世界伝説 第72弾

アディスアベバに到着しました。何度この空港に降り、この地のエネルギーを感じたことでしょう。大地はいつも喜び迎えてくれます。飛行機が着陸した瞬間、大地から沢山の魂が雄叫びを上げて大歓迎してくれている事をいつも感じます。初めてエチオピアに降り立った時から、同じ光景が見え、雄叫びが聞こえていました。いつも歓迎されるので、生命優しいエネルギーに包まれます。アディスアベバの空港は、すっかり変わっていました。前は野原に降り立ったという様な空港で、飛行機を降りてからターミナルに行くまでも草原を歩いて行きました。今はアフリカの中心の空港となり、ハブ空港と言われ、エチオピアからアフリカ各地に沢山の飛行機が飛ぶ空港になりました。この度は、エチオピアにてカフェを作る為に物件を決めたくてやって参りました。着いてすぐに、カフェの候補地を見に行きました。

私は狭い飛行機の中で、全く休む事も出来ずに疲労困憊でしたので、体がしんどくて、立っているのも精一杯という状態で最初は中々力が入らずにいました。その建物の中では男の人がコンクリートの上で寝ていたりするのです。エチオピアに来るとよく見る光景ですが、私はその様な光景を見ると、心が辛くなってしまうのです。こういう所でカフェを作ってもどうなのかと、最初の物件は迷いが生まれました。そして次は、これから建つ大きなビルの1階の物件でした。エチオピアコンサートの時に大変お世話になった、当時の駐日エチオピア大使の奥様のご家族は財閥でしたので、その一族が建てるというビルでした。ここが良いと感じ、申し込みをすると決めました。とても希望を感じました。そして、予てより一緒に焙煎工場を作ったり、カフェを作ろうと話し合っていた、ヤルガッチャフェ村に連れて行ってくれた会社の社長さんの家にお邪魔致しました。社長さんの家は、以前も行かせて戴きましたが、この時訪ねた家は、エチオピアでは見た事もない町並みが作られていました。西洋的な瀟洒な家が沢山作られていたのです。その一角の、一つの家が社長さんの家でした。とても大きな家です。奥様が手料理を振る舞って下さいました。私は普段は、ごく限られた知っているお店でより食事をしないようにしていました。どこのお店で食事をしても、すぐにお腹を酷く壊してしまうからです。宿泊しているお城の様なシェラトンホテルでさえも、レストランで食事をするとすぐにお腹を壊してしまいます。お腹を壊さない所はなかったのですが、それでも食べるものを選んで頂くと、まだ酷く壊さない事は覚えてきたのです。社長さんのお家ではすっかりくつろいで、楽しく頂きました。そして、社長さんと合弁会社の契約を交わし、握手し、撮影までして頂いたのです。エチオピアでの事業の始まりと、とても嬉しく、希望を感じ、ホテルに戻りました。

帰国便は、深夜に出発でした。社長さんの家から戻り、ホテルで身支度や帰り支度をしている時に、カフェの候補として決めた物件は貸せない、という連絡が入りました。私はとてもがっかりしました。何の為にエチオピアまで来たのかと、呆然としました。決める為に来たのに、話がなくなり帰る事になるとは、信じられない気持ちでした。が、なるようにしかならないという事もよく分かっています。大いなる働きかけを受け、導かれ動いていると、いつも感じています。真に必要な時は必ず成っていくのですが、まだ的に嵌っていかない時は、話は壊れたり、様々な問題や障害が出てくるのです。そして、行き着く所で的に嵌ると、一挙に道が拓かれるという事を過去にも沢山経験しています。この度も、自分が思い描いた事が叶わないからといって、がっかりすることはないと心に言い聞かせ、現実を受け止めました。が、空港に向かった時は、何の為に来たのかと、何度も考えてしまいました。飛行機に乗り込み、ドバイの空港に到着した頃からとても気持ちが悪くなり、具合が悪くなってきました。食中毒とわかりました。社長さんのお宅で頂いた食事があたったのだと気づきました。日本までの機内では大変具合が悪くなり、トイレ通いとなりました。いつもは重々気をつけて動いていましたが、今回はうっかり気が抜けてしまっていました。この旅をもって暫く今に至るまでエチオピアに行く事はなくなりました。いつ行ってもいい状態であり、エチオピアの人はいつも来てほしいとおっしゃっていますが、エチオピア現地に行ってやる事が中々進まなくなったのです。合弁会社の契約を交わしたコーヒー会社の社長さんは、その後エチオピア政府の方針が変わり、コーヒー会社上位10社の社長は刑務所に入れられる羽目になってしまったのです。暫く社長さんは刑務所に入ってしまったので、合弁会社は進まなくなりました。そして、その社長さんの会社は暫くなくなってしまったのです。何年か経ち、社長さんは日本にいらっしゃいました。そして、私のカフェに来て下さいました。とてもお元気で、いつもの明るい社長さんでした。エチオピアは変わったとおっしゃいます。そして、お連れになったエチオピア人は、初めてお会いする方でしたが、いだきしん先生のコンサートを知らないエチオピア人はいない、とおっしゃっていました。エチオピア人であれば、皆知っていると。そして、あのコンサートからエチオピアは変わった事も皆知っているとお話し下さいました。私はとても嬉しくなりました。社長さんは、エチオピアは変わったけれど、これからは頭が働かなければならない時が来た、とおっしゃいました。そのお話を受け、いだき講座のお話をさせて戴きました。社長さんは、いだき講座がエチオピアには必要とおっしゃいました。私は、是非いだき講座をエチオピアで開催しましょう、とお話しさせて戴きました。ピアノが必要である事、受講料のお話もさせて戴きました。いつもエチオピアは支援しているので、お金を頂く事はなく、こちらから寄付をする事よりありませんが、いだき講座は自律の講座であります。エチオピアのリーダーが、いだき講座を受講されたら、エチオピアの未来は拓かれると見え、社長さんにお話をさせて戴くと、社長さんは、もちろんお金を払って受けるとおっしゃいました。社長さんは、アムハラ語より話しませんので、息子さんが通訳をして下さいます。お会いしている時は、話は進みますが、エチオピアに帰ってしまうと通訳の息子さんが間に入ります。話は急にしぼんでしまうのです。中々進まないエチオピアでの動きです。が、日本にコーヒーを送って頂き、私達はコーヒーを日本に広め、販売する事でエチオピアの支援となっているという事をいつもエチオピアの方がおっしゃって下さいますので、日本にいながらエチオピア支援活動が出来ます事は、真に有難い事と感謝してさせて戴いています。続く…。