世界伝説 第42弾

念願のイラン、ペルセポリスでのコンサート開催許可が下り、早速すぐにでも下見に行かなければいけない状況となりました。コンサートを開催出来る日は、10月14日と聞きました。あと3ヶ月もないのです。下見に行くとしたら、8月より行く機会がありません。9月では準備をする時間がなくなります。8月のシラーズは、サウナ状態とイランのいつも一緒に動いている通訳の方から聞きました。話を聞くだけで、私は思わず「大変」と叫んでしまい、本当は「嫌だな」と感じてしまうのです。が、そんな事は言っていられません。サウナ状態のイランに行かねば、ペルセポリスのコンサートは実現出来ないのです。スケジュールを急いで作り、8月の半ばにイランへと旅立ちました。旅の支度は、兎に角、通気性の良い衣類を探しまくりました。イランは、女性はスカーフを被り、体の線を出さずに足元までの長い洋服を着る事が義務付けられています。サウナ状態の所で長い服を着て、頭もスカーフを被って過ごすのかと、考えるだけで不安になってしまいます。薄く、軽く、それでいて体の線が出ずに透けない洋服を探しまくり、何とか見つける事が出来たのです。テヘランからシラーズへと向かいました。シラーズはバラの都で有名な所です。最初に行った時に、有名な詩人の廟を囲み、夕暮れ時、沢山の人が廟の周りで詩集を広げて読んでいたのです。カップルも多かったです。男女が一緒にいる事を禁じられていると聞きましたが、詩人の廟では多く見かけました。夕暮れ時の風に吹かれ、とても心地良い空間が広がっていました。素敵な文化と感動したのです。ペルセポリスはシラーズから更に車で長い距離を走ります。砂漠を走っていきます。私は、シラーズに着いた時、迎えの車のエアコンが故障している事にがっかりしました。車に乗れば、涼しくなると期待していたところが、サウナ状態だったのです。日本から持っていった扇子を出し、一生懸命仰ぎました。一生懸命過ぎて扇子が壊れてしまいました。情けなく感じます。私のやる事は、こんなものかとがっかりしました。あとは、手がありません。内面を深く感じ、大いなる存在と繋がり生きる事と原点を取り戻しました。何処にいても、どの様な状況でも大いなる存在とひとつであれば、心地良く過ごしていけるのです。その事を忘れて、サウナ状態と聞いた事で不安になり、じたばたと少しでも涼しくする事を試みようとした事が愚かでありました。大いなる存在と繋がり過ごせば、暑さは感じなく、心地良かったのです。その後は、ずっと大いなる存在と繋がり、真夏のサウナ状態のシラーズ、ペルセポリスを歩きました。

ペルセポリスも大変暑かったです。2度目にイランに行く時に、ペルセポリスに初めて行く予定でしたので、ガイドブックを見たのです。5月でしたが、日差しが強く暑いので、熱中症に気を付ける様にと書かれていました。8月はもっと暑いですので、どの様に気を付けたら良いのかと考えました。また、5月に行った時、私は熱中症にかかって40度の熱が出ている事も気づかずにただ「熱い、熱い」と歩いていたのです。とても気分が悪く、眩暈がしていた事を覚えています。この経験があり、大いなる存在とひとつに過ごす様に心掛けた8月のペルセポリスは、心地良い風が生命の内に吹いてくれるのです。何の苦も無く、暑さも感じず、コンサートの下見を無事に終える事が出来ました。大変ありがたい経験でした。ペルセポリスからシラーズのホテルに戻った時、本当によくあの暑さの中、無事に心地良く過ごせたものだと深い感謝の気持ちがあふれて参ります。こうしていられる事がありがたく、ただ生かされている事の感謝よりない気持ちとなりました。その時、いだきしん先生は、アフラ・マズダのお話をして下さいました。ペルセポリスで出会った神様です。善の神とお聞きしました。「善の神が動く時、善の風が吹く」とおっしゃいました。善の風に触れ、動き始める人は生き延びる事をお聞き致しました。私は、その頃、日本で何度か中国の農村部のドキュメンタリー番組を見ました。偶然テレビをつけると、その番組が映るという事が何度も続きました。農村部で生きる人は、とても貧しく、医療を受けられないという悲しい現実が映し出されていました。医療も受けれずに、ボロボロのお家の粗末なベッドの上で亡くなっていくのです。あまりに悲しくて涙ばかりが込み上げました。この様な状況を何によって変えられるのかと考え続けていました。丁度その頃、ニュースでもショックな事が報道されていました。やはり中国の航空機の貨物室から凍死した少年が発見されたのです。少年は貧しくて、飛行機に乗るお金がないので隠れる様にし貨物室に乗り込んだのです。そして、凍死してしまったのです。農村にいても生きていけず、外へ向かおうとしても生命を落としてしまうという状況をどの様に変えていけるのかと、考え続けました。いだきしん先生にこのお話をしました。先生は「善の風に触れたら、人は動き出す。必ず生きる道を創る」とおっしゃいました。私は、この事に賭けたのです。世界中に善の風が吹いて、その風に触れて人々が動き出し、生きる場を創れたら良いと、ここに賭けていきたい、と心の奥底から強い気持ちとエネルギーが生まれました。シラーズのホテルのレストランの中の薄暗い室内での先生のお話と、その場面は今も胸の奥に残っています。世界中の人が幸せに生きていける道は「善の風」、私は「大いなる存在の風」とも表現させて戴きますが、その人智を超えた存在の風に触れて、自ら動き出す事と見出したのです。やはり自律よりないという事が身に沁みました。「ペルセポリスコンサートにて、善の風が吹けば良い」と先生がおっしゃった、そのお言葉が、大きな希望となりました。大きな任務を終えた様な達成感があり、下見を終え、日本に無事に帰り着く事が出来ました。これから、コンサートの準備で大忙しとなります。2ヶ月より時間はありません。それでも、前代未聞のペルセポリスコンサートへと向かうのです。全身全霊で取り組む躍動感にあふれていました。続く…。