世界伝説 第81弾

オフリドでの素晴らしい「高句麗伝説」が終わり、次はビトラへと向かいました。道中の風景の美しい事に心安らぎました。

ビトラでは、市長さんにお会いしました。市長さんにお会いした時、事前に調べておきました、ビトラ市との姉妹都市であるサンクトペテルブルグの方をご紹介頂きたいとお願い致しました。ブルガリアでの「高句麗伝説」の時に「東明王様が生き変わり、蘇える」という事を認識出来、自分の中心軸が変わった時、次はロシアと見えたのです。高句麗滅亡後、王族は日本とロシアに亡命したと聞いています。幼い頃から、ロシア映画を見たり、音楽を聴くと胸が動き、涙あふれ、号泣までしてしまう反応がありました。恋い慕う感情が生まれてくるのです。ロシアとは縁があるという事を感じていました。いだきしん先生にお会いした時「貴方は、どの国に興味があるのか」と尋ねられました。私は「ロシア」と答えました。当時はソビエト連邦でしたけれども、私はいつも「ロシア」と呼んでいました。いだきしん先生は「問題解決型なんだね」と一言おっしゃいました。そのお言葉をそのまま受け止めました。高句麗の歴史が運命となっていた事が解明され、解放されていくプロセスの中で、高句麗滅亡後王族は日本とロシアに亡命したという事を正確に知ったのです。幼い頃から、胸の内がいつも引き裂かれた悲しみで一杯でした。卵の殻を割って、殻の片割れに会いたいと、卵の殻に例えてよく表現していたのです。片割れはロシアにいるのだと感じていましたので、同胞が亡命した地がロシアであると知った時は、生命の内で深く合点がいったのです。胸の内に引き裂かれた悲しみがあると、人に出会い、仲良くなっても、必ず別れが来るという事が恐いと感じていました。子供の時でしたので、大した現象はなかったのですが、仲良くなった友達とは必ず離れる様になっていくという巡りが続いていました。これが人間のもって生まれた運命で生きる人生という事を、自分では苦しんできたのです。何故こういう巡りに遭うのかという事を常に苦しみ、悩んできました。いだきしん先生に出会い、運命を解明、解放され全ての謎が解けました。運命が解放されたら、今までの人生で巡ってきた巡りはなくなりました。そして、自分で自分の人生を生きていくという事が分かる人生と変わりました。本音で生き始め、沢山の働きかけを受け、本音が実現していくのです。生まれもっての運命のままに生きる人生とは、天地の差があります。人間として生まれたなら、何方様もが運命解放され、私が経験した様に真の自分を取り戻し、本音で生きていければこの世に生まれてきた意味が分かり、存在を実現出来、幸せな人生を生きられると考えています。そして、内的環境が外的環境を作りますので、内面が過去から受け継いだ運命であれば、過去を繰り返します。内面が過去から解放され、真の自分であれば、真の自分を実現する環境が作られていきます。「一人一人が真の自分を実現出来る社会は、平和な世界」とはNPO高麗の活動主旨とし、毎回講演会でお伝えしてきた事であります。東明王様が生き変わり、蘇ったので源が現れば、離れ離れになった同胞と再会出来ると、私は希望を見出したのです。そして、ビトラの市長さんに姉妹都市であるサンクトペテルブルグと私をつなげてほしいとお願いしたのです。市長さんはご承諾下さいました。

 

ブルガリアで、次はロシアと見えたらロシアへの道が作られる出会いが起こります。いつも本音で生きていると、本音が実現する出会いが起こり、巡りが巡ってきます。本音で生きる人生は真にありがたく、幸せな人生です。ビトラには、雄と雌の鹿が2頭並ぶモザイクが描かれた遺跡もあります。とても縁がある地と自分では感じています。

ビトラでも先に、いだきしん先生のピアノコンサートを開催しました。日本からのツアーの方と現地の方と一緒にいだきしん先生のピアノコンサートを経験出来ます事は、大変嬉しく、喜びあふれる経験です。言葉は通じなくとも、心が通い合える経験が出来るのです。オフリドでも経験出来ましたが、ビトラでも経験出来、そして「高句麗伝説」へと向かえます事は真にありがたい事と心から感謝します。

