世界伝説 第98弾

レバノンでの3回目の「大地の声」コンサートは私が永久名誉市民の称号を授与されたティールでの開催です。ティールへ向かう道はいつも心ときめきます。青い海を眺めオリーブの木が見えてくるとティールが近いと感じ、とても心がときめきます。

ティールに着くと祈りの声が聞こえます。この空間は異空間といつも感じ、祈りの声が現実とは感じず時空を超えた世界で永遠に生きる人間の世界があるといつも感じるのです。

この世だけが人間の生きる世界ではなく、人間は時空を超えて永遠に生きていける世界があるといつも望み生きてきました。時空を超える世界に触れることは真理を分かっていく扉が開いたようで、とても心がときめくのです。人間とは何か、生きることの意味、死が終わりでも別れでもない永遠の世界を求めた3才の頃が蘇ります。人間とは何かを深く分かりたい気持ちで生きています。どのようなご縁か計り知れませんが、父母が亡くなり、先を作ること無くして生きていけない限界にあり、先を作る為に高句麗の源を辿り、フェニキアの9000年前の都市ティールに辿り着いたのです。亡き父の魂に会うことができ、魂は永遠と分かりました。人間は死んで終わらない存在と生命をもって分かったのです。その地で「高句麗伝説」をさせて戴けましたことは私には夢のような出来事でした。それも聴衆全員が総立ちとなりブラボーと歓声を上げ号泣したことには、さらに驚き予想も想像もできないことが起こったことに夢を見ているようでした。人生とは本当に予想もつかないことが起こるものです。そして永久名誉市民の称号を授与されたのです。

翌年イスラエル軍によってティールは破壊されました。その時私財を投げ打ち、避難民の為にずっと尽くしておられたティールの市長さんの悲しみを考えると、私は何とかお力になりたい気持ちが湧いてくるのです。いだきしん先生にお会いになることは何より悲しみが癒される事と考えます。ティールで「大地の声」コンサートを開催させて戴けますことは、私にとって何よりお力になれる事と考え感謝します。市長さんに再会でき、市長さんの生命から悲しみを感じ私の生命も悲しみに満ちました。

市長さんの為に何とかお役に立ちたい気持ちで必死でした。「大地の声」コンサートにて、その気持ちばかりが強くなり、私は今、今、瞬間瞬間ピアノの即興演奏をしてくださるいだきしん先生の音とひとつに生まれる詩を詠むことが中々できずにいました。市長さんの悲しみと同じ状態になろうとしていたからです。ここには答えは無くお役に立てることも無いことを身に沁み経験しました。次元を超えたところで生きていなければ人のお役には立てないということを生命をもって分かりました。どのような悲しいことがあった人に会っても、そのような地に来た時も、自分が次元を超えて生きていなければ悲しみを癒すことなど出来ることもないことを身に沁みました。いだきしん先生の演奏は時空を超える永遠を生きる音です。先生の演奏こそが悲しみにある人達を癒し、生きていく力が生まれてくるのです。同じ悲しみに沈んでいては益々悲しみが深まり、悲しみから抜け出せなくなるのです。人を助けるには次元を超えて生きる事と身をもって分かるティールの「大地の声」のコンサートの経験でした。人の前で詩を詠む時は次元を超えた人間で詠むことがお役に立てるということを肝に銘じました。市長さんはいつも娘と歓迎してくださいます。悲しいことが繰り返される地で、ずっと生きる人生を思います。どれだけの悲しみや、やり切れなさ、不合理さに苦しんできたことでしょう。このようなことが繰り返されない社会となりますことを心の底から願います。その為にいだきしん先生の、時空を超えた人間とは何かの答えを表現するコンサートをたくさん開催したいと願います。人間の内面からこの悲しみ、苦しみ、様々な先に行けない状態が解放されれば自ずと取り巻く環境は変わっていきます。内面が愛でなければ平和な世界は作れないのです。良い世の中を作っていくことは、人間が変わることが一番の解決といつも身に沁みて分かるのです。続く…。