仙台の自宅で五女山コーヒーを淹れている時、コーヒーからのメッセージは「高句麗は愛から生まれた」でした。高句麗初代の王、東明王様は「天の光受け技量秀で、7歳にし弓を打つこと百発百中、弓の名人朱蒙と名付けられる」。「光輝く人間は周りから妬まれ生命狙われる。母は子を生かす為に子を遠くへ逃がす」。「高句麗伝説」の東明王様の詩で詠ませて頂く内容です。母と今生で別れ、一人で生き始めた宿命は悲しみと感じていました。そして、詩に詠んでいますが「歩けど歩けど大地は女の悲しみに満ち…」と大地は悲しみに満ち、女の涙を吸収していました。悲しみを変えていこうと高句麗を創ったと長い間詩に表してきたのです。が、愛から生まれたのだと五女山コーヒーのメッセージは強く私に訴えるように告げたのです。「愛から生まれた」と言葉にした時、本筋はロシアへの道だと突然ロシアへの道が見えたのです。幼い頃から引き裂かれた悲しみが胸の内に刻まれ、二度と人を引き裂く事のない悲しみを繰り返さない平和な世界を創りたいと望み生きてきました。東アジアをひとつにと心から願い、その道を創りたく活動してきました。高句麗は現在でいえば、中国遼寧省桓仁県五女山が発祥の地です。そして、吉林省、最後の都が北朝鮮。国は滅び王族は日本とロシアに亡命しました。東アジアは先祖高句麗の地であったのに今は行き来も出来ない悲しい状況にあります。東アジアがひとつになる道を創りたく動いている時、私はいつも心が傷つく巡りとなるのです。悲しみから生まれたという気持ちで動いていたから悲しみを繰り返したのだと突然気づきました。愛から生まれたのなら、悲しみではなく豊かな実りを生むと突然見えたのでした。いだきアントレプレナーコースが始まった時に、経営理念を自分で調べた時、「悲しみを解決する」でした。いだきしん先生は、それは理念ではないと、ずっと悲しい事を繰り返すとおっしゃいました。そして、私は考えました。「子供達が生きられる社会を創る」を理念と致しました。お腹の底から力が湧いてきます。そして、どんな事があってもやり遂げていく力はなくなる事はありません。この事を思い出し悲しみを解決する、では悲しみを繰り返しますが愛から生まれたものはどんな事があってもやり遂げると気づいたのです。そして、今までは中国、韓国、北朝鮮にアプローチし、いだきしん先生のコンサートを開催しようと働きかけてきましたが全ては傷つく様な結果と終わるのでした。次はロシアへの道だと見えたままに高句麗滅亡後別れた同胞に会いに行こうと同胞探しをすると決めたのです。
丁度その頃山元町に作った結工房にウラジオストクから日本に来ている女性が訪れたと聞きました。そして、ウラジオストクでカフェをするならお手伝いできるという内容の事をおっしゃっていたと聞きました。私はまずその女性に会いたい気持ちでアポイントメントを取りました。仙台高麗屋にてウラジオストクからのロシア人女性に初めてお会い致しました。ウラジオストクに行き、別れた同胞探しをしたいと申し上げると、とても理解を示して下さり一緒に行く事になったのです。すぐに話は決まり、一番早く行ける時期は何と厳寒の2月でした。一年で一番寒い時期に行く事になったのです。が、この時を逃すと次の時は中々来ないとスケジュールから考えても分かりましたので、厳寒のウラジオストク行きを決めたのでした。