2005年8月に「高句麗伝説」開催が決まりました。最終打ち合せの為に、6月には再びレバノンへと旅立ちました。明るい日差し、爽やかな風が吹き、レバノンは夏になっています。レバノンの暑さは、風が爽やかなので、苦にならず、とても快適に過ごす事が出来ます。ティールの市長さんにお会いしに伺うのは、必ずレバノンに来たら行う事です。この度も市長さんは、満面の笑みで心から私達を迎えて下さいました。いつもレストランに連れていって下さり、ティールの魚料理やレバノン料理をご馳走して下さいます。とても美味しいお料理を、心からのおもてなしで頂く時、本当に心も温かく、リラックス出来、美味しいお料理を楽しむ事が出来ます。ありがたいひと時です。ティールでの「高句麗伝説」の会場は、この時、海辺となったのです。
海が苦手な私が、海の上に舞台を作り「高句麗伝説」をする事になったのです。人生の不思議さを考えました。苦手なものをなくす為に、大いなる働きかけが、海の上に舞台を作る様に導いて下さったのかと受け止めるよりなく、心は不安で一杯でした。「海が苦手」と一言で言ってはいるものの、本当に不安になり、発狂しそうになるのです。その様な状態で舞台に立ち、詩を詠めるのかという事が私にとって何よりの不安となりました。が、私はこの時はやる気になったのです。どんな事も乗り越えて、必ずちゃんとやっていくと心は決まっていました。海辺での下見の時には、更に苦手な動物が一杯動いています。ここは苦手尽くしなのかと不安で一杯になりながら、覚悟は決めたのです。
亡き父の魂に出会え、新しい人生が始まった地です。この地でコンサートを開催する事を心から望んでいました。私が出演する「高句麗伝説」となった事は予想外でありましたが、この地で開催する事を望んできましたので、どの様な事があっても、自分はやり切ると心は決まっていました。苦手なもの尽くしとなり、震えながらも、お腹に覚悟を決めていく状態となりました。