「高句麗伝説」を日本各地で開催させて戴き、「高句麗伝説」の働きに畏れを感じます。母亡き後、初七日も経たない頃、2度目に五女山に行こうと桓仁県を訪ねました。五女山には入る事が叶わず、五女山が見える湖の畔で、切ない胸の内を詩に書いている時「紛いものは排除せよ」とのメッセージが内からとも、空間からともなく聞こえました。心臓がドキッとする音まで聞こえ、その意味を考える人生が続いています。「高句麗伝説」を開催していると、正に紛いものは排除されるという事が表れ、畏れを感じるばかりです。故に半端には関われないコンサートである事を、私は関係者やスタッフに何度も何度も話して伝えました。が、人間は自分で経験しなければ分かるものではない事を甚く感じるばかりでした。話はしていても、人は半端にし、突然いなくなるという事が起こり始めました。最後までやり切った所だけが、人も残っていくという事には本当に畏れを感じました。私も半端に生きる事なく、やり切る事をしていかねば、大変な事になるという事は身をもって分かりました。「高句麗伝説」では、高句麗王が登場します。私は、魂ひとつとなり詩を詠ませて戴きます。そのエネルギーの凄さは自分が半端であっては吹き飛ばされるものでした。「高句麗伝説」の舞台に立ち、いつも祈るのは、吹き飛ばされない様にという事です。情けない事ですが、途轍もないエネルギーに満ち、しっかり中心を決めていなければ吹き飛ばされてしまう舞台であるのです。半端に関わったなら、人生は大変な事になる事も甚く感じました。国創りとは「天とひとつに生き、天意を実現する事」と「高句麗伝説」では学びます。今の時代は、天の遥か向こうが拓かれていますので、高句麗王が求めてやまなかった時代なのです。天には限界がある事を分かりながら、天と共に生きた悲しみ、愛を生命全てで感じ、胸は張り裂けそうに動き、感涙に震えます。限界を知りながらも天と共に生きる悲しみ、愛は今までの人間の歴史がどれだけ悲しかったかという事が生命をもって分かるのです。言葉によっては表し尽くせない悲しみ、愛を体感致します。そして、今やっと天の遥か向こうが拓かれたのです。やっと人間とし、真の人生を生きられる時代が拓かれたのです。大変な尊き時に生まれ合わせた人生に、いつも魂震え、身が震え、深く頭を垂れるのです。この人生は私一人の人生ではなく、代々の高句麗王、高句麗人と共にあり、私は代表で、いだきしん先生に幸運にもお会い出来、悲願を成していけるのだという事が胸の奥深くから分かるのです。「高句麗伝説」を開催する事で、国創りとなっている事が、開催する度に分かって参りました。「高句麗伝説」を南から北上し、最後の開催が青森となり、そして三内丸山遺跡でのいだきしん先生のコンサート開催となりました。
私は青森県各地を街宣車で回り、動員の働きかけに尽くしました。お一人お一人の魂に届きます様にと祈りながら、必死でコンサートの告知をさせて戴きました。三内丸山遺跡でのコンサートは「縄文」ですので、縄文の精神、魂と出会いました。いだきしん先生が趣意書を書いて下さり「縄文の精神は世界精神」とのお言葉が心に飛び込みました。私は、当日メッセージを読ませて戴きましたので、メッセージを読ませて戴くだけで「縄文の精神は世界精神」という事を生命で体感したのです。そして、コンサートが始まりました。胸の奥深くから震え、愛おしくて涙が込み上げます。この感情を何と表現してよいのか考えても言葉が見つかりません。ふと生まれた言葉は「会いたかった人に出会えた悲しみ、喜び」との表現でした。会いたかった人に出会えた事が、悲しみとなるのかという事が、意味としては理解出来ませんでしたが、自分の胸の内の震え、涙を言葉にするなら、この言葉になるのでした。言葉の響きを追っていくと、やはり悲しみと分かります。長い間引き裂かれてきた悲しみも含んでいる事を感じ、涙ばかりが込み上げます。そして、今、出会えたのです。全身喜びが駆け巡り、感極まり、私は自分の体を突破する様な経験が起こりました。そして、この感動は、世界に伝播するとはっきりと見えたのです。「縄文の精神は世界精神」という事が大宇宙の中心とし輝き、はっきりと見えたのです。次の瞬間「これでイランは叶う」とはっきりと見えたのです。東京に帰ったらすぐにイラン大使館に行くと決めました。素晴らしい「縄文」コンサートの経験でした。縄文の精神、魂は世界に通じ、世界を変えていくという事を、生命をもって経験しました。これで、世界へと向かっていくのだと、内から大いなる力、勇気が生まれ、エネルギーが満ちあふれて参りました。