ビトラでも体調を整え、精神状態も整え、備えました。本番の舞台は、アーケードの真ん中という位置でありました。

この様な場所で開催した事は初めてですので、緊張もしましたが、全ては遥か彼方に通じる内面を感じ、大いなる存在に表現する気持ちで舞台に立たせて頂きました。いだきしん先生の音が鳴ると、物凄い突風が吹き荒れました。私の衣装は風になびいて大変な事になっていました。ヘアセットも風が強すぎて、飾りがとれるのではないかと心配し、頭を押さえる様な始末でした。その場に参加した日本からの方々も驚いていたのですが、アーケードの真中に位置しますので、風は吹いていなかったと、皆驚いていたのです。その風は、魂の風と感じました。東からの大軍と西からの大軍が集い合流し、合体する光景が見えたのです。魂は雄叫びを上げて一致団結し、世界の平和を実現しようと勢いよく動き始めたのです。

 

アレキサンダーのトラキアの騎馬隊や高句麗軍団も集っている光景が見えました。体は熱く、力が漲り、ここから世界平和実現に向かっていくと、強い意志が大宇宙に立つ光の柱の様に立ったのです。今までの時代は終わったと感じる瞬間でした。そして、新しい時代の幕開けと感じました。物凄いエネルギーが駆け抜けていきました。この世の何処にこれ程のエネルギーがあるのかと感じる程、未だかつて経験した事がない、強くて、勢いよく、炎の様な情熱があり、愛に満ち、強く揺るがない精神が立ち…全てがひとつになって宇宙をも動く様なエネルギーを感じたのです。魂総動員とはこの様な事かと私は感じていました。過去の作られた価値や作り物の美は崩壊すると、そして今までの時代は終わったと幕が下りる光景まで見えたのです。そして新しい時代は幕開けました。

ホテルに帰り休む時、そのホテルのベッドは棺桶の様に見えたのです。一瞬恐く感じ、嫌な感じがありました。けれど、過去は終わったと感じたコンサートを経験しましたので、過去の自分は葬って新しく生まれ変わろうという気持ちになり、棺桶の様な形のすごく高い所にあるベッドに横になったのです。翌日、日本へ帰国する為に荷造りをしていました。その時、ニュースで私の大好きなデザイナー、ジャンフランコ・フェレが亡くなった事を知りました。私は、周りから病気と言われる程、ジャンフランコ・フェレが好きでした。ジャンフランコ・フェレのデザイン以外の服は着たくない程、周りから気違いと言われる程、フェレが好きでした。それが故に、もしフェレがいなくなってしまったら、私は何を着たらいいのかと、先の心配までしていたのでした。私は人の運命が見えたり、目に見えない世界が見えますので亡くなる様な予感があったのです。本気になって、いだきしん先生の事をお伝えする事も考えていました。どの様にお伝えするかと考えている最中でありましたので、お伝え出来なかった事がとても残念に感じています。が、恐らく、死後分かったのですが、ジャンフランコ・フェレは私の事を知っていたのではないかと感じています。それは、亡くなった後に、日本にフェレの直営店が出来たのです。そこに配属されたお店の人は、私がよく行っていたお店に働いていた方でした。いつの時か私が来る事を待っていたとその方は、喜び迎えてくれました。そして、遺言の様にし、日本のお客様の為に直営店を作りたいとフェレが言っていたという事を伝えて下さり、その方も「きっと高麗様の事を感じて作られたのだと思います」とおっしゃっていたのです。不思議な気持ちになりました。いだきしん先生はいつも、もしそのブランドがなくなったら自分で作れば良いとおっしゃっていました。まさか自分で作れるとは考えた事もありませんし、出来る訳がないと思っていました。過去は終わったという「高句麗伝説」コンサートを開催した後に、大好きなジャンフランコ・フェレが亡くなり、本当に今までの人生は終わったと自分でも感じたのです。これからは、自分で新しい世界を創って、新しい人生を生きていく始まりとなりました。「高句麗伝説」海外コンサートツアー、1ヶ月近くの長い旅は終わりました。続く…。