世界伝説 第143弾

インド、グジャラートへ行く日が来ました。アマンビールさんは日本へ来られた時にいだき講座を京都事務所にて受講し、その時に八坂「高麗ギャラリーカフェ」と御所南「京都高麗屋」、また京都の観光地をご覧になりました。そして東京でも「東京高麗屋(当時カフェ哲)」、KEIKO KOMA Skyrocket Centerに来て下さいました。私達の活動を理解しようと日本に来て下さったのです。そして、私達が今度グジャラートで「高句麗伝説」だけではなく、いだきしん先生のピアノコンサート、そして何といだき講座も開催する事になったのです。ニューデリー行きの飛行機に乗り、ニューデリーからグジャラート行きの飛行機は、ニューデリーからの飛行機が遅れた為に乗れない状況となりました。

ニューデリーのホテルに滞在する時間もなく空港内のホテルを予約して頂きました。いだき講座を開催する日ですので、この様な事になった事が私にとってみると、とても心配な事でしたが、この時は大いなる存在とひとつに生きる事に努めましたので、平穏な気持ちで過ごす事が出来ました。普段、快適なホテルでないとまるで寝れなかったのですが、ホテルで滞在出来るだけありがたい気持ちで空港内のホテルで過ごし、グジャラート行きの飛行機に乗る時間まで待ったのでした。そして、寝ずに疲労困憊な状態でグジャラートでのいだき講座1日目に臨む事になってしまったのでした。

 

グジャラートの空港に着き、すぐに着替えをし、いだき講座1回目が始まる時間となりました。アマンビールさんのお兄様も受講されるのですが、お兄様がいだきしん先生の日本語をインドの方々に説明している事がとても可笑しかったのです。お兄様は日本語が分からないのに日本語で話す先生のお話を説明していらっしゃったのでした。まるで分かったかの様に話していらっしゃる様子が何とも可笑しく笑いが込み上げてきました。お兄様とは言葉は通じませんが、気が通じ合うというか、心が通じ合う感覚になる事がとても不思議な感じでいました。言葉は通じませんがまるで会話をしている様に感じるのです。そして、通訳の方が来て、いだき講座が進んでいったのです。この度は、ヒンズー教の信徒が多かったです。ニューデリーの時は世界中から受講されましたが、グジャラートでは地元の方がほとんどでした。生命の内に魂はあれど、魂の行き場がない苦しみを身に受け感じました。魂がない事も苦しいですが、魂があって行き場がない苦しみというのを生まれて初めて身に受け、経験しました。とても苦しい状態でした。この様な苦しい状態でインドの多くの方が生きていらっしゃると考えると、真に悲しいと感じます。他の生き方をする事がないままに人生を終えてしまうのなら、尚悲しいと涙しました。

インドの受講生の女性が先生に質問されました。ヒンズー教の教義により女性は家の中で家事をしたり、子供を育てる事が決められています。いだき講座を受けて運命が解放されても毎日の暮らしは変わりません。どの様に変わっていけるのかとお話されたのです。いだきしん先生は、私の話をして下さったのです。私がいだきを始めた頃、女性が仕事をするとか起業をするなどない日本の社会であった事、誰が最初という訳ではなく一人が始まると突然一気に女性の起業家が増えた事をお話下さいました。私は、確かにそうであったと思い出したのです。当時ウーマン・リブいう言葉が流行っておりました。時々、ウーマン・リブのはしりと言われていた事も思い出しました。私はウーマン・リブという事を考えた事もなかったのですが、本音で生きはじめた時に自然と起業する事になったのです。確かに社会は女性が起業する事が始まり、今では当たり前の状態となってきました。いだきしん先生は一人の生き方が変われば伝播するという事をお話なさっておられました。自分の気持ちや本音を表現する事で環境が変わっていくとお話されました。真にその通りであります。私も自分の気持ち、本音を表現する事で巡りが変わり、どんどん環境が変わっていったのです。自分が生きていく環境は自分で創るものと分かった時にこれ程嬉しい事はないと驚喜したのでした。人間は内的環境が外的環境を作りますので運命が解放された内面で生きる人生は、運命のままに生きてきた人生とはまるで違う人生が拓かれます。運命のままに生きている状態では想像すら出来ない人生が待っているのです。自分もなって初めてこの様な人生が生きられるとは夢の様だといつも感じていました。私は、夢のまた夢の夢にも見る事が出来ない人生が拓かれたと多くの人に話していたのです。運命が解放された人生は未来との出会いにより生まれる本音で生きる人生です。未来にはどの様な人生が拓かれているのか未知なのです。これ程豊かで恵まれた人生はありません。グジャラートにてヒンズー教の信徒である女性達が受講され、女性達がどの様にこれからの人生を生きてゆかれるのか見てみたい気持ちが生まれます。

