世界伝説 第140弾

2013年はインド、グジャラートでの「高句麗伝説」コンサートの開催が決まっていました。下見を兼ね、以前よりヒマラヤの子供達が住む施設に行く約束をしていましたので、約束を守る為に行く事を決めました。ヒマラヤの山の中と聞いていましたので、ホテルは用意して下さるとのことでありました。どの様なホテルに泊まれるのか想像もつきませんでした。私は、ホテルが居心地が悪いと一睡も出来ず、体がとてもしんどくなりますので、いつも居心地の良いホテルを選ぶ事を優先しています。この度は用意して下さるとのお申し出があり、こちらでそれ以上尋ねる事も出来ず、どの様なホテルであっても大丈夫なようにと備えたのです。洗面用具からタオル、パジャマ、普段であればホテルに備えついているものまでも日本から用意したのでした。何がなくてもこの鞄があれば夜を過ごせるという気持ちで、キャンプに行く様な気持ちで準備をしました。身につける衣類もインドの衣類と聞いたものを沢山買い、マーブリングしたものでした。女性である私にはとても楽な衣類でありました。再びインドへ行く日が訪れました。ニューデリーで昨年のニューデリーでのコンサートの時に私達を招いて下さいました、シンさんご夫妻にお会い致しました。シンさんは最初、インド中でコンサートを開催しましょうとおっしゃって下さいました。全ては自分が行うとおっしゃっていたのです。が、昨年のコンサートの時もそうでしたが、私達には必要ではないと思われる事にお金が使われる事が多く、とてもこの事を気にしていたのです。NPO法人ですので、皆様のご寄付でコンサート開催費用も賄っていくのです。そのお金は必要なものより使えないと私は常に考えています。私から見ると必要がないと感じるものに沢山の費用が使われる事がとても辛い事でした。この事はお話させて戴きましたが、インドにはインドのやり方があるからという事で相談の余地はありませんでした。ニューデリーの時はこの事があったので、一度行く事をやめようと考えたのでした。その時、いだきしん先生からインドで開催する事により歴史が解明、解放されていく事のお話を伺い、やる意味があるとよく理解し覚悟して開催する事にしたのでした。その流れの中でありましたので、インドではインドのやり方があるというお言葉に従い行ったのです。が、2度は同じことは出来ない気持ちでいました。そんな時に、いだきしん先生が昨年のコンサートの時にコンサート開催の準備を担って下さった会社の社長がとても若い活動的な方でありましたので、その方に相談してみたらいいとアドバイスを下さいました。その方の出身地がグジャラートだったのです。次のインドでのコンサートはグジャラートで開催する事になったのです。この事はシンさんにとってはとても不愉快な事だった様です。が、いだきしん先生がきちんとお話しましたので、私達は予定通りグジャラートでコンサートを開催する事を進めますと申し上げたのです。

 少し気まずい気持ちが残りながらヒマラヤへと向かいました。生まれて初めてヒマラヤの大地に降り立ちました。昨年、ニューデリーで会った子供達が出迎えて下さいました。私はその姿を見ただけで嬉しくて、再び会えてよかったと涙溢れるのでした。

ヒマラヤの大地はとても神聖なエネルギーに満ち溢れ、空気も美しかったです。山道を車で登り、シンさんの奥様が作られた施設に到着しました。

施設でも車に乗り切れなかった子供達が沢山待っていて下さいました。皆に会えてとても嬉しいです。言葉は通じませんが気持ちが通じ合える子供達です。とても明るく、元気でいる姿が嬉しかったです。子供達は自分達の学校や住まいを案内して下さいました。

年齢の上の子が小さな子供達の面倒を見ているそうです。昨年抱っこした時に重荷を受けた小さな子供は、元気でいたのでとても安心しました。その小さな子供の面倒を高校生の御2人の一番年長の女の子がみているのです。何とも温もりを感じ、皆で助け合っている姿に感動しました。自分達で野菜を作り、色々なものを作っている事を見せてくれました。

お花が沢山咲く庭や野菜を作る畑も子供達と一緒に歩きました。

また、手芸もその場でしてくれ、色々な物作りをしている事を見せてくれました。最後には、演劇やダンスや合唱を見せてくれたのです。この日の為に皆で練習してくれたようです。

