世界伝説 第40弾

2004年甲申年は、日本全国南は沖縄から北は青森まで「高句麗伝説」を開催する事を決め、全国を回っていました。同時に、レバノンでのコンサート開催実現に向け、レバノンへも足を運びました。2月の末から3月上旬にレバノンを訪れました。梅の花が咲き、日本の梅の花とまるで違う趣がある梅の花を眺める事ができた事がとても心に残っています。

周りの風景が違うだけで、同じ梅の花が梅の花には見えないという事も不思議な事と感じながら眺めるひと時は心が豊かなひと時です。私はこの度の旅では、もちろんコンサート開催を決定したい気持ちが山々ありました。が、中々開催日が決まらないというジレンマにありました。いつ攻撃を受けるか分からない地であります。コンサートを決めても戦争が起これば一瞬にし話は流れてしまうのです。その事をレバノンの方は何度も私達に説明していました。状況が変わらなければコンサート開催は厳しいという事が、次第に分かってきました。南部のティールフェスティバルの委員長でありますレバノン大学芸術学部のガジ教授や俳優のネメさんと何度も打合わせをしました。そしてティールの市長さんにも何度も会いに伺いました。この時も市長さんに会いに行くと市長さんは「娘よ」と喜び迎え入れて下さいました。そしていつも食事を一緒にしようとレストランに連れて行って下さいます。ティールの海が見えるレストランにて市長さんはいつも私の隣で私が何一つ困らないようにと心を配って下さいます。言葉は通じませんが、市長さんは言葉が通じる人よりも私の状態が通じる方であります。次から次へと運ばれるレバノン料理はとても美味しくて、私は大好きです。私は大好きなものでもあまり量は食べないのです。その事を市長さんは分かっておられる様に、次から次へと運ばれるお料理を私に勧めては、私が少し食べるとすぐ次のお料理を私の前に置いて下さりお勧め下さるのです。そのタイミングが素晴らしくて、本当に生命ひとつでなければこれ程のおもてなしはできないと感服致しました。ティールの海で獲れた魚料理は本当に美味しいです。全てがとても美味しいお料理ばかりで、皆で頂くひと時はとても温もり溢れ、幸せです。心から感謝しながらも、コンサートの行方が気になってなりません。まずはお食事をとおっしゃる市長さんのお言葉を受けて、まずはお食事をと一緒にさせて頂くのですが、次第にコンサートはいつ頃開催できるのかという事を私は詰めていきたくなり、話を始めます。市長さんは私の肩を叩き「娘よ、心配するな」とおっしゃいます。それは瞳が語っているのです。私は、心配したくないのですが心配なのですという様な内容の事をついと言ってしまったのです。市長さんは、「心配するな」とただそれだけを私に伝えるのです。これ以上何も言えないとただうなずくよりありません。が胸の内は「本当にできるのだろうか、いつできるのだろうか」と、とても不安になったり、気持ちが急いてしまうのでした。が、ここは市長さんのお言葉を受けて、心配しないで待つよりないと分かります。この度も美味しいお料理をご馳走になる為にティールに来た様な感じとなりました。

ティールは夕方になると祈りの声が空間に響いています。日本で生きる時間とは違う時間で生きている空間です。

私は永遠を感じ、異次元に飛翔した様な感覚となります。私はティールの海、風、香り、美しい花々、全てが大好きです。魂震える程美しいと感動し魅せられてしまいます。

この時も、話を決められずに又日本に帰るのだという思いが残りましたが、只ひたすらに実現に向かい動くよりないと心は決まっています。ある時、ティールの市議会議員のお医者様がベイルートのホテルに私達を訪ねてきました。ティールの海から発見されたフェニキアの遺跡を私達に届けて下さいました。ご自分の病院がイスラエル軍の爆撃を受け崩壊した事をお話し下さいました。当時の病院の建物の写真と、爆破され破壊されて何もなくなった写真とを見せて下さいました。あまりに悲しい事だと写真を目の前に言葉も出ない程驚き、目を覆いたくなるような気持ちになりました。この地で生きる方々は、多くの方がこの様な経験をされています。本当に安心して暮らしていけない状況は厳しい人生であると身に沁み感じます。その議員さんはおっしゃいました。最初私がティールに行った時、極東の日本から、私の故郷と言い、不思議な女の人が来たと皆で話していたと伝えました。レバノンですのでいつ何が起こるか分からない状況で生きる人生を皆様生きていらっしゃいますので、何をしにティールに来たのか最初は疑っていたとおっしゃいました。ある時、市長が市議会議員全員を集めたそうです。その席で私の事を「彼女は天から来た人であるので、彼女の言う事は必ず実現しなければいけない。ティールでコンサートを必ず開催する」と宣言されたそうです。その市長さんの一言で、議員さん達は皆市長さんと心ひとつにコンサート開催に向かうと決めたとお聞き致しました。私は自分を恥じました。この様に取り組んで下さっている事も知らずに、いつコンサートができるのか市長さんにその事を聞きに会いに行っても、いつもお食事となってしまうという事を自分は気にしていたのでした。市長さんは必ずやると決めているので、「娘よ、心配するな」とおっしゃっておられたのだと分かり、胸熱く深く感動しました。この様な出会いであったという事を深く受け止めました。この後はもう実現の時を待つよりないと祈る様な気持ちでレバノンコンサートに取り組みました。続く…。