世界伝説 第49弾

いよいよ海外では初めての「高句麗伝説」開催に向かいまして、日本でも「高句麗伝説」を沢山開催致しました。レバノンへ出発する前、日本では最後の「高句麗伝説」は、横浜の港のさん橋での開催でした。海を背景とし立つ舞台でした。船の上で開催している様な気持ちで、レバノンでの海の上の舞台の予行練習とし、させて戴きました。世界への船出の舞台と感じました。無事に終わり、安心した後、大きな地震が起こりました。とても怖かったです。いつどこで、何が起こるか分からないという事は常に感じ、何が起きても生きていける様にと感受性を訓練し、心掛けて生きていますが、大きな地震に体は震えていました。海外へ出発する前の出来事でしたので、私は、何があっても、きちんと生きていこうと心身正し、備えていこうと心新たに致しました。レバノンへ発つ前の、いだきしん先生の「存在論」での経験もずっと心に残っています。私は、レバノンに繰り返し行き続けているのは、亡き父の魂に出会えた地という事もありますが、かねてよりパレスチナの事が気になっていましたので、何とかしたい気持ちで行き続けているのです。元々レバノン大使館を訪ねたのは、パレスチナの事を気にし、ヨルダン大使館に行った帰りでした。レバノンの地でコンサートを開催する事で、パレスチナ、イスラエルに、いだきしん先生の表現なさる愛のエネルギーが届けばいいと、心の中で願っていました。パレスチナの事は何とかしたく、ずっと考え続けている事でありました。エチオピアコンサートの時に、コンサート前にエチオピアにありますパレスチナ大使館を訪ねました。国として認定されていませんので、正式には大使館とは言えないのですが、大使館という標識がありました。そこで、私はパレスチナの事を気にしている事、何とかしたい気持ちで活動している事をお話させて戴きました。この度のエチオピアコンサートも、その事も心に踏まえながらさせて戴いている事をお話致しました。お会いした方はよく分かって下さいました。そして、私は、かねてよりアラファト議長にお会いすれば、何とか道を創れるのではないかという気持ちがあり、アラファト議長にお会いしたい気持ちがありました。その事もお伝えすると「きっとアラファト議長はコンサートにお越し下さるでしょう」とおっしゃったのです。そして、アラファト議長のお電話番号とFAX番号を教えて下さったのです。「都合さえつけば、必ず来て下さいます」とおっしゃって頂いた事が、とても、勇気づけられました。レバノンで開催する時にお越し頂けたらいいと願っていました。

また、エチオピアコンサートに向けて、日本にある沢山の国の大使館を回った時の事です。シリアの大使館に伺い、お会いした方にエチオピアコンサートのお話をさせて戴きました。するとその方は「貴方は、パレスチナの事を考えてエチオピアコンサートをなさるのですね」とおっしゃたのです。大変驚きました。私が話していないのに、私の心の中を見抜き、その様におっしゃったからです。中東の方にお会いすると、時々この様な事が起こります。何も話していなくても私の心を見抜くようにし分かって下さるのです。以前、在日イラク大使館の方が「高句麗伝説」にお越し下さいました。終わった後に「貴方がなさりたい事がよく分かりました」とおっしゃったのです。私は、失礼ながら「お分かりになった事は何ですか」と確認させて戴きました。「愛によって世界を平和にしたいという事が分かりました」とのお答えには、頭を垂れ、心からの感謝の気持ちを表現させて戴きました。この様に言わずに分かる方がいらっしゃる事は、私の生きる支えとなりました。レバノンで「高句麗伝説」を開催させて戴く事でパレスチナ、イスラエルの問題が何とかなるなら、これ程ありがたい事はないと、いつも心に願い、祈り、活動してきました。日本でのレバノンに発つ前の「存在論」にて、いだきしん先生は「パレスチナやイスラエルの問題や、世界中で起こっている問題の解決はない」とおっしゃったのです。「最後の神=新しい神が顕れる事なくしては、この世界の問題の解決はない」ときっぱりとおっしゃいました。私は、今までのやり方では世界の問題は解決する事はないとは、痛い程感じていましたので、新しい神が顕わる事を祈る様に毎日生きていたのです。この言葉を胸にレバノンへと向かったのです。続く…。