世界伝説 第132弾

雪が積もっている冬の寒い頃、東北センターにていだきしん先生のピアノコンサートを開催させて戴きました。白銀の雪の様にどこまでも澄んだ透明な光あふれる清らかなピアノの音に心洗われ、心地よいままに聴かせて頂きながら、ふと心に浮かぶのは復興支援の道創りです。どの様にしたらいいのか考える事は続きます。ふと、ある所に行ってみようと浮かんだのです。コンサートが終わり、次の講座までの時間に車を走らせ、ふと見えた所に行きました。それは、不動産の物件情報を見て行った所でした。車を降り、辺り一面を見回しながらその土地はどこにあるのかと探していると、一人の男の人が近寄ってきました。何か御用ですかと尋ねてきました。すぐに不動産屋さんだと分かり、この辺りにある物件を探しにきたのですと申し上げると、ここですよと教えてくれました。ここは一瞬で私とは縁がない所だと感じました。そこで、私は自分が描いている土地や建物を探しているという事を伝え、どこでもいいので良い所がないかと尋ねました。会社に戻れば一杯情報があるので、とおっしゃいました。私は今から一緒に会社に行く訳には行かないので、催しが終わった後でもいいでしょうかと尋ねたのです。その方の会社は東北センターの近くにあった会社なのです。通常であれば、夜遅く行こうと考えませんが私は必死で土地探しをしていたのでした。待っていますとおっしゃったので、私はその日の講座が終わった後、夜9時にその方の会社に行く約束を致しました。夜9時に会社に行き、幾つかの物件情報を見せて頂きました。その時に、その方のご実家が「コウマ」という所だというお話を伺ったのです。私の「高麗」とは字が違いますが、音が同じでしたのでとても縁を感じたのです。以前、色々地名を調べている時に岩手県には「コウマ」という場所があるという事を知り、驚いた事を覚えています。それはかなり前、先生に会う前の事です。まさかその地の方にお会い出来るとは、とまた不思議なご縁を感じたのでした。頂いた物件情報を見て、全部回ってみようと考えました。そして、翌日から時間をみては土地探しが始まりました。時間がないので盛岡市内がいいと考え、盛岡市と地名がつく物件をまず見に行きました。盛岡市内なのにどんどん離れていくのです。そして、森の様な所を通ったり、田園風景が続いたりとどんどん盛岡から離れていくので、カーナビゲーションが間違っているのではないかと何度も思いました。どう確認しても間違ってはいないのです。これはもう行くしかないと心し、ナビゲーション通りに向かったのです。ある県道に出た時に前方にとても美しい光が見えました。美しい花が一杯咲いていたのです。私は、そこで写真を撮りたく止まりました。その時ナビゲーションは「目的地到着です」とアナウンスしたのです。物件情報をよく見ると、そのお花畑が訪ねてきた土地であったのです。私は一変に気に入りました。ここがいいと感じました。大好きな色で、私が高句麗色と呼んでいる赤紫の花、青紫の花が、沢山咲いています。

しばらく写真を撮ったり、詩を書いたりし近くのコンビニに寄った時です。目の前に駒形神社という標識があったのです。ここには駒形神社があるのかと驚きました。そして、ここは「好摩」という地だったのです。駅が「好摩駅」だったのです。大変驚きました。私は駒形神社に行きました。木が大きく立ち並ぶ林道を歩き境内に向かいます。

境内にお参りをし、神様のメッセージを聞きました。そして、木のメッセージを聞いた時です。風が吹いたのです。
聞こえたメッセージは、

君をお待ちしていました
場は離れていても
君の為に生き 働き
この地で息をひきとり
この地で待っていました

風と共に聞こえたメッセージです。私は号泣しました。この地で私の事を「君」と呼ぶ魂が生きていたのかと。魂は君と呼ぶ存在とは離れ離れになっていた事がよく分かります。離れ離れであってもいつも君と呼ぶ存在を心に、君の為に生きたという事がひしと伝わり涙よりなかったのです。こうやって生きる人生もあるのかと、そしてなぜこの地であったのかと私は本当の歴史を知りたいと望みました。大変衝撃を受けました。初めて盛岡でチャリティーコンサートをした時、アンコールの時に「君」と呼びかけられた事を思い出しました。この地には高麗の魂が眠っているのかと考え始めたのです。間違いなく胸動き涙する土地があるのです。そして、色々調べている時に日本で「KOMA」という音の地名が一番多いのが岩手県だったのです。時間が止まる程の衝撃を受けました。高麗の縁がこの地にあるのかと全く知らない事だったのです。そしてこの地に導かれたのかと考えると人間という存在の計り知れない事、神秘的な事に畏怖を覚えます。私はこの地に来たのです。動く時に魂が動き魂の真に出会うのです。駒形神社の衝撃はずっと続きます。ある時は奥州駒形神社へ行きました。奥州こそ阿弖流為の地です。奥州にて「高句麗伝説」を開催させて戴く巡りとなり、動員の為に奥州の会場にて私の作品展を開催した時に、奥州駒形神社に行ってみたのです。ここが駒形神社の元なる神社と聞きました。ここでは「高麗の蝦夷よ」という呼びかけがあったのです。胸がドキッとしました。そのまま受け止めました。そして、神社の由来に「高麗に憧れて」という文字を見つけた時には更に胸がドキンと音が聞こえたのです。やはり高麗の縁で駒形神社というのかと受け止めました。高麗といっても高句麗なのか高麗(コウライ)なのかと分かりたく調べてみると、高句麗だったのです。「高句麗に憧れてここに社を建てた」という文言が心にありました。駒形神社はやはり高麗の縁の神社だったのです。そして駒ケ岳も高麗の縁の名前だったのです。岩手県には「KOMA」がつく地名が確かに多いのです。この地に来なければ分からなかった高句麗の縁であり、歴史です。続く…。