の薬と聞きました。真に、エチオピアで毎日お腹を壊していましたが、コーヒーを頂く事で体が温かくなり、どれだけ助けられたか知れません。北京の料理屋さんで「胃腸の調子が悪い時に良い食べ物をお願いします」と注文すると、快く承諾し「これが体に良い」と言い運んで下さいました。とても美味しかったですが、残念ですが、それによって治る事はありませんでした。翌朝は、もう座っているのもしんどい程、胃が悪くなっていました。いだきしん先生が心配して下さり、お話している内に私の胃に負担がかかっている状態を引き受けて下さいました。私の中から苦しいものや、重いものが抜けていく事を体ではっきと分かりました。食べ物だけの問題だけではない事は、体の変化から分かりました。エチオピアも中国も大変な状況である事が、胃の苦しみから分かりました。次第に胃が軽くなり、気持ちが良くなってきたのです。目の前も拓かれ、明るくなりました。私は、胃が悪くなる程の重荷を身に受けていたのだという事に初めて気が付きました。私はよく「被り」という表現を使いますが、重荷を被ると苦しいという事ですら気が付かなくなる時があります。そして、いよいよ動けなくなる程苦しくなった時に、考え始めるという事が続いていました。「被りは怖い」といつも感じていました。ずっと胃が苦しかった状態は、被りであったと分かった時から抜け出す事が出来ました。重荷はいだきしん先生が引き受け、解放に向けて変えて下さったのです。救われた思いで、やっと息が出来る様な状態になりました。これで日本に無事に帰れると安堵しました。胃が痛み、苦しむ状態で移動し、飛行機に乗る事はしんどいと不安を感じていたからです。ありがたい事に、快適に空港まで行き、日本への飛行機に乗る事が出来ました。この様に、重いものを身に受け、いだきしん先生が解決に向かって下さると、状況が動いていくのです。仕事や活動は、どんどん動き始め、成功する様に物事が動き始めるのです。これで北京も動くと感じ、嬉しい気持ちで日本に帰って参りました。続く…。