世界伝説 第102弾

5月13日誕生日を一日中五女山で過ごせました事は、私には夢の様な素晴らしい誕生日でした。翌日は、高句麗第2の都、集安に向かいます。五女山城がある桓仁から幾つもの山を越えていくのです。長い間車に乗り、集安に着きました。集安はいつも宿泊するホテルよりありませんので、赤い水が出たりするホテルに滞在します。世界遺産になって初めて高句麗古墳群に行きました。

やはり1998年に来た場所と同じ場所とは思えず、私は初めて来たと錯覚する程変わっていました。けれど、野原の中に沢山の古墳がありますので、何が変わったといっても建物が立ったわけでもなく野原が広がっているだけなのですが、私には1998年の時に来た事を思い出せない程に、その時の事は覚えがないのでした。私は、古墳がある野原にある切り株を見つけては、そこに座り詩を書いて過ごしました。風が吹くと心地良くて、生命と空間がひとつとなりこれ程心地良い事はないのです。幸せを感じました。いだきしん先生はずっと撮影して下さっています。ずっとここにいたいと感じていた頃、中国のガイドさんに呼ばれ、そろそろ引き上げましょうという合図がありました。残念な気持ちがありながら、いつかは帰らなければいけませんので、いつかは帰る時が来るのです。ずっとここにいられたら幸せと感じる場であり空間でした。鳥が鳴いて、鳥の声が空間に響き渡るのです。美しい鳥の声が空間とひとつになる時、美しい世界が広がる光景が見えるのです。鳥もとても幸せそうに鳴いています。美しい空間で生きる事は、生命ある存在であれば皆幸せなのだという事を鳥の声から教えられます。いだきしん先生も「気持ちがいいね」とおっしゃって下さいました。「歴史がある地は、血なまぐさかったり、色々なエネルギーが蠢いているけれど、ここは本当に気持ちがいいね。ただ一生懸命、子孫の為に働いていたんだね。」とおっしゃって下さったのです。その時、私には高句麗の魂が喜び、涙し、光り輝いている光景が見えたのです。魂は報われたと一瞬にし分かり、私は涙があふれてきました。いだきしん先生にこの地までお越し頂き、先祖の魂が報われる事をさせて戴いた私は、これ程の先祖孝行が出来ました事に深く深く感謝をしたのです。この様な事が出来る人生に心からありがとうございます、という言葉が生まれるのです。宇宙の生まれる3段階前の光を宿す、いだきしん先生に高句麗の地までお越し頂けました事は、先祖から見たら大変な働きであると考えます。先祖の魂報われ、共に喜び、涙し最高に幸せな古墳群での経験でした。日本に帰り、この時いだきしん先生が撮影された映像を見させて頂きました。映像には、ピンクの光が写っていました。そして、喜び涙している様にピンクの光が動いているのです。この様に魂は光となって空間に存在し、分かる人がいれば映像にも映し出されるという事を経験しました。

 将軍塚にも再び行きました。将軍塚も世界遺産となって整備されていますので、以前行った時とはまるで違う地に行ったかの様でした。将軍塚の近くの野原にすみれの花を見つけました。私は、懐かしい知人に会った様で「お久しぶりです」と声をかけました。「ここにいたのですね」と思わず声をかけたのです。子供の頃、家の近くの山に行っては、すみれの花を見つけて驚喜していた事が蘇ります。将軍塚にもすみれの花が咲いていた事がとても嬉しくて、私が幼い頃見つけたすみれの花と将軍塚に咲くすみれの花は共振共鳴していると感じ、思わず笑みが生まれたのです。すみれの花は、私がいつかこの地に来る事を知っていたのかもしれないと想像するだけで楽しいひと時でした。風に揺れるすみれの花と語り合い、とても幸せなひと時を過ごしました。

 再び好太王陵、好太王碑も行きました。前回は厳寒の中を歩きましたが、この度は、若葉輝く爽やかな季節ですので、歩いているだけで心地良い風に吹かれ幸せでした。高句麗の地にいると何もかもが幸せ色に見えてくるのです。生命は躍動し、喜びあふれ本当に幸せを感じます。昔この地で生きた高句麗人の魂共に歩いていると分かりますので、これ程楽しく幸せな事はないのです。

そして1998年に行った第2国内城跡にも行きました。やはり、同じ国内城とは思えませんでした。1998年の時は、土壕の様な家が並ぶ所に城跡がありました。城壁の上に道があり、私は雨の中傘を差しながら仲間と歩いていたのです。その時書いた詩は、いつかは一人一人が飛び立っていくという詩でした。いつまでもずっと永遠に共に暮らしていけない家族の絆を詩に書いたのです。一人一人が世界に飛び立っていくのです。とても子供の頃の事を思い出す懐かしい地でありました。この度は国内城も整備されていました。城壁の上を歩く道は世界遺産となっていますので、歩く事はできませんでした。石垣も整備されてきれいになっていました。前回は、高句麗時代の息吹やエネルギーを感じましたが、整備されると、感じるエネルギーも変わってくる事が寂しい事と感じました。それでも再び国内城に来る事が出来ました事は嬉しく、ここにいるだけで幸せを感じます。

丸都山城宮殿跡にて高句麗の美しい姫が見えました。活発で光り輝くその姿を敵は見えなかったと大地が教えてくれました。戦の時代にあり、光り輝き生きる事で生命守り生きてきた事、今の時代にもこの生き方が生き延びる生き方と教えられます。光り輝き生きる事がどの様な時代であっても生きる事と宮殿跡にて美しい姫の魂に出会い生命に刻まれました。

見張り台があった跡に立つと、一陣の風が吹きました。天とひとつに生き「生命賭け守る」と天とひとつの強い意志が天とつながる柱と立っていました。「生命賭け守る」という状態を生まれて初めて経験しました。少しの隙などある訳がありません。完全に天とひとつ生命賭け敵から高句麗の姫、高句麗人を守った事を体で分かりました。1000年を超え、高句麗人が生命賭けてきた生き方を自分の体をもって分かる事が出来る経験に深く感謝します。生命賭け守り生きた高句麗魂に報いていく為にも、私自身が天とひとつで生きる事を身に付けていく事が必要と考えます。今の時代は、天の更に向こうと高句麗王が表現した宇宙が生まれる3段階前の世界が拓かれています。「天には限界がある事を知りつつも天と共に生きる悲しみ 愛」と詩に詠んだ状態は、身が裂かれる程の悲しみが愛と変わる経験です。高句麗王が望んでやまない天の更に向こうが拓かれた今は、高句麗時代とは違うのです。この恵みを受け止め、活かし生きる事は人間の生きる道と考えます。

 夜になり、食事の席でいだきしん先生が「明日は、丸都山城に登ろう」と突然おっしゃったのです。丸都山城は、発掘調査が全くされていない山なので獣道であり、専門家が行っても磁石が狂い迷子になってしまうと聞いていました。そんな所にとても行けないと、私は頭から思い込んでいました。ところが、いだきしん先生は行くと決めておられ「明日は丸都山城に登る」と再びおっしゃいました。この場面からは「世界伝説」第1弾に書かせて戴いています。この時、丸都山城に好太王様と共に、沢山の高句麗人と共に登れたので「世界伝説」が誕生したのです。続く…。