大歓迎の気持ちを表して頂き、とても嬉しい気持ちで過ごしました。そして、別れの時が来ました。次はいつ会えるのかと考えると寂しくなります。恐らく会える事はないと感じるからです。

年長の一人の女の子は、とても親しく私に語りかけてくれます。私の手をとり歩いてくれます。いだきしん先生にもとても親しげにそばに居ました。その子が先生に日本語の名前をつけてほしいと言ったのです。先生は、紙に「優子」と書いてその女の子に渡しました。私は一瞬涙が込み上げました。何て美しい名前なのだろうかと感動しました。いつだったか覚えていませんが、子供の頃、私は自分の名前が優子であればいいと感じたのです。「優」という漢字を見た時に、この字がつく名前であればよかったと感じたその瞬間をよく覚えているのです。この時、その瞬間を思い出して、この子はこの名前をつけてもらって本当に良かったと私はほっとし喜んだのでした。この優子ちゃんは、いだきしん先生がよく講座の時にお話し下さる小児科病棟で入院していた時に亡くなった幼い子供と同じエネルギーを感じるとお話下さいました。優子ちゃんは自分の気持ちに気がつけば必ず日本に来るといだきしん先生はお話下さいました。そしたらまた会えるのだと感じました。何故か私はその時、オープンしたばかりの高麗屋さんに優子ちゃんが働いている様な光景が見えたのです。日本に来たら一緒に生き、働くのかと想像したのでした。

 優子ちゃんやかわいい子供達と別れ、用意されたホテルに向かいました。ホテルに着いて驚きました。ヒマラヤの山の中にこれ程素晴らしいホテルがあるのかと驚くホテルでした。お部屋は一人一人ロッジの様になっており、一軒家なのです。中もとても豪華で広く、快適な空間でした。私が心配した様なホテルではないので必要なものは全部揃っていました。私はいつも予想外れだと苦笑しました。用意していた鞄の中はエチオピアの何もない所に行く時の様なものを用意したのでした。ここは何でもあります。それも、とても豪華であります。心豊かになるお部屋に泊まる事が出来、とてもありがたいと感じました。お食事も手作りのお料理がとても美味しかったです。私は、京都高麗屋をオープンする前に時間がなかったので無理して無理して頑張り、オープンまでこぎつけたのでした。が、オープン日に体中が痛くなり動く事も苦しい状態になってしまい、その後寝込んでしまったのでした。時々周期的に来る事なのです。この痛みが始まると寝ても座っても立っても痛むので大体は一晩立って過ごすようになってしまうのです。痛みに苦しんでいた時にいだきしん先生は、お肉を食べればよくなるとおっしゃったのです。私はお肉が嫌いです。野菜ばかりを食べています。お肉を食べればよくなるからと先生がおっしゃりお肉を食べるレストランに行ったのです。食べたくもないお肉を食べました。すると、痛みがとれ動けるようになったのです。ありがたい事と感謝しました。が、再びお肉を食べたいとは思いません。すると、先生がお肉を食べる様になればこの様な痛みが続く事もなければ、もっと力が出て仕事ももっと落ち着いてやっていけるとおっしゃいました。短気でいつもイライラしています。そういう状態も食べ物がちゃんとなれば治ると先生に強く言って頂きました。その日から私はお肉を食べる練習が始まったのです。インドでは鶏肉ばかりを注文しました。この時のこのホテルの鶏のお料理はとても美味しいものでした。美味しいお料理であればお肉であっても食べられる事がありがたい事でした。快適でとても上質な時間を過ごしたヒマラヤでのホテル滞在でした。そして、ホテルから空港に向かう道中は警察の警備がついたのです。シンさんが手配されたのです。シンさんはこの様な事が出来る御方なのです。私は、この様な事やこの様な事の延長にお金を使う事は無駄なように感じてしまうのでした。ありがたい事でしたが、自分がその為にお金を使うかと考えれば、使わないという事は明らかなのでした。空港でお別れし、グジャラートでコンサートをする時には是非お越し下さいと、いだきしん先生はおっしゃいました。お越し頂ければいいと祈る様な気持ちでお別れをしました。続く…。