私は、いだきしん先生専用のコンサートホールを作ると決め、まずコンサートホールに置くピアノを何にするか考えました。いだきしん先生の調律をいつもして下さる調律師さんから、ファツィオリさんのピアノがいいとご提案頂きました。ファツィオリを調べると、スタインウェイやベーゼンドルファーという名だたる名器があっても、自分の表現したい事が表現出来るピアノはないと感じ、家具屋さんであったファツィオリさんが自分の表現出来るピアノを作り始めたと書かれていました。素晴らしいと感動しました。調律師さんがお勧め下さる事もあり、ファツィオリさんのピアノをコンサートホールに置ければいいと考えました。いだき講座をする部屋も各所にある拠点にもピアノは置いてありますので、ベーゼンドルファーもスタインウェイも持っています。そのベーゼンドルファーでもスタインウェイでもないピアノをコンサートホールに置ける事は、とても心がときめきました。日本にあるファツィオリの代理店を訪ねました。代表の方はアメリカ人でした。私がファツィオリさんに会いに行きたいと申し出ると、喜び、一緒に同行して下さる事となったのです。いつ行けるかスケジュールをずっと考えました。あまり早く行くと、コンサートホールがまだ決まっていない段階ではとても不安を感じました。かと言って、東京オリンピックの年に間に合わないようでもいけないと考え、決まった事は早くするという気持ちとなり、2015年に行く事は決めていました。スケジュール表を見ると、5月と見えるのです。が、5月は早すぎて7月以降の方がいいと考えたのでした。ところが先方のスケジュールを確認すると、5月が一番いいとの返答が来たのです。やはり見えた通りに行なう事が一番物事が順調に進むという事をこの時も感じました。5月にファツィオリさんがいらっしゃるイタリアのベネチアに行く事が決まりました。
ホテルはファツィオリさんが取って下さるという事でしたが、私はホテルが居心地が悪いと夜も眠れず体調を悪くしますので、自分で快適に過ごせそうなホテルを探すようにしていますので丁寧にご辞退申し上げました。そしてベネチアのホテルを予約しました。出発の日が近づき、会社のスタッフから、空港からは水上タクシーで行くとの説明を受けました。私は水の上が苦手なのです。水上タクシーは乗れないと言い、陸の上のタクシーを手配してほしいとスタッフに言いました。スタッフは、水上タクシーより移動手段がないと言うのです。そんな馬鹿な事があるかと驚き、陸の上のタクシーはあるでしょうと言ったのですが、スタッフは水上よりないと繰り返し言いました。そして「社長、ベニスですよ」と言ったのです。恥ずかしながら私はこの時初めて「あ、ベニスに行くのだ」と気付いたのでした。ベネチアはベニスと繋がらなかったのです。ベニスであれば、陸上タクシーはある訳がないと腹を括り、覚悟を決め向かったのでした。ベネチアの空港に降り立ちました。そしていよいよ水上タクシーに乗る事になったのです。
緊張し、ドキドキするばかりです。が、もう乗るよりないのです。何とか持ちこたえ、水上タクシーを降りホテルに入りました。ホテルは幸い居心地が良いと感じるホテルでしたので安心しました。が、ホテルから出てどこに行くにも水上タクシーを使わないといけない事に驚きました。いつもハラハラドキドキです。緊張の連続でした。いよいよファツィオリさんの所へ行く日の朝となりました。またベネチアの空港がある所まで水上タクシーで行かなければいけません。
水上タクシーの3、40分が私にはとても苦痛です。その時は更に運河の何かの都合で、しばらく水の上で時間待ちの時がありましたので、長く水の上にいました。陸に上がった時はほっとしました。日本から一緒に来てくれたアメリカ人が車を用意して待っていてくれました。車に乗り、陸路を走るだけでほっとするのでした。木々の緑豊かで田園風景が広がります。私は陸の上が落ち着きます。木々の緑を見ているだけで心が落ち着くのでした。
美しい風景を眺めながら、ファツィオリさんの工場に辿り着きました。入口でファツィオリさんをお待ちする時、心はときめいてなりませんでした。どの様な御方が見えるのかとドキドキするのです。爽やかな風の様にファツィオリさんが登場しました。とても明るく爽やかな御方でした。いだきしん先生のお話をさせて戴くと、すぐに理解を示され、ピアノを作って頂く事になるお話は短い時間で終わりました。タモの木で作るとお聞きしました。タモの木は、何処で多く生息しどんな木なのかと聞けば、北緯40度近くに生息する木と分かったのです。この偶然にも驚きました。そしてピアノの足は「Idaki Shin Leg」と名付け、いだきしん先生に合わせて特別な足をつけるとお話し下さいました。