世界伝説 第46弾

2005年4月には再びエチオピアへ行きました。北京経由で行き、北京にも立ち寄り、北京での「高句麗伝説」開催、またカフェの展開について打ち合わせを致しました。エチオピアでは、私が一緒に合弁会社を作ろうとパートナーシップを結びました会社のコーヒー農園に行きました。ヤルガッチャフェ村です。人類発祥の地、人類最古の人骨が発見された地へ行った時程過酷ではありませんでしたが、予想を超えた過酷な旅となりました。走れど走れど行きつかない旅でした。エチオピアは、レストランもなければ、お手洗いもありませんので、早朝にホテルを出たら、何も食べない、飲めない、トイレにも行けないという事を覚悟して出発致します。道なき道をひたすら車に乗り続け、ある村に行った時に途轍もない衝撃を受けて車が止まりました。牛が激突してきたのです。フロントガラスは壊れてしまいました。幸いエンジンは無事でしたので、走行が出来ました。牛はどうしたのかと見ると、牛は立ち上がっていましたのでほっとしました。牛はとても強いという事がよく分かりました。エチオピアでなければ、この様な経験はする事はないと、只々驚くばかりでした。後日、その時運転してくれていたエチオピア人が笑って言っていました。「エチオピアでも初めての事である」と驚いていました。稀なる経験をし、ひたすらヤルガッチャフェ村へと向かったのです。途中、私が選んだ「リム」が採れるカファ地域を通りました。「カファ」が「カフェ」になったと聞く、コーヒー発祥の地です。カファ地域を通り抜け、更に何時間も車は走り続けました。長い旅路の末、やっと辿り着いたのです。ほっとし、コーヒー農園を案内されました。農園といってもジャングルです。自然の中でコーヒーの実を眺めました。とても豊かなひと時でした。

暫くし、スコールに遭遇しました。大地を叩きつける様に強い雨が降り続けます。音も凄ければ、雨の勢いがあまりに強くて、畏れを感じる程でした。私には「人間なんてちょろい」と聞こえたのです。人間は、自然の力には太刀打ち出来ないのだという事が生命をもって分かりました。自然には太刀打ち出来ない人間がどう生きるかといえば、自然を尊び、ひとつになって生きるのが人間であると、自ずと分かります。自然環境を破壊し、人間だけが生きる事は許される事ではないのだという事が、生命をもって分かります。私は、只々頭を垂れ神に祈りました。許しを請う祈りでした。自分の愚かさや傲慢さも恥じ、懺悔をする様に祈りました。私は、神に祈りながら「コーヒーは神様の贈り物」と分かりました。この神様からの神聖なる贈り物をそのまま日本に伝える事が私のやる事、と生命をもって分かりました。大切なコーヒー豆一粒一粒です。一粒は、神様の贈り物であり、神様の恵みなのです。生命に刻みました。

スコールは止み、青空が広がりました。スコールによって地面がぬかるみとなっていました。エチオピアの地がぬかるみになると抜け出せなくなるという事を、初めて経験しました。とても車が走れる状態ではありません。そして、タイヤはパンクしてしまったのです。私は、愚かにも「ジャッキ、ジャッキは」と叫びました。ジャッキなどある訳がありません。それでは、どの様にタイヤ交換をするのかと焦ってしまったのです。「道具がない所では、人は必ず何か道具になるものを見つけてくる」という事をいだきしん先生はおっしゃっていました。先生は慌てずに悠然と構えていらっしゃいました。私は、タイヤ交換が出来なくて、車が動かず、帰れなくなる事を恐れていました。暫くすると、沢山の男の人が木の枝を運んできました。木の枝をジャッキ代わりに使い、タイヤ交換をしてくれたのです。只々「ありがとうございます」と心からの御礼の気持ちが生まれました。そして、いよいよ出発出来る事になり、安堵し車に乗り込みました。ところが、車はスリップしてしまい、ぬかるみから抜け出せないのです。何十人ものエチオピアの男の人が車を押してくれました。車の中は運転手と私だけです。私は、怖くて叫んでいたのです。後日、この時運転してくれた人とのお付き合いが長くなりました。今でもこの方が私達にコーヒーを送ってくれています。日本に来る度に、この時の話をし、大笑いします。「忘れられない出来事だった」と彼は、涙を流しながら笑います。「Madam KOMAの叫び声がずっと忘れられない」と笑って言うのです。それ程叫んでいたのだとういう事を自分も感覚的にはよく覚えています。大勢の男の人が、いだきしん先生を含め、車を押しても押しても、車は動かないのです。少し動いたと思えば、スリップして思わぬ方向に行ってしまうのです。山道を下っていくのはとても怖い事でした。何時間かかったでしょうか。やっと山道を下り、平たい道に出る事が出来ました。これでやっとアディスアベバに帰れるのだと安堵しました。けれど、アディスアベバへの道は遠いです。ここまで来るのに十何時間も費やしています。また今から十何時間をかけてアディスアベバに帰らなければいけないのです。途中、泊まるホテルもありませんので、兎に角、何としても帰ってもらうよりないのです。アディスアベバまでの道は、真っ暗闇の中ひたすら走る道のりでした。コーヒー会社の運転してくれた人と、私達NPO高麗のスタッフのモハメッド氏が交代で運転をしてくれましたが、二人共かなりばててしまっています。それはそうだと、よく分かりますが、頑張って運転してもらわなければいけないと、私は日本から持っていったミントの様な飴を彼らに沢山食べてもらい、眠気も覚ましてもらい頑張って運転してもらいました。既に日が昇り朝になっていましたが、まだまだアディスアベバには行き着きません。本当に二人共ばててしまい、私はずっと二人を励ましながら、兎に角運転してもらいたくて頑張った事だけが記憶に残っているのです。そして、漸くシェラトンホテルに着いた時は、天国に戻ってきた様な感覚となりました。無事に戻れました事を深く感謝します。これだけの距離がある所から日本にコーヒーが運ばれるという事が、どれだけ凄い事かという事を身をもって経験しました。日本からエチオピアに行くまでも長い旅路です。エチオピアに着いてからも長い旅路を経て辿り着くヤルガッチャフェ村です。ここからコーヒーを届けて頂けます事を深く深く感謝し、いつもコーヒーを見ると自ずと頭が下がり、感謝の気持ちがあふれます。そして、神様に「ありがとうございます」と心からの御礼が生まれてくるのです。「コーヒーは神様の贈り物、神様の恵みとし、日本に伝えていく」と心新たに致しました。続く…。