いよいよ前代未聞のペルセポリスでのコンサートに向かい、日本を発つ日がやって参りました。テヘランからシラーズへと移動し、シラーズのホテルからペルセポリスへ行く事になりました。いつも私達と共に活動している通訳をしてくれるイラン人が様子がおかしい事を私は気にしました。いつも明るく楽観的な人ですが、この時は何か思い悩んでいるような感じがあり、呼吸がおかしいように感じたのです。私が目を閉じ原因を調べると不安が見えました。私は彼に何か不安があるの、と尋ねました。すると傍にいた先生が、彼に不安なんかある訳ないよ、と笑っておっしゃったのです。すると本人は、実は、と話し始めたのです。ペルセポリスの許可は副大統領が出してくれましたが、実施する現地が反対しているという事を聞きました。そしてまだ現地の許可が出ていないという事です。大変驚き、目の前が暗くなりました。日本からペルセポリスコンサートに向けてのツアーも組まれ、何日か後には沢山の方々がイランに来られます。コンサートを開催できないとは…と途方に暮れました。いつも元気で明るいイラン人が気に病んで喘息にまでなってしまったのです。大変な心労であるのだという事が伝わってきました。いだきしん先生はその状態を身に受け、変えていくようにずっと働いておられました。向かうよりないのです。コンサートを開催するよりないのです。ただそれだけで、皆で万が一を考えずにやる事だけを考えました。一瞬でも、もし許可が下りなかったらと頭を掠めると真っ暗になります。そこには答えはないのです。やれるように、やれるように考えるより、先は見えないのは当然の事でした。数日経ち、やっと許可が下りたのです。心から安堵しました。これでやれると本当に胸撫で下ろしました。ペルセポリスは聖地ですので、信仰心篤い地元の方々は聖地に楽器を運び込みコンサートをする事はとても嫌がりました。私も単にコンサートであれば嫌がる事も止む無いとはよく分かる事でした。が、いだきしん先生の演奏ですので、内容が分かれば誰もが喜ぶ事という事はよく分かっています。反対している地元の人は、様々に妨害してきました。その状態もいだきしん先生は身に受け、変えてゆかれました。しばらくすると、誰も阻む事がなくなったのです。設営するスタッフは礼儀正しく、ごみを捨てる事なく常にきれいにお掃除をしながら取り組みました。その姿はイラン人にとっては、とても好意的に見られ喜ばれました。日本人は美しいと感動されました。ペルセポリスコンサートには、レバノンから私達の協力者が来て下さいました。何とコンサート前日、大きな素晴らしいお土産を持って来て下さいました。それはレバノンでの「高句麗伝説」開催の日程が決まったというお知らせでした。私は万歳しました。ペルセポリスでレバノンの「高句麗伝説」コンサート開催が決まったのです。その前に「縄文」コンサートがあり、イランのペルセポリスが決まったのです。縄文の精神は世界精神と本当に喜び溢れました。着々と準備が進み、いよいよペルセポリスでのコンサートの日がやって参りました。歴史的な日であります。緊張しながらもコンサート本番を心静かにと内面を感じながら待ちました。いよいよ開演を待つばかりとなりました。開演時間になっても一向に始まる気配がなく、私は大変不安になりました。一緒に動いている通訳するイラン人に電話をしても全く電話が繋がりません。後から聞けば、沢山の人から電話がかかってきて電源が切れてしまっていたそうです。私はただ客席で本番を待つよりなく、何が起こったのか分かりませんが、祈るようにし本番を待ちました。30分過ぎ、40分過ぎ、1時間位過ぎたでしょうか。やっとコンサートが始まりました。厳かな演奏と共にペルセポリスの司祭達が登場されました。
神聖なる場でいだきしん先生がコンサートをされる事のすごさは、その時のエネルギーから空気から生命で感じました。畏れ多い場でありました。ペルシャの歴史、文化を感じる演奏に、書物等によっては知る事のないペルシャの魂に出会い、暮らし、文化に触れる事ができました。そして、悪は消え失せ、正義が勝つという事が見えるように体感出できました。