世界伝説 第135弾

インドへ行く日はすぐにやってきました。生まれて初めてインドに来ました。縁がありながら中々縁がつながらない国でした。平成2年、日本テレビ系列の「愛は地球を救う」というチャリティー番組にて、いだきしん先生が番組の開始から終わりまで31時間熊本城二の丸広場でピアノを演奏して下さった時に、インドからいらしたテレビ局の方が大変興味をもたれて、インドに是非来てほしいと言われたのでした。ところがその後中々連絡がつかずにこの話はなくなりました。その後もインド大使館を訪ね、大使館員が「高句麗伝説」にご参加下さりとても興味をもって下さいましたが、中々インドに行くまでに話が進んでいかない事が続いていました。やっと初めて降り立つ事が出来たのです。飛行機を降り、空港の建物の内装や置物の色合いに驚きました。私が苦手な黄色と茶色、オレンジ系統だったのです。私は中学の修学旅行で黄色と茶色のギンガムチェックのニットスーツを着た事をよく覚えていますが、それ以来、黄色と茶色、オレンジ色の服は着なくなり、その色のものは身につけなくなったのです。やっとインドに来れたので苦手だった理由が分かり、苦手を乗り越えていけるのかもしれないと心がときめいてきました。ホテルに着き、セキュリティーチェックを通り抜けると、レイを首にかけて下さり歓迎の意を示して下さいました。もちろん、いだきしん先生の事は大歓迎である事が伝わってきました。私達を迎えに来、私達を受け入れて下さったシンさんは皆いだきしん先生の事を一目で分かったとおっしゃいました。本当にそうであるなら、素晴らしい事だと感じ、とても嬉しく感じました。最初に連れて行って頂いた所はガンジー博物館です。

インドを独立へと導いたガンジーの足跡や亡くなる前まで過ごしていた部屋が展示されていました。そして、亡くなった場所もここだったのです。動画を見てその生き様に触れ感動しました。そして共感しました。自国で採れる綿を自国の産業とし、皆が生きていける仕事を作っていくのだと立ち上がり、インド独立の為に尽くした人生には深く敬意を表します。亡くなるまで過ごしておられたお部屋を見た時に、その生き様に触れ、どれだけインドの為に尽くしてこられた事かと感じ涙あふれました。そして、インドの様々な工芸品が展示されているフロアに行った時には驚きました。何と、ドバイで私が出会い購入した黄色と茶色とオレンジ色の刺繍のタペストリーが展示されていたのです。案内の方がこれはインドを代表する刺繍のタペストリーですと説明して下さいました。私はこれをドバイで買いましたと話しましたら大変喜んで下さったのです。あの時も苦手な色のものを買う事に躊躇いました。が、出会ってしまったので購入したのです。インドにつながっていたのだと分かり、購入して良かったと胸撫で下ろしたのでした。出会いは未来との出会いといつも感じています。その時はなぜ購入するのか意味が分からなくても未来に向かっているある何かをいつも感じ、出会ったら購入する様にしているのです。この様に生きる様になったのは、一度とても後悔する事を経験したからです。以前、アメリカのロサンゼルスにて、いだきしん先生の音楽をアメリカ全土に広めていくプロジェクトを作りました。ハリウッドの女性とビバリーヒルズに住む男性と一緒にパートナーシップを結びました。私達はいつもビバリーヒルズのロデオドライブにあるホテルに宿泊しました。ブランド店が立ち並ぶとてもおしゃれな街で、私は歩くだけでうきうきと心がときめいてなりませんでした。ハリウッドでいだきしん先生のプロモーションコンサートを開催した時はロデオドライブのクリスチャンディオールで購入した服と靴を身につけて行ったのです。ホテル内のショーウィンドウに黄色のアタッシュケースが飾られていました。私は未来と出会ったのです。このアタッシュケースを持ってアメリカ全土をコンサートツアーをしている未来を見ました。ところが愚かな事に私は黄色が嫌いなので買う事はしなかったのでした。その後、日本に帰ってもこの黄色のアタッシュケースが気になって気になってならず、次に行った時は必ず買ってこようと心に決めたのです。次に行った時、そのショーウィンドウには黄色のアタッシュケースはありませんでした。私はがっかりしました。出会った時に買わないと次はないのだと感じ、また物を単に買うだけの意味ではない事も気づきはじめたのでした。その時見た、アメリカ全土をいだきしん先生のコンサートツアーで歩くという夢もなくなってしまったのです。もしあの時、黄色のアタッシュケースを購入していたら、その道が拓かれたのかもしれないと感じ始めたのです。私がいだき講座を始める時に、ピアノが人生を拓くという本音が生まれながらも、最初はピアノを弾かないので買う意味がないと打ち消しても、買わずにおれなくて購入した結果、いだきを始める事が出来たのです。黄色のアタッシュケースに出会った時もきっと買っておけばよかったという気持ちがずっとあり続けました。その事を思い出していたある日、東京のカフェ哲にてサロンを開催していた時にこの話をしたのです。あの時、黄色のアタッシュケースを買っていたらどんな人生になっていたのだろうと。すると翌日、驚いた事にいだきしん先生が私の誕生日プレゼントに黄色のアタッシュケースを下さったのです。大変驚きました。再び戻ってきた黄色のアタッシュケースに夢は実現すると見えました。その時見た夢は中国の首席にお会いしている夢でした。東アジアをひとつにと願う気持ちが実現するのだと感じ、とても嬉しかったのです。ドバイで今までは購入した事のない苦手な色のタペストリーを購入し、インドへとつながったのかと考えますと、未来を拓く道のりを歩めている事にほっとしたのでした。コンサート会場の候補地も見せて頂きました。野外でした。

