世界伝説 第39弾

2004年は甲申年でした。60年に一度巡る年と聞きました。高句麗建国説はいくつかありますが、いずれも甲申年が建国という事も初めて知りました。国創りよりないと見え、日本全国「高句麗伝説」コンサートを開催すると決めました。南は沖縄から、北は本州最北端青森県まで「高句麗伝説」を開催しました。残念ながら北海道までは行き着きませんでした。そして青森県で「高句麗伝説」を開催した後に、「縄文」コンサートを三内丸山遺跡にて開催したのです。「高句麗伝説」は国創りイベントと銘打ち、第一回目から開催して参りました。日本各地で「高句麗伝説」を開催する前に、私は講演会活動をしていました。講演会も国創りと銘打ち、「国創り講演会-本音で生きて下さい」と書いてご案内を作りました。時々国創りという言葉に反応された方が講演会にお見えになった時に、人生の話と国創りがつながらないという反応をよく見ました。多くの方々はその様に反応する事は今までもずっと経験してきましたので、私は人間の仕組みを講演会にてお話しをさせて戴きます。人間は内的環境が外的環境を作りますので、人間の内面が変われば取り巻く環境が変わり、社会が変わっていく事をお話しさせて戴きます。2001年にエチオピアにてコンサートを開催した時に、飢餓の支援活動で行くことがきっかけでした。飢餓や貧困は社会の問題であり、社会は人間が作っていくので、人間の内面を変えてほしいというのが政府の依頼でした。エチオピア政府からのご紹介で、タンザニアでもコンサートを開催しましたが、タンザニア政府は、今起こる犯罪の原因は過去にあると、奴隷貿易を行なった方と行われた人がぶつかり犯罪が起きる事、人間の内面が解放されない限り延々と過去の繰り返しとなり平和は作れない、それ故にいだきしん先生のコンサート開催を望まれたのです。国創りは人間の内面が変わる事です。根源解決です。その事を本音で生きる人生を語りながらお話しさせて戴いています。初めて「高句麗伝説」を開催する地に行く時、ボランティア仲間の人達が「高句麗伝説」コンサートのパンフレットをポスティングして下さいます。私は、ポスティングした地としていない地は体でわかります。ポスティングをして下さった地域は明るく見えます。光まで見えます。そうでない地域は暗闇と見えるのです。人間の生命の反応はすごいものだといつも感じています。パンフレットをお読みになった方はどの様に反応されたか分かりませんが、土地が明るくなっているという事は、人間の生命が明るくなっているのだと考えます。まずは土地が明るくなる活動から始まります。そして講演会をさせて戴きます。第一回目はご参加者がお一人かお二人なのです。大きな会場でお一人、お二人がぽつんと座っている講演会を何度やってきたか知れません。山形に行った時は、お一人のご参加でした。暗い会場にお一人だけぽつんといる光景は今でも心に残っています。回を重ねるにつれて、人が増えてくるのです。そして最後は満席となり、「高句麗伝説」も満席となるのです。人の生命の伝播力はすごい事をいつも講演会やコンサート活動をする事で驚く経験ばかりをして参りました。そして私が「高句麗伝説」を開催する主旨をお話すればする程、人が動くのです。動員に苦しんでいる時は講演会を開催してきました。ご参加する方は少なくとも、主旨を正しく伝えていければ、自然と伝わっていくのです。次の講演会の時は沢山の人がお越し下さるのです。各地域でいつもこの様な経験をして参りました。最後の青森県は、いだきしん先生のご出身地でありますので、必ず満席というのが強くありました。もちろん他の場所も満席は当然目指す事でありますが、いだきしん先生のご出身の地を満席にできない事は申し訳ない気持ちばかりが生まれてくるのでした。それも初めて開催しますので知り合いももちろんいませんし、活動もした事がない地でありますので、とても不安を感じました。第一回目の講演会の時、いつもの様にお一人よりお越し頂けませんでした。私は一生懸命開催主旨をお話しさせて戴きました。二回、三回と開催する中でご参加者が友人やご家族の方をお誘い下さり、一緒にご参加下さるようになりました。全ての講演会にご参加下さった方もいらっしゃいました。最後は講演会が満席になった時、本当に明るい未来を見るようで目の前が開かれました。

青森での動員活動に不安を感じどうしていいか分からない時、ちょうど山形から青森に向かう所で大きなヒントを得たのです。いだきしん先生が山形のホテルを出る時に、石原莞爾さんの資料館はどこにあるのかと尋ねたのです。私は恥ずかしながら存じ上げずに、ホテルの方に尋ねました。ホテルの方も石原莞爾さんの事すらご存知ありませんでした。ちょうど私の会社で働いている社員が石原莞爾さんと同じ地の出身と思い出し、電話をして聞きましたがやはり石原莞爾さんの事すら知りませんでした。いだきしん先生はもういいとおっしゃり、青森へ向かう為に車を走らせました。いつもは高速道路を使って行きますが、その時いだきしん先生は一般道を通られたのです。日本海沿いを走る事になったのです。ある場所に行った時に、何と「石原莞爾の墓」という看板が立っていたのです。私は大変驚き、「ここだ」と思わず叫びました。車を停め、中に入らせて戴きました。お参りをさせて戴き、国創りの動きに何かメッセージを頂けないかと心澄まし、魂の声を聞かせて戴きました。国創りは人創りと分かるエネルギーを受けました。小さな小屋があり、いくつかの書物が置かれていました。購入したい場合はお金を置けば持ち帰る事ができる状態でしたので、何冊か本を買って参りました。その本の著者でもある方が、毎月一の日に必ず墓参りに来ていることが分かる芳名帳がありました。武田邦太郎と書かれた文字が心に残りました。私はその方を調べご住所を探し当てて、お手紙を書いたのです。ちょうど青森のホテルに滞在し動員活動をしている時でした。東京の会社から武田邦太郎さんから封書が届いていると連絡を受けました。当時はFAXで送ってもらいました。お手紙を読ませて戴き、涙ばかりが溢れました。まず私の活動は人には理解されずに、それでいて人に必要であり日本の国や未来に必要な活動なので、その労をねぎらうお言葉から始まっていたのです。私はその文章を読んだだけで涙が込み上げ、内から力が湧いてきました。この御方にお会いしたいという気持ちが生まれました。そしてお電話をさせて戴き、お会いする日を決める事ができたのでした。山形の遊佐という所にいらっしゃいました。教えて頂いた通りに道の駅に車を置いて、少し歩くと、裏手にその方のお家がありました。訪ねて行った時に外まで出て来られ私達を迎えて下さいました。とても美しい御姿でした。和服を着られ、姿勢を正し、何と美しい御方でいらっしゃいますでしょうかと感動したのです。私も深々と頭を下げ、ご挨拶をさせて戴きました。それからずっと石原莞爾さんの事、中国でなさっていたお仕事や活動の事、日本での政治活動等6時間もお話をお聞き致しました。石原莞爾さんの弟子の方でした。直接お話を聞く恵みに深く感謝し、この様な御方にお会いできるのも、国創り「高句麗伝説」を開催すると決めたからであった事に人生の恵みを感じ、感謝一杯となりました。そして日本に本気になって平和を創ろうとしている方がいらっしゃった事がとても嬉しく、希望を感じました。本気になって平和を創ろうと生きている御方に会えればいいのだと希望を見出し、青森県での活動が始まりました。続く…。