東明王歩く

はるか彼方からあらわれ
ここに立つ
東明王と共に歩く道
どんな道も
共に行く
獣道であっても
困難な道であっても
共に歩くことが生きる喜び

私にはこの道を歩く東明王様が見えます。向こうから歩いてこられる東明王様のお姿に心がときめき、踊り、出会いの時を恋い焦がれるのです。東明王様はどこからお越しになったのかと感じるほどに軽やかであり、ここにだけに存在する御方ではないと見えます。はるか彼方からここに降り立ち、宇宙と通じ、ここに皆が生きていける場を創り、生命ひとつで生き・・・。この道は当時の高句麗人の生き様、暮らしを語っています。東明王様と共に歩くことが楽しくて、共に生きることが喜びであった高句麗人の息吹を感じます。この王と永遠に共に生きていきたいと望み、死んでも共に在りたいと望み、2000年の時を超え、蘇り、あらわれた魂を見ます。歴史の影が見える道です。表にあらわることのない歴史を語っています。わかる人にはわかる歴史の真が表れています。やっと出会えました。これから高句麗の真があらわると見えます。真実現する時代のはじまりです。