私は薫る香り、吹く風を感じた時にその香りや風の向かう方向はと心馳せ、見えることを表わし実行し生きています。ある日何の理由か分かりませんが、いだきしん先生が陶器を作られていましたので、もっと本格的に作れる機会があれば良いと考えていました。そんなある時です。突然知り合いの建築家であり不動産屋さんである方から何枚かのFAXが入ったのです。そのFAXは信楽の方の登り窯がある土地、畑付き一軒家の物件情報だったのです。なぜ私にと首を傾げました。電話して尋ねると、以前私が登り窯の話をしていたとおっしゃるのでした。確かにそういう話をしたことがあるかも知れないと思い出しました。信楽にとても良い登り窯が売りに出ていたので私を思い出し、情報を送ってくださったということでした。私は登り窯とはまるで縁がないと考えていましたが、この時見てみたい気持ちになったのです。次に京都に行く時に見に行きたいということを話していたのでした。そしてその時がやってきました。京都から信楽へ行き、川沿いの道を車で走って行くとその物件がありました。すごく大きな登り窯です。登り窯を見ているだけで生命が躍動し、ワクワクし魂が動いてなりません。ここで火を焚き陶器を焼いてみたいという気持ちが生まれたのです。まさか私がそんな気持ちになるとは今まで考えたこともないことでしたので、自分でも驚いてしまいました。その物件は登り窯と畑と大きな一軒家がひとつで、大変安い金額で売りに出ていたのです。買えなくはない金額でありましたが、この登り窯や大きな一軒家、土地や畑を買ってどうするかということを現実的に考えますと、おそらく使うことは滅多にないとは想像がつくのでした。一度はこの一軒家に皆で寝泊まりをし、ずっと火を焚きながら登り窯の番をしている光景が見え、食事係や交代で火を配る係など想像するだけでとても楽しいと感じ、やってみたいと感じましたが、さらに詰めていくとできないという結論に至ったのです。それから私は自分の工房を作り、もっと小さな窯であれば置けるのではないかと考え始めたのです。私は考え始めるとすぐに動き始めます。早速土地を探し始めました。ちょうどボランティア仲間が土地を探していました。私は土地を探したり家を探したり、不動産を探すことが得意です。私が探してあげると言い、調べ始めた時に、ある土地が心に留まったのです。ここが良いと感じました。私の為に探していた訳ではないのに私はその土地を買うと決めたのでした。そこに工房を作ることになったのです。信楽を紹介してくれた建築家であり不動産屋さんの方に相談すると、信楽の物件を買うぐらいの金額で土地を買い工房を建てられると聞きましたので、中古物件よりも新しい方が良いと考えこの土地を買い、ここに工房を作ると決めたのでした。ちょうど窯を作っている方も信楽の方にいらっしゃいました。その方にも会いに行き、その方の作っている窯も見せて頂きました。とても小さな窯なのでこの窯であれば置けると考え、とても嬉しい気持ちでやる気になったのです。八坂の近くにも有名な方の窯が置いてある記念館がありました。その方が窯を作った工房から住まい、展示室、登り窯と展示されてありました。とても心澄まし深遠なる気持ちで一つ一つ見させて戴きました。こんなひと時が私は好きな時です。その方は魂を表現しようと陶器を作ったのだと分かった時に、人間は永遠に生きる存在と分かったのです。自分で釜を持てるのならばとても光栄なことだと感じ、益々窯を作る気持ちは揺るがぬものとなりました。
2013年の大晦日の日に先生の娘さんと2才になろうとする愛麗花ちゃんが私の京都のマンションに泊まりに来ました。大晦日に食事の用意をしているとインターホンが鳴ったのです。私は仲間が来る予定でしたので一瞬開けようと思ったのですが躊躇し、ドアを開けることを止めインターホンに出たのでした。知らない男の人の声がし「下に住んでいる者ですが、余りにうるさいので何とかしてくれ」と言われたのです。良い感じの話し方でもなく、声も恐怖を感じる声でした。ドアを開けずにインターホン越しで「子供が来ていたので、その足音だったのであれば申し訳ありません」と謝罪したのですが、いつもうるさいという内容のことを言ったのです。ただ謝るよりなく、ドアを開けずにインターホンのスイッチを切りました。その声は身が震えるような恐怖を感じる声でした。また、いきなり管理人さんを通さずに直接家に来るということも恐ろしい事と感じました。とてもセキュリティが厳重な高級マンションです。住人が直接玄関越しのインターホンを鳴らすとは、高級マンションに住む人のやることではないと感じ、恐ろしいと感じたのです。