いだき講座が終わった翌日はピアノコンサートが開催されました。下見に来た時に私の苦手な動物がいた場所ですので、今までであれば中止になっていく様な状況でしたが、世界が終わっていくサイクルにあった流れが2012年12月インド、ニューデリーで「高句麗伝説」コンサートといだきしん先生のピアノコンサート、いだき講座を開催した事により、いだきしん先生が終わりゆくものを身に受け解決なさり、この滅びゆくサイクルは終わったと自分では経験しています。過去のパターンはなくなりました。無事に下見に来た野外劇場にてピアノコンサート開催の運びとなりました。

幸い私の苦手な動物は本番では見る事がなかったのです。いだきしん先生はコンサートの前にメッセージを送って下さいました。「人間の生命の中に星があります。今日のコンサートで皆様の星を見つけて下さい。」とのメッセージを送って下さったのです。グジャラートでのいだき講座にて、いだきしん先生は2日目に受講生の運命を解放する為のピアノ演奏をしている時に生命の内に星が見えたとおっしゃいました。新しい発見だったとお話下さいました。私はこのお話を伺った時に星は魂と受け止めたのです。日本でいだき講座を開催し運命を調べる時に中心がないという表現が多いのです。インドで初めて日本人との違いに気づいたのは、中心はあるのです。中心は魂であったという事に気づきました。日本人の生命の内には魂がないという事をインドに来て初めて気づいたのでした。「本音で生きて下さい」の講演会活動を始めた時、ほぼ全員の方に本音では生きられないと言われました。建前があると言われたのです。私の講演会は、私が話しを始めると全員寝てしまったのです。寝ている人の前で話し続ける事はとても苦痛な事でした。何度やめようかと考えたかしれません。そんなある日、いだきしん先生が本音を研究している大学の先生の書かれた本を下さいました。「古代日本人は、本音は神との出会いの音として生きてきた。戦争に負けてから建前を使う様になった。」との一節が心に飛び込みました。本音を語る時に寝てしまう光景が蘇ります。本音で生きられないから私の話は寝てしまうのだと分かりました。建前があるという人は、魂失った故なのだという事も分かりました。日本は戦後魂が失われていく教育を受け、社会状況を作られたという事はよく分かります。インドでは、魂は見えたのです。が、魂の行き場のない救済のない苦しみを経験したのでした。生命の内にある星は、私は魂と受け止めたのです。ピアノ演奏が始まりました。最初は星が見えなかったらどうしようと不安な気持ちもありました。が、その時はそういう状態なのだからと受け止めるよりないと考え、一心にピアノを聴かせて戴きました。グジャラートの夜空は神秘的です。この日も神秘的な空の下、いだきしん先生のピアノの音は遥か彼方からのメッセージと聞こえました。

最初に生命の内に見えたのは、ピンクの光です。私は、母の胎内に発生した瞬間の光はピンクの光です。いだきしん先生にもおっしゃって頂いていますが、ピンクといってもピンクピンクしたピンクではないと、星よりも透明な光と説明して下さいました。正に、心臓に見えた光が星よりも透明な光でした。が、ピンクの光と表現する光です。喜んで演奏を聴いていましたら、今度は肝臓側に蒼い光が見えたのです。打ち消しても疑ってもはっきり見えたのです。私は光は1つと思い込んでいましたので、2つ見えるという事は何か錯覚しているか、幻覚を見ているのだと考え、慌ててしまったのです。この様な大事なコンサートで真実が分からなかったり、間違う事は恐ろしい事と感じ、とても不安になってしまいました。が、演奏が終わる頃には、もし間違いでも、それが自分なのだと受け止めるよりないと受け止める事が出来たのです。平穏な気持ちになりました。素晴らしい演奏でした。自分の内に夜空に輝く星の様に輝く星を見たのです。自分が大宇宙に存在する星の様に感じ、とても自由で心地良く、どこまでも澄んだ透明な光を放つ生命と感じただけで喜びが満ち溢れてくるのです。喜びのままにコンサートが終了しました。いだきしん先生の所に行くと、先生から星は見えたかと尋ねられました。私は正直に2つも見えたのですと申し上げました。先生はすごいねとおっしゃって下さったのです。安堵しました。そんな事はないと言われなくてよかったと本当に安堵したのです。素晴らしいグジャラートでのコンサートでした。

母が亡くなった後にギリシャにていだきしん先生がコンサートを開催された時のコンサートタイトルが「輝く生命の星よ、永遠に」でした。このメッセージがあったので私は母の死の悲しみを乗り越える事が出来ました。グジャラートでのピアノコンサートでは真に「輝く生命の星は永遠」を体感しました。今も尚生命の内に輝く星を感じます。続く…。