とても由緒ある所だと聞きました。そこで見た夕日はオレンジ色でした。日本で見る夕日とは違う色でした。夕日の色が違えば、見る未来も違うのだという事を経験しました。とても神秘的で、この世で生きる人生だけではない永遠に生きる世界がある事を感じる夕日でした。

菩提樹という木があり、お釈迦様を感じました。お釈迦様が菩提樹の木で座禅をし、悟りを啓いたと聞いていました。インドに自生する菩提樹の木の下で、詩を書く時心地よい風が吹き抜けました。そして、皆が手をつなぎ合い、助け合っている光景が見える地でありました。ここで「高句麗伝説」を開催出来る事はきっと平和な世界を創っていけると見え、とてもありがたい事と感謝しました。

次の日はシンさんがリーダーとなっていますシーク教の本部に連れていって頂きました。靴や靴下を脱ぎ、裸足で中に入っていくのです。そして、寺院の中を見せて頂くと、沢山の人が大きな鍋で食事を作っていました。私にはお鍋が舟に見えたのです。大きなへらでかき回している時に、舟を漕いでいる様に見えたのです。こんなに沢山の食事を作る事に大変驚きました。そして、私はやってみたい気持ちになったのです。その後お聞きしたお話に感動しました。インドでは教会が食事を作って皆に配るので、食べ物がなくて死ぬ人はいないとお聞きしました。日本では「おにぎりが食べたい」といって一人暮らしの老人が亡くなったというニュースを聞き、ショックを受けていましたので、食べ物がない事で死ぬ事がないというインドの国は素晴らしいと感動したのです。カースト制度があり、貧富の差が激しい事はインドの映像でもよく見てきました。この度も、町を車で走る時に貧しい人が一杯いる状態が多かったです。それでも食べ物がなくて死ぬ事はないという事で私は、ほっとしたのでした。日本でも食べ物がなくて死ぬ事がない様に何とかしたい気持ちが生まれます。そして、ある所で私はいきなり、ここで床に跪き頭を垂れるようにと言われました。言われたままに床に跪き頭を垂れました。お祓いをして下さるという事だったのです。もう顔を上げてもいいという合図により顔を上げ、立ち上がりました。何が起こったのか、その時は理解出来ずにいました。が、後から現地の方が教えてくれました。普段出てこないシーク教の最高の僧侶が今日は突然出てきて私にお祓いをするという事になったとの事です。最高僧侶は私の事を「一切の我がなく、世界の平和の為だけに生きている人」とおっしゃっていたと聞きました。私は夢を見ている様な気持ちとなりました。まさか突然最高僧侶が現われた事も知らず、お祓いをして頂いた事も分からず、そして私が世界の平和の為だけに生きている事を分かったという事をお聞きし、本当にインドの人は人の事が分かるのだという事を感じたのでした。私は、世界の平和を3歳の頃から祈り続けて生きてきました。実現したい気持ちで、いだきしん先生にお会いしてから人生賭け活動しています。その事を分かって下さったのだと感じ、とても嬉しく感じました。続く…。