世界伝説 第131弾

東北の復興支援の道を創りたく、兎に角人に会えば何方かを紹介して頂くお願いをしたり、お話をし、ご紹介頂ければすぐに会いに行っていました。ある時、気仙沼の方とお会いする約束がつくれました。盛岡から高速道路に乗り紫波のサービスエリアで休憩をしていた時に、高速道路のアナウンスが流れました。この先事故により通行止めになっているとのアナウンスでした。心が暗くなりましたが、行くよりないと分かっていますので出発しました。一関インターチェンジで降りました。一関インターチェンジは中尊寺があったり、厳美渓があります。いだきしん先生にお会いする前に、北に行けば何かがあると予感し、体が動くうちに北へ向かっていこうと岩手県の友人に車に乗せて頂き、中尊寺、そして盛岡まで辿り着いたのです。一関で中尊寺と厳美渓に行った事は丁度写真にも残っていますので、よく覚えています。

一関は、小学校の時の大好きだった担任の先生の出身地でした。私は、大学を卒業したばかりの若い美人の先生が大好きでした。この先生の時は、私は自分を表す事が出来、能力も上がり、成績は抜群に良かったです。学級委員に選ばれ、リーダーになり自分を活かしていけたと感じる経験が出来た学年でした。以前、東京から盛岡方面に向かう時にガソリンがなくなりそうになり一関インターチェンジで降りてガソリンスタンドに寄った時に、なんと偶然にもその先生にお会いしたのでした。ここでお会いできるとは夢の様と感じ喜びました。この時、お会いした時が最後となりました。その後、ご結婚されドイツの方に行ってしまわれたので消息がつかめなくなってしまったのです。震災が起こった時に、この先生が岩手県にいらっしゃらないかと探した事もありました。

そんな事を思い出しながら一関インターチェンジを降り、カーナビゲーションが誘導するままに一般道を走りました。ある所で突然胸が動き、懐かしい気持ちとなり、自分では思いもかけず涙が込み上げてきたのです。一体どうなってしまったのかと自分の状態を考えました。ここはどこだろうと辺りを見回しました。電信柱の所に「KOMA」という文字を見ました。アルファベットで「KOMA」と書かれていました。ここは高麗の地なのかと驚きました。岩手県に高麗の地があるのかと意外な気持ちでただ驚くばかりでした。しばらくまた車を走らせると、再び懐かしい香りに包まれました。胸の内でここは知っていると感じる感覚がありました。ここは「東山」という地名でした。京都の東山は高麗人の居住区であったと聞いています。そのご縁で私は、東山八坂の地に「高麗」の看板を立てる巡りとなったのです。ここも東山なのかとまたもや意外な驚きをもってその地を通りました。沼とか木々の立ち方が懐かしく、知っている感覚がずっとありました。不思議な気持ちで気仙沼に到着しました。気仙沼も大変被害があった事はその町の状態でよく分かりました。気仙沼でお会いした方は残念ですが、私とは性が合わない方でした。遥々訪ねましたが、ここにはご縁がない様な気持ちとなり、帰路に着いたのです。
家に帰り、懐かしい香りを辿りパソコンで検索してみました。パソコンの画面に出てきた文字を見、飛び上がる程驚きました。そして時間が止まったのです。阿弖流為の里と書かれてあったのです。それも朝廷が集中攻撃をした地であると書かれていました。その地が「KOMA」という地なのかと驚くばかりでした。夢中で阿弖流為の事を調べました。以前からいだきしん先生より聞いていました。また、宮古にコーヒーの炊き出しに行った時に3日間一睡も出来ずに苦しんでいる時に、いだきしん先生より一言「阿弖流為と言ってごらん」とおっしゃって頂き「阿弖流為」と声を出して言った時に苦しみが抜けていったのです。が、私は申し訳ない事に知ってはいても、出会ってはいなかったのでした。この時初めて会いました。強い衝撃が全身を貫き、魂目覚めました。阿弖流為と出会わずして東北の復興の道を考えていた事が大きな間違いであったと気づいたのです。一生懸命復興支援の道を探し続けましたが、中々道が創れないのは阿弖流為と出会っていなかったからだと合点がいったのです。そして、東北の蝦夷の魂の事も分からないで自分は東北の地を歩いていた事が真に愚かであり申し訳ない事と深く反省しました。
また、懐かしいと感じた「東山」と書かれた地は東山和紙が作られる地でありました。本州最北端の和紙の産地と知りました。京都東山から職人が来て教えたという由来も知る事が出来、大変驚きました。魂は香りで分かるのだといつも感じます。突然懐かしい香りがし、胸が動き涙するのです。魂に導かれてこの道を通ったのだという事が大変不思議な事と感じながら、魂の働きをいつも実感するのです。事故で高速道路が通行止めにならなければ、阿弖流為との出会いはなかったのかと考えるだけで一見困難な事であってもどの様な偶然が待っているか分からないと畏れ多く感じます。
盛岡の東北センターのオープンの日に胸の内から飛び出た透明な水色の鳥は、最も純粋で清く美しい魂を表すと感じていました。この地は透明な水色の魂と感じていました。蝦夷の魂であったのです。心から申し訳ない気持ちで一杯となり、やっとスタート地点に立てた事を分かりました。東北の歴史を分からずして復興の道は創れないと頭を垂れました。阿弖流為に出会えず人生が終わると考えただけでも恐ろしい事と感じました。ここで出会えて本当に心から感謝の気持ちが湧きいづります。阿弖流為との出会い、真の人生の始まりです。続く…。