世界伝説 第93弾

等身大にいた東明王様が抜け、体が大きく変わり、前の様には動けない状態となり日常生活の全てを一つ一つ新しく覚える様に取り組んでいた時に、アラブ首長国連邦のドバイに行く日がやってきたのです。体はふらふらでしたが、予定通り行くよりなく、いつもの通り具合が悪くても身支度をし出掛けました。ドバイは人工都市と感じました。暑くて、機械的な街並みが私には苦しかったです。私は、自然が豊かであったり、ぬくもりある町が心安らぎます。人工的に作られた建物の中にいる事は苦しくなってしまいます。アポイントメントでお会いした方も、レバノンや中東でお会いする様な方々ではなく、やはり私には機械的に動く人の様に感じ、心から打ち解けて話す事が出来ませんでした。コンサートを開催出来るかどうかの話合いで行ったのですが、恐らく出来ないであろうと感じる話合いでした。何度もお会いしていけば出来るという事を、間に入ってくれたイラン人が話してくれていましたが、その様なやり方で動いても、実現まで辿り着けるかどうかは分からないと感じます。実現出来る時は、それこそ玉が転がる様に転がっていくのです。ここでは出来ないと感じ、私にとっては成果のない旅であったと心の中で整理していたのです。

ショッピングモールに行った時に、一枚の刺繍のタペストリーに魅せられました。それは、ベッドカバーだったのですが、茶色の生地に黄色やオレンジの刺繍が施されているのです。茶色も黄色もオレンジも苦手な色で、洋服であれば着る事のない色でありました。また、身につける事もない色でありました。2007年に高句麗第二の都があった中国、吉林省集安に行く時に、いだきしん先生から茶色のダウンジャケットを勧められ、着て行ったのが初めての事でした。好太王陵にて真の自分に出会えた事は忘れられない、人生変わる出来事でした。苦手なものにはチャンスがあるとは常にいだきしん先生からも教えて頂いてきましたが、真にその通りなのです。私は、苦手な事や嫌な事の中にチャンスがいつもあったのです。いだき講座で生まれつきの運命を調べていますので、人間は母の胎内に発生した瞬間の光を隠したり歪めたりする生き方が受け継がれていくと見えているのです。真の自分とまるで反対な性格を受け継いだり、真の自分を決して活かせない環境で生きる様になっていく事には驚くばかりでした。自由に動いていく資質がある方は、一つの場所に固定される様な仕事に就き、環境の中で生きていく様になるのです。何と酷い仕組みを作られ、人間は生きざるを得なくなったかと悲しいばかりです。私も苦手な事と感じる事は、真の自分を隠している事に気付いていけるので、真の自分を知るチャンスとなっていったのです。黄色や茶色が嫌いになったのは何故かと、高句麗の地集安に行く時にいだきしん先生に茶色のダウンジャケットを勧められた時から考え始めました。いつから嫌いになったかはよく覚えているのです。中学の修学旅行へ行く時に、一生懸命着て行く服を探した事がとても心に残っているのです。洋服を探す事はたくさんあるのに、何故この時の事ばかり心に残っているのかと今までも不思議な気持ちでした。京都、奈良への修学旅行でした。悩み、探し、最後は黄色と茶色の格子柄のニットスーツを買い、着て行ったのです。これが黄色と茶色を着た最後でした。それ以来は着る事はなかったのです。京都、奈良の修学旅行の時に、何か黄色と茶色が嫌いになっていく出来事があったのだろうと考える様になりました。生きていく中で、又、謎が解ける様にきっと分かる時が来ると考え、茶色や黄色の服を着る様になったのです。ドバイで惹かれてならない刺繍の色が黄色と茶色と次に苦手なオレンジであった事が、自分には不思議でならない経験でありました。好きではない色ですが、ここまで心惹かれてならない状態となったら買うよりなかったのです。

私にとっては成果がないと感じたドバイ滞在でした。ドバイを発つ日に空港に行く前にシャワーを浴び、身支度をし、荷造りをしている時、何が起こったか分からない程、突然何か大きなものに襲われた状態となりました。身支度も荷造りもとても大変だったのです。時間に間に合うかと焦ってしまい、焦れば焦る程苦しくなって体が動かなくなっていくのでした。途轍もない何かと闘っている感覚で疲れ果ててしまいました。台風の中を向かい風とぶつかりながら歩いている様なとても困難の中で先に行こうとしている様な感覚で荷造りを済ませ、時間ギリギリにロビーに降りたのでした。その時は具合が悪くなり、座っていられなくなり、ロビーのソファに横になってしまったのです。私はいきなり高血圧になってから毎日血圧を測る様になっていました。血圧計を持ち歩いていましたので、ホテルのロビーのソファに横になりながら血圧を何度も何度も測ったのですが、高いまま下がる事がなかったのです。足はガクガクと震え、とても起き上がれない状態でした。いよいよ出発の時間が来ました。いだきしん先生がどうするのかと尋ねました。帰るのか、ここで寝ているのかとおっしゃいました。私は、帰るよりないのです。ここで寝ていても良くなる事はない事は重々分かっていますので、ふらふらでありながらも立ち上がったのでした。そして車に乗り、空港に到着しました。具合が悪いと飛行機に乗せてもらえないと聞いていましたので、一生懸命、大丈夫、大丈夫と言い聞かせ、しっかりしようと必死でした。「Are you sick?」と尋ねられ、「No」と答え、パスポートコントロールもセキュリティチェックも無事に通過し、ラウンジに入りました。いだきしん先生は、私が何を受けたかという事を解明して下さいました。飛行機に乗っても座っていられる状態ではなく、ずっと横になっていましたが、真っ黒い闇の中にいる様で悪魔に掴まれた様な感じでした。いだきしん先生はそのエネルギーを全て引き受け、変えていく為にずっと闘って下さっています。私は体の変化で私に襲い掛かってきた魔物がだんだん力弱く消えていく事を感じていました。日本に到着する少し前に急に体が楽になり、闇が光と変わり抜け出しました。世界の闇を被っていたとよく分かりました。こんな闇が世界を動かしているのかと考えるとやり切れないばかりです。人間の生命が犠牲になるばかりで、豊かに輝き生きる事は出来ない世の中であるという事が生命をもって分かりました。「地獄からの脱出」という言葉が生まれ、高麗恵子ウェブサロンに書き込んだ事を今でも覚えています。ドバイから帰国後も中々体調は安定せず、血圧が高くなる事を繰り返していました。等身大の東明王様が抜けて、抜けてはいても共に在って下さるといだきしん先生が教えて下さいましたので、その状態も自分の体で分かり始めました。等身大であった東明王様が抜けたという状態は、体にはとても大きな衝撃と変化をもたらしました。自分の力で生きていく事の練習の日々となりました。アルメニアでの「高句麗伝説」が迫っていますので、毎日必死で自分の力で生きる事を学び、練習しました。続く…。