国創りの源は美と体得し、北朝鮮から帰った私は、新しい国創りをしていく意欲と力にあふれていました。ところが急に腰が痛みはじめ、歩く事もままならない状態となってしまいました。いだきしん先生に出会い、生まれつきの運命を解放して頂き、生命の深奥に輝く真の光であります真の自分を取り戻してからは、生命の声である本音を分かり生きてきました。体の苦しい所や痛い所があれば、体に問い、何故痛いかを考えると原因が分かります。生命は、いつも生きていける様に働いてくれているのに、その働きを無視したり、分からなかったり、抑え込んでしまうと、体は痛みや苦しみをもって間違っている事を教えてくれていると分かります。分かると同時に、痛みも苦しみもなくなっていくのです。そして、本当はどう生きたかったのかという生命の声である本音が分かると、新しい力が生まれ、一変に生きる世界も次元も変わるのです。いつも本音を分かり、体も治してきた私は、腰の痛みをずっと問うて考え続けました。いつもはすぐに分かる本音も、この時は分からずに、苦しみや痛みは続きました。体に問うと「自分の足で歩いて生きた事がない」と聞こえます。「自分の足で歩いて生きた事がない」という言葉の意味が分からずにずっと苦しんでいたのでした。もちろん、自分の力で生きた事がないという意味とは分かりますが、私はいだきしん先生に出会ってから、運命が解放され、本音で生きる様になり、本音で生きてきましたので、自分で生きてきたと考えてきました。初めてしたピアノの営業の仕事では、人に会う事は人間修行と考え、自分を分かる事で何方にも断られなくなり、東京都でナンバーワンになりました。自分で生き、働き、お金も稼いできたので、自分で生きてきたと思っていました。故に「自分の足で歩いて生きた事がない」と生命では聞こえる声を、受け止める事が出来なかったのです。が、ある日、生命から聞こえる「自分の足で歩いて生きた事がない」という声をそのまま生命で受け止めました。丁度その時、大阪の帝国ホテルにて私の「本音で生きて下さい」講演会を開催する時が来ました。その前に東京で講演会を開催した時、恥ずかしくも車椅子に乗り、座ってお話をさせて戴きました。本音で生きる事で体も治り、自分を活かし、健康で自分を実現する人生を生き始めたお話をしている私が車椅子に乗っている姿はご参加者の方々からは、不思議と感じておられる事が見てとれました。とても申し訳なく感じ、二度とこの様な事はしてはいけないと心に誓いました。大阪での講演会も自分の足で立ってしたかったのですが、腰が痛くてとても立てる状態ではなかったのです。スタッフが演壇に椅子を用意してくれました。が、本番直前に、いだきしん先生が「自分の足で立って話しなさい」と一言おっしゃって下さいました。その時の私の状態では、立つ事も歩く事もできませんでした。が、東京での講演会の様な事は二度としてはいけないと決めていたので、先生のおっしゃる様に、やるよりないという気持ちになって臨みました。会場の照明を消して頂き、演壇の近くまでは車椅子で移動致しました。演壇に登る時、一歩一歩やっと歩き、演壇に登り、立ちました。そして、本音で生きる人生をお話し始めました。自分の腰を支えていてくれている沢山の存在が見え、感じました。私は目に見えない世界が見えるので、自分の腰を支えてくれている存在がはっきりと光となって見えました。体は、支えられていたので、苦も無く、痛みもなく立つ事が出来ました。ありがたくて胸の内は涙にあふれていました。感謝の気持ち一杯で講演会を無事に終わらせて戴きました。この経験をもって、やはり自分の足で立った事も歩いた事もなかったという事が分かりました。いつも目に見えない存在や魂、両親に支えられて生きているので生きてこれたのだという事が生命をもって分かりました。これからは自分の足で立ち、自分の足で歩いていけると今までにない人生が始まった事を経験しました。自分の足で歩きはじめ、翌月7月はギリシャへと旅立ちました。その年の10月にギリシャにて、いだきしん先生のコンサートを開催する予定でしたので、打合せの為に行きました。アテネに着き、最初にコンサートの開催候補地でありますパルテノン神殿に行きました。パルテノン神殿の真下にあるヘロデスアティコス音楽堂にてコンサートを開催する予定でした。ギリシャの夏は暑く、日差しは明るく、眩しい位です。私は、日差しが明るければ明るい程、心が暗くなっていく自分に戸惑いました。パルテノン神殿の丘に立ち、アテネの街を見下ろす風景を見た時、涙がほとばしりあふれます。子供の時吹いていた風が吹き抜けました。子供の時いつも「この風が吹くから生きていこう」と感じ、辛い時も生きてきました。その風が吹いたのです。理由が分からず、涙ばかりがあふれました。




