世界伝説 第99弾

レバノンではいよいよ最後となりました4回目の「大地の声」は、イスラエル軍の攻撃により最も被害を受け、沢山の方が犠牲になったイスラエルとの国境の街ビントジベイルでの開催でした。ビントジベイルの議長さんが、沢山の方が亡くなったので、いだきしん先生に来て頂き慰霊を、というお気持で依頼されたのです。

お気持ちを受け、開催させて戴くことにしました。いだきしん先生によってよりその地を癒す事や沢山の亡くなられた方々の霊魂を慰霊する事は出来ませんので、私はこの様な機会があります事はとてもありがたい事と感じるのです。それ以外に解決する事はなく、悲しみや苦しみ、辛さ、恨みは子孫に受け継がれていくのです。先生によって受け容れられ全てが解放されていく事は、今ある山積する問題の根源解決となると分かっています。ましてや人間の悲しみや恨みは何によっても癒される事はないと考えますので、いだきしん先生に受け容れられ、解放されることは今まで人間が経験した事がない真の解決となります。ビントジベイルへ行く時はパスポートを持参するようにと言われました。少し緊張しました。又、ランチは議長さんのお宅でしますとお聞きしました。私はブルガリアにて手料理のお料理を沢山頂き3日倒れてしまった経験がありますので、コンサート前は万全に臨む為にお食事は断る様にしたのです。その事をお伝えさせて戴くと、レストランがないのでそこで頂くしかないときっぱりと言われ、相談の余地はありませんでした。そうであるならと受け止め、少し不安でしたが、ビントジベイルへ出発の朝がやって来ました。支度をし、パスポートを持ち、いつもより緊張しホテルを出ました。道中も緊張しました。ビントジベイルが近づき、街並みを見ているとレストランがないのはよく分かりました。そしてビントジベイルに入れば、街は破壊されているのです。

レストランがあると思っていた自分の浅はかさを恥じました。議長さんのお家の周りは破壊されていましたが、議長さんのお家は破壊されずに建っていたのです。スタッフ全員をランチに招いて下さいました。テーブルに並べられたレバノンの家庭料理は、見た目も美しくとっても美味しそうに見えます。議長さん自らお料理を運び、私達に振舞って下さいました。手作りのレバノンの家庭料理の美味しかった事は忘れる事が出来ません。私はどこの国が一番食事が美味しかったかと問われると、必ずビントジベイルの議長さんのお宅のお料理と答えるのです。とっても美味しかったのです。そして、心から温かくおもてなし頂いたので緊張もなく、楽しく豊かな気持ちでお食事を頂く事が出来た事は忘れる事が出来ません。スタッフ皆で喜び感謝しました。楽しいランチタイムを過ごさせて戴き、ビントジベイルの街を車で案内頂きました。大半が破壊され、見るも無残な大変悲しい状況です。ある丘に立ちました。丘の向こうはイスラエルと聞きました。美しい風が吹き、次元を超えた世界を感じます。この美しい地と風を何と表現出来るのかと、風に吹かれながら内面を辿りました。突然、ここにイエスキリストが歩いておられたらぴったりと感じたのです。イエスキリストの様な神聖なる存在に合う美しい地でした。イスラエルの国境と聞きましたので、イエスキリストが生きた地はこの様に美しいのだと感じ、感動しました。十代の頃、聖書を読みながら、ナザレやガリラヤ湖を歩くイエスキリストの姿が瞼に浮かび、愛おしい程に会いたいと感じたのです。いつかナザレに行ってみたいと望んでいました。ビントジベイルの丘に立ちて、イエスキリストを感じる事が出来ました事は大いなる喜びでした。

今も尚吹く風の美しい事、神聖なる光、風、生命の内に在り続けます。議長さんはここに文化センターを建てる計画をしているとお話し下さいました。ピアノを置いてコンサートも出来るので、私に一緒にやってもらえないかとお話し下さいました。周りは全て破壊され、何もない地でした。いだきしん先生は、イスラエルの国境ですので、又作っても破壊される懸念がある地で、新たに建物を建てようという気持ちがある事が凄い事とおっしゃいました。私も真にと頷きます。折角作っても爆破され、又なくなってしまう事を考えると、私には中々想像がつかない事でした。が、ここにあればいいと感じました。そしてここにいだきしん先生がお越しになり、コンサートが出来ればいいとも望みました。やれるものならやってみたい気持ちが内から生まれました。美しい丘を立ち去り、コンサート会場へと向かいました。学校の講堂の様な場所だったと記憶しています。控室用にと案内された部屋は、学校の職員室の様に感じました。ホールはとても汚れていました。日本から一緒に来たスタッフが一生懸命掃除をしてくれていました。皆で動くと汚れた所もきれいになります。いつもいだきで生きる仲間達の結束力は素晴らしいと感じています。気持ちひとつになって向かう時、何でも出来るのです。いつも海外コンサートでは、私達がコンサートをした後は、する前よりきれいになると大変喜んで頂いてきました。ビントジベイルの汚れはちょっとやそっとでは中々きれいにはならないものでしたが、皆で一生懸命お掃除してくれたのです。とても暗い会場でした。国境で警備している国連の兵士達もコンサートにお越し下さっていました。いだきしん先生に始まる前に一言おっしゃって頂いた事があったので、私は無事にコンサートを行なう事が出来ました。目の前にいる人を気にしないで、大いなる存在とひとつになって詩を詠めばいいとおっしゃって下さったのです。コンサート中、目の前にいる人は、電話がかかってくれば電話に出てしまうのです。いだきしん先生からおっしゃって頂いていなければ私は腹を立てがっかりし、イライラし、とても集中して詩を詠めなかったと推測出来ます。いつもお客様の様子を気にすると集中出来ませんので、大いなる存在とひとつに在る事を徹する様に努めています。この時は電話の声まで聞こえたり、笑い声や話す声が沢山聞こえましたが、大いなる存在とひとつに在る事に徹したのです。やがて、話す人も静かになり、会場も静かになりました。私は大いなる存在とひとつに詩を詠み、やり遂げる事が出来ました事が、とても嬉しい事でした。これからは大いなる存在とひとつに生きる事に徹していこうと生きる道を見出したのです。終わった後はご参加された方々と和気藹々と談笑したり本にサインをしたりと楽しく過ごせました事が、コンサートが成功した事の表われです。

沢山の方が亡くなられた地にて無事にコンサートをさせて戴けました事は、本当にありがたい事でした。大いなる存在とひとつで異次元で生きる生命でなければ、その地に生きる人々のお役には立てない事はティールで甚く経験しましたので、ビントジベイルではお役に立てる状態で詩を詠めました事で安堵しました。いだきしん先生は常に即興演奏なさいますので、瞬間瞬間生命に負担がかかるエネルギーや、人間が生きていく上で障害となるものを変え、新しい世界を創造する表現をして下さいます。いだきしん先生の表現こそが、悲しみにある地が癒され、大地は光となり、人の内面は苦しみ、悲しみから解放され、自由と愛を経験します。根源解決の経験と身をもって分かります。ビントジベイルまで来れてよかったと、とても嬉しくありがたい気持ちで帰路は心満ち、ベイルートへ戻りました。続く…。