世界伝説 第139弾

 私は東アジアをひとつにという本音に火がつき、京都八坂の地の、八坂の塔の真下に「高麗ギャラリーカフェ」を作りました。同時にいだきしん先生のコンサート活動が始まりました。いだきしん先生はその土地の歴史や生きる人々の生命に負担が掛かる状態を全て身に引き受け、解放の表現をしてくださいます。同時に生命の音を表現してくださいますので、人間の生命も解き放たれ、土地も解放され、真が現れます。この活動が真が現る平和な世界を作ると見出し、ずっと日本各地、世界各国で開催してきました。京都でも定期的に開催するようになりました。そんなある日、祇園の花見小路を歩いていた時に、少し嫌な思いをした後でありましたので、自分は下を向いて暗い気持ちで歩いていたのです。ふと大地から魂の声が聞こえました。瞬間私は「そうだ京都中に先生のコンサートを伝える」と叫んだのです。それが答えと見えたのです。暗く落ち込んでいる場合ではないのです。どんどん先を作っていかなければ、答えはないということがよく分かりました。京都中にいだきしん先生のコンサートを伝えようと本音を叫んでから、また様々な巡りが訪れました。丁度いだきしん先生が八坂の高麗ギャラリーカフェの中庭でお味噌を作ってくださったのです。いだきしん先生の生命のはたらきが人の重荷や苦しみ、痛みを引き受け、解放して下さり、一人一人の本来の力が引き出されてくるはたらきがありますので、先生が作ったお味噌はどれだけ体に良いかは想像がつくのです。実際頂いた時にとっても美味しくて元気が出てきました。特に具合の悪い方が召し上がると、てき面に良くなっていくことをたくさんの方からお聞きしました。体に良いものを作り、多くの人が良くなれば良いという気持ちが生まれ、たくさんのお味噌を作って頂こうと考えましたが、八坂の高麗ギャラリーカフェは製造許可を取れませんので、人様に販売することはできないのです。そこで製造許可も販売許可も取れる場所を作れば良いと考え、私はお味噌を作る工場の物件探しが始まったのです。最初は京都から少し郊外の方に出た所を探したり、山の中を探したり、伏見の酒蔵のあとを見つけたり、京都市内でもお米屋さんのあと、また京町屋の空き物件と、色々探し内覧に行きましたが、どこもピンとこないままだったのです。回る時、京都市内の八坂の近くの京町屋風の物件を内覧に行きました。とても素敵な建物でありましたが表立って味噌を売ることはできないと言われたのです。そうであれば目的と違いますので、ここに来た意味がないとがっかりしていました。そこにいらした不動産屋さんが話しかけてきたのです。「高麗さんですか」と尋ねてきました。私はびっくりしました。 「私をご存知ですか」と尋ねますと以前「高句麗伝説」にご参加くださったことがあるとおっしゃったのです。一気に私はすごいと叫び、親しく話し始めたのです。その方は「高句麗伝説」で詩を詠んでいた高麗さんと、味噌を作る場所を探しに来た高麗さんと同一人物とは思えずに戸惑っていたとおっしゃるのですが、どう見ても高麗さんだからと感じ、思い切って話してみましたとおっしゃいました。「高句麗伝説」をやっているのも私ですし、味噌を作る場所を探しているのも私ですと話し、何の為に場所を探しているかも話し始めたのですが、不思議そうな顔をしたままでありました。中々すぐにはご理解頂けないのだということがよく分かりました。自分でも笑ってしまう程の出来事なのです。まさか自分がお味噌を作る工場探しをするとは想像したこともありませんでした。そんなある日夢を見ました。いだきしん先生の娘さんの愛ちゃんのお子様が生まれたばかりでした。その赤ちゃんが京町屋風の路面店のお店で頭を下げて、「いらっしゃいませ」と言っている夢なのです。この夢がヒントになりました。路面店で京町家風の物件を探し始めました。不動産屋さんに条件を言っても本気だととっても頂けず、中々物件が送られてこないのです。お電話で催促しても本気でないのが伝わってくるのです。私のことは相手にしていないのだと感じ始めました。

そんな時にふと通りがかった道で夢に見た物件を見つけたのです。路面店で京町家風の建物でした。赤ちゃんが「いらっしゃいませ」と言っている夢は、子供達が生きていける仕事を作って欲しいというメッセージと聞こえたのです。綺麗な京町屋風の物件でしたので、私はここが良いと感じました。急いで書かれている不動産屋さんに電話をし、来てもらいました。以前は果物屋さんであったと聞きました。何とその物件の一室は冷蔵庫だったのです。果物屋さんであったので一部屋が冷蔵庫であるということを知り、大変驚きました。こんな物件他にはないと驚きました。そして2階にはミーティングをするような、また展示会ができるような木のお部屋があり、住まいも兼ねて住居もあったのです。台所も浴槽もお手洗いも付いているのです。何より一室が冷蔵庫であるということで、ここにお味噌を入れられると感じ私はここに決めようと気持ちが決まったのでした。今でもよく覚えています。再び八坂の地に戻って、春の優しい小雨が降る中でいだきしん先生に電話をしたのです。私は京都にもう一つ店を持ちたいという話をさせて戴きました。承諾を得、私はすぐにその物件の契約へと進みました。京都中にいだきしん先生のコンサートをお伝えしたいという本音が生まれ、その道は路面店に店を出すという答えとなったのです。御所南に位置していますので、目の前は京都御所です。御所南は、不動産屋さんからお聞きするにはとても高級感があり多くの人が憧れる地であると知りました。御所を前にし高麗の看板を立てることができる巡りに魂の導きを感じました。2013年、インドから帰ってきた翌年の3月に京都御所南に立つカフェ「高麗屋」をオープンしました。いだきしん先生に看板を書いて頂き、看板屋さんに看板をつけて頂きました。

看板屋さんは重労働だとおっしゃっていました。この看板を下ろすことはしてはいけないのだと、その時自分は受け止めたのです。御所南に高麗の看板が立ちました。オープンの日に2階の部屋で身支度をしている時、障子を開ければ御所の木々が風に揺れているのが見えました。御所には天皇陛下がおられます。「高麗屋には王がいる」と魂の声が聞こえ、身震いしたのです。ここに高麗の看板を立てたのは魂が導いたものであるとは自分の魂で分かっていました。続く。。。