世界伝説 第151弾 「ロシアへの道」

エチオピアから日本に来られた、私達と一緒にヤルガッチャフェ村に行ったエチオピア人からモスクワでコーヒー事業をしている人を紹介して頂きました。彼に活動内容と活動履歴を示す資料をお送りするとすぐに興味を示しました。そして私はモスクワへ行ってコンサートを開催したいと考えていること、カフェを作りたい考えも同時にメールしました。すぐに興味がありますと、そして一緒にやりたいですとお返事が来たのです。的確な表現に驚きました。このことをいだきしん先生にお話しさせて戴くと、いだきしん先生はふと、「同胞かもね」とおっしゃったのです。胸が動き懐かしい気持ちに包まれました。同胞であるなら会ってみたいと、まだお会いしていないその方はどんな方なのかと想像するようになりました。お会いしたことがなくてもメールのやり取りで気持ちが通じ合え、話がとても順調にきれいに進んでいくのです。お会いしたことのない方とこんなに順調に話が進んでいくという経験は、かつてはありませんでしたので、私は初めての経験に不思議な気持ちがありながらも何か心がときめいてならなかったのです。お会いする前に既に一緒に活動することは決まっているような出会いでした。いよいよモスクワにてその方にお会いする日が訪れました。久しぶりにモスクワに向かいます。モスクワへ行くことも、とても心がときめきました。空港に着いた時に以前のモスクワとはまるで空気も雰囲気も違っていることに驚きました。冷たく重い空気が立ち込めていたモスクワの空港でしたが、この度は明るくて軽やかであるのです。そしてパスポートコントロールの係員は若い男の人で、とてもにこやかで明るいのです。以前の様にこわばった表情で冷たい反応をするようなロシア人ではないことに大変驚きました。軽快にパスポートコントロールを通過できました。

そして空港から1時間あまり車に乗り、中心街にあるホテルに到着しました。少し部屋で身支度を整えてモスクワの人にお会いしたく、そのように時間を設定しましたが私と同じに気が早いのか、約束の2時間前にもうホテルに向かっているとの連絡が入ったのです。私達はホテルに着いたばかりでした。身支度もきちんとできずに、突然その方とお会いする瞬間が訪れました。お会いすると、メールでやり取りしたような通じ合えるような人ではなかったことが少しがっかりしたことでした。が、話をするとものすごい勢いで話が進んでいくのです。 やはり面白い出会いでした。私は何をしたいのかと尋ねられた時に、ロシア全土にカフェを作りたいと思わず答えていたのです。大変意気投合しました。そして何よりいだきしん先生のコンサートを開催したい目的がありましたので、コンサートの話しを沢山したいと考えていた所、既にコンサートプロモーターも呼んでくださったのでした。そのプロモーターもとても良い方で、話がどんどん進んでいくのでした。夢を見ているような心地でした。こんなに全てが早く進んでいくとは、モスクワに来て本当に良かったと、ただただ喜びばかりが溢れてきました。コンサートの話もカフェを展開することも実現できるという喜びに溢れていました。次の日はクレムリンや近くのコーヒーショップを見に行きました。

コーヒー事業を手掛ける女性の方もご紹介頂きました。モスクワのカフェにてスイーツを頂いたりコーヒーを飲みながら自分達が作るカフェはどのようにするかという話をしていくのは、とても夢のある楽しいひと時でした。モスクワの地でカフェを作れるなんて夢のようだと、自分は本当に人生の不思議さを思いながら心がときめくばかりでした。全ては順調に進み最後の日はプーシキンというレストランで皆で食事をしました。レストランにはプーシキンの本がたくさん置かれていました。文学の香りがするレストランがあるモスクワは素敵な所だと自分は感じました。その時、同胞ではないかといだきしん先生がおっしゃった彼は、私の目となり耳となり手となり足となりモスクワで働きたいと申し出てくれたのです。大変驚きました。会ったばかりで私と一体となって、私の代わりにモスクワで働くとおっしゃるその表現に驚き感動したのです。自分の分身の様になる方がモスクワで働いてくださるなら何とありがたいことかと、この時も夢を見ている様な気持ちになりました。私の分身が誕生し、次に来る時はロシアに会社を作りモスクワにカフェを作ることになったのです。そして先生のコンサートのプロモーションの為に、次回来る約束をしてモスクワを発ちました。夢のようなモスクワでの日々でした。もしかしたら同胞というのはこのような働きを共にしていくのかもしれないと考え始めました。自分が思い描いた様な同胞のイメージではありませんでしたが、物事を共にし進めていく上でこれ程早く全てが進んでいけることに驚くばかりでした。同胞と一緒に仕事ができるなら、こんなにうれしいことはないという気持ちで日本にいてもモスクワでのカフェをつくることやコンサートの準備が進められました。日本でメールのやり取りをしても、自分がメールを送ると同時にモスクワからメールが届くのです。その内容はいつも一致しているのです。メールを受けてから送るのではなく、同時に送信と受信をしているので、凄いことだといつもスタッフと一緒に驚くことが続きました。

すぐに1ヶ月後に再びモスクワに行きました。

会社を設立する上で銀行が開いている12月の末がギリギリということでクリスマスが終わり年が明ける前にギリギリ帰ってくるスケジュールで急遽モスクワ行きを決めたのでした。この時、いだきしん先生のコンサートホールの下見に行きました。とても素敵な大きなコンサートホールでした。

京都にある京都コンサートホールに似ている会場と感じました。備えてあるパイプオルガンは京都コンサートホールと同じものでした。

ここで、いだきしん先生のコンサートができれば世界に伝播すると見えました。私は大きな夢を抱きました。このコンサートホールは以前「高句麗伝説」コンサートを開催した時に宿泊したホテルの隣に建っていたのです。まさかここにホールがあったとは当時は知りませんでしたが、縁がある所だったので不思議なご縁を感じました。コンサートホールのオーナーであり、オーケストラの指揮者の方にアポイントメントを頂きお会い致しました。その時の会話は私にとっては不愉快なものでした。が、その方は私達を今年最後のコンサートにご招待くださったのです。それもVIPとしご招待くださいました。少し前に安倍前総理がこのVIP席にお座りになったということを聞きました。特別な入口から執事の様な方がお迎えに来てくださり、特別な部屋にて飲み物やお菓子等のおもてなしを受けました。そしてコンサートが始まる直前にVIP席にご案内をされたのです。安倍前総理が座ったと言われる席に座らせて戴きました。オーケストラを聴かせて頂きました。音楽はとても固く緊張するものでありましたが、歌を歌っている方の表現の豊かさに感動しました。言葉は分かりませんでしたが何を表現しているかが伝わってきたからです。

コンサートが終わり、執事の方は指揮者のお部屋に私達を連れて行ってくださいました。私は皆にプリンセスと呼ばれました。そのお部屋に行く時もプリンセスが通るからそこをよけてくださいと言っているのが、ロシア語で喋っているにも関わらず分かったのでした。指揮者の方は先生と握手をされましたので私は安心しました。ここでのコンサートは必ず成功すると、その瞬間見えたことが嬉しいことでした。12月の末、雪降る寒いロシアの夜でした。心は熱く未来に希望を抱き、夢を抱き、モスクワでのコンサートは世界を変えると嬉しくてたまりませんでした。次に来る時はさらにコンサートの打ち合わせとカフェの展開が待っていると楽しみにしモスクワを発ちました。続く。。。