世界伝説 第82弾

1ヶ月近い海外「高句麗伝説」コンサートツアーから帰国し、また再び8月にはヨルダンでの「高句麗伝説」開催に向かい旅立ちました。日本からヨルダン、アンマン空港に降り立ちました。パスポートコントロールは、とても緊張する空気でした。指紋を採ったりと厳しいチェックが行われていました。中東で生きる事は、大変緊張感ある厳しい状況下で生きる事なのだという事を、国境検問所や空港等では、いつも感じます。初めてヨルダンを訪ねた時、ラクダが歩いて似合う時間が流れていました。タイムスリップした様な感覚となり、お腹の底から笑いが込み上げてきたのでした。

穏やかな時間が流れる地でありながらも、緊張感漂う地であったので、日本からアンマン空港に降り立ち、パスポートコントロールを通る時の緊張感は、まるで違う国に来たかの様でした。ヨルダンでは、最初に記者会見が行われました。

ある記者が私に質問しました。「貴方は、レバノンのティールで亡くなったお父様の魂に会ったとおっしゃっていますが、お父様は何色の服を着て、どの様な表情をしていましたか。」と。この質問を聞いた時に、私はお腹の底から腹が立ちました。何という事を聞くのかと感じたのです。魂が服を着るという表現が、私には表面的に感じたのです。この様な質問に答えたくもない気持ちになりましたが、私は即座に答えたのです。「私が今ヨルダンに来て『高句麗伝説』を開催するという事が、ティールで亡き父の魂に出会った証です。人間は死んで終わらない。魂は永遠と分かったので、今私は生きています。」と答えたのでした。その記者は大変喜びました。「この様な話は中東には必要な事なので、特集番組を作ってテレビで放映したらいい」とおっしゃいました。レバノン人に会った時も、私からすると、何という事を言うのかと瞬間、腹が立つ事もあったのです。が、自分の気持ちや、やろうとしている事をはっきりと伝えると、とても喜んでくれるのです。次第に私は、試す様にこの様な言い回しをしてくるのかと感じる様になりました。それをむきになって怒っている自分に苦笑します。この時も、予想外の展開となり、驚いたのでした。が、私の経験が中東には必要であるとおっしゃって頂いた事はとてもうれしい事でした。

 ヨルダンでの「高句麗伝説」コンサートの舞台は、ジェラッシュの遺跡です。以前来た時に下見に行ってきました。遺跡から大地の声を聞き、詩に書いて歩いていました。遥か彼方からの風が吹いて、遥か彼方からのメッセージを詩に書きました。

ヨルダンの「高句麗伝説」では、ジェラッシュでのメッセージの詩を詠ませて頂きました。もちろん「高句麗伝説」ですので、高句麗の王様の詩も詠ませて頂きました。いだきしん先生の演奏は、その地の歴史や生きている方々の生命とひとつになって生まれる表現を即興演奏なさいますので、その音色やリズム、メロディーを聞く事で、その地の歴史や文化が分かります。生命でその地の真の歴史や、人々の魂や心を感じる事が出来る事は、とても幸せな事であります。「書かれた歴史は権力者から見たものであり、一人一人の歴史は生命に刻まれている。それを、音楽で表現するとは何と素晴らしい事か。」とレバノン大使もおっしゃっていました。私が「高句麗伝説」の事を話した時に、大使はその様におっしゃったのです。真の歴史がいだきしん先生の演奏によって現れる時に、私達は真に出会い、魂が覚醒します。こんな素晴らしい事はありません。私は瞬間瞬間、遥か彼方と通じる事に専念し、詩を詠ませて頂きます。本当はどの様な演奏かと聴き入る事が出来ればいいと感じる事が多いですが、必死に詩を詠ませて頂いています。後日、上映会で見る時、多くの発見と気づきが起こります。当日は、無我夢中で体の中を駆け抜けるエネルギーから何が起こったのかを感じる事は出来ますが、コンサートの演奏を聴いている時とは、やはり状態は違っています。無我夢中で今、今に集中していますので、時間は全く感じないのです。気づいたらあっという間に終わっていました。あっという間であっても、時空を超えて何千年も経った様な感覚も起こるのでした。共に同行したスタッフが言っていた事ですが、警備の兵士が銃を置いて先生の演奏に聴き入っていたと聞きました。先生の演奏を聴いたら、戦う気はなくなり、愛に満ちるという事をスタッフと話し合っていました。レバノンでもそうでした。沢山の警備の人がいましたが、皆銃を置いて演奏を聴いていたと聞きました。先生の表現するエネルギーが世界に伝播すれば平和になると、いつも感じています。ヨルダンでの「高句麗伝説」は、あっという間に開催し、あっという間に日本に帰ってきました。続く…。