世界伝説 第50弾

いよいよ待ちに待ったレバノンへ出発の時が来ました。出発前、右腕が痛くなり、何故かと考えました。自分には、腕輪をはめ、甲冑を纏う兵士が見えました。何故こうなのかという事は分かりませんが、いずれにしても、この様な状態にある事を自分で自覚し、いだきしん先生がその負担を引き受け、解放して頂き、レバノンへ旅立った事をよく覚えています。

ベイルートに着けば、私はいつも心躍り、スキップしながら歩くのです。只々嬉しく、心が躍るのです。コンサート本番前でありますから、重々体調に気を付け、心身備える事に尽くしました。まず、レバノン大学芸術学部教授のガジ教授と、俳優のネメさんにお会いし、衣装の打合せ、また本番の演出の打合せを致しました。20世紀最高の巨匠といわれるガジ教授が私の衣装をデザインして下さいました。ありがたく、とても美しい衣装に感激しました。演出の打合せは、大変緊張するものでした。一秒も狂ってはならないという事をお話から感じ、私はその時からホテルでストップウォッチを持ち、詩を詠む速度を常に測りながら体で覚えようとしたのです。レバノンの人は飽きっぽく、気が早いので、つまらないと皆帰ってしまうと聞きました。「人が帰らない様に飽きない演出をする事が大切」とガジ教授からお聞きしました。いだきしん先生の演奏は、普通の音楽とは違いますので、その様な演出は必要ではないのではないかと感じながら、郷に入っては郷に従え、という事を心に、この度は演出通りに行う事となりました。リハーサルの時も、何度もストップウォッチで詩を詠む時間を測り、体で覚えようと必死でした。自分はその事ばかりに気がとらわれてしまいました。本番当日、ティールの美容院へ行き、髪をセットして頂きました。早送りビデオの様に物凄い速さでブローして下さり、セットして下さるのです。驚くばかりでした。あまりに早いので、私は緊張も解けて、笑うよりない状態でした。そして、衣装を作って下さった方は、前の日も打合せをしましたが、当日も来て下さっていました。が、私は一部と二部の間の10分間で着替えをし、ヘアスタイルを変え、メイク直しをするという事をガジ教授に言われましたので、何とか時間内に終わらせようと段取りを考えました。まず、言葉が通じない方々とやりとりは出来ませんので、衣装替えの時は、日本から来てくれたスタッフがやってくれるので、来て頂かなくてもいい、という事をお伝えさせて戴きました。ヘアスタイルの変更とメイク直しは、レバノン人にやって頂く事にしました。メイクは、俳優のネメさんの奥様がメイクアップアーティストでありますのでお任せ致しました。全て時間、時間で計り、一秒も遅れられないという事が、とても緊張する事でありました。一部と二部の間、私が衣装替えをしている時、いだきしん先生の演奏が、人々が飽きない様にとガジ教授はおっしゃるのでした。いだきしん先生の演奏を飽きる事など考えられない事でしたが、いだきしん先生は笑って頷いておられました。全て、時間の勝負と感じる本番でした。

私の登場の時は、レバノンの美しく、かわいい少女が一緒に登場する演出となっていました。私の衣装と同じ色、生地のもので作ったドレスを着、天使の様な少女達と一緒に舞台に立つ事が出来ます事は大変嬉しい事でした。そして、何と会場は海辺の会場から当初の予定していましたティールのヒッポドローム遺跡と代わっていたのです。私は、ここでさせて戴きたかったのです。とても嬉しく、感謝で一杯でした。

生まれて初めて海外で舞台に立ち、表現するという経験となり、緊張の極みであり、全神経を集中し、全身全霊で舞台に立ち、詩を詠みました。無我夢中で前半は何も覚えていません。そして、前半が無事にすみ、衣装替えの勝負の時が来ました。少女達と一緒に舞台から下り、急いで楽屋に入りました。衣装替えの時は、来なくても大丈夫とお断りしていた縫製するレバノン人が二人、私が楽屋に入ると同時に飛び込んできました。断る間もなく、彼女達は一気に私の衣装を脱がして下さり、新しい衣装を着せて下さいました。あまりの早業に、私は何も言葉を発する間もなく、只々驚くばかりに衣装を着せて頂いたのです。言葉が通じない事など何の問題もありませんでした。私は、言葉が通じないから時間がかかると思っていた事の愚かさを思い知りました。言葉が通じなくても気が合うという事は、時間がかからないのです。ヘアもメイクも素早く終わり、5分という時間はかかりませんでした。あまりに早く終わり、私は舞台の袖で、いだきしん先生の演奏を聴かせて戴きました。素晴らしいギターの演奏でした。演奏が終わり、再び舞台に上がる瞬間、時間を超え、予想外に早く終わる事が出来た事がうれしく、達成感を感じ、気持ち良く舞台に立たせて戴きました。後半の途中から、とても辛くなってきました。体が重く、苦しく、しんどくなってしまったのです。不思議な感覚でした。自分の葬儀をする様な妙な感覚に襲われました。私は死ぬのかもしれないと、ふと不安が掠めました。この舞台の上で死んでしまうのかと、言いようのない不安に襲われました。全ては神に任せ、詩を詠ませて戴きました。既にストップウォッチを見る余裕はなくなっていました。ラストの所で、先生の音とひとつに詩を詠んでいました。ふと目に入ったストップウォッチは、ここで終わるという時間を示していました。が、生命の時間は、ここではなかったのです。一瞬の事だと思いますが、頭の中で迷いました。が、私は、生命の時間で詩を詠んだのです。そして、詩を詠み終わった瞬間と、いだきしん先生が太鼓を叩き終った瞬間が同時だったのです。瞬間、大拍手が起こり「ブラボー」という歓声が湧き上がり、聴衆は総立ちになっていたのです。私は、フェニキアの魂が怒涛の如く押し寄せ、感極まり、舞台上で号泣していました。聴衆も号泣していました。何が起こったのか頭で理解する事は出来ません。感動の極みを経験しました。皆で号泣したのです。コンサートは大成功と終わりました。ストップウォッチを無視し、生命の時間で詩を詠めた事が、神様の働きかけと感じ、とても感謝しました。終わった後、沢山のインタビューを受けました。ある記者はおっしゃっていました。「レバノン人は、人前では泣かない習慣がある。それは、化粧が落ちるから。」とおっしゃるのです。「そのレバノン人が、何故あんなに泣いたのか」と私に尋ねました。そして「何が起こったのか」と尋ねました。

私は、フェニキアの魂が怒涛の如く押し寄せて来た事、そして新しい神に出会った事を話していました。この世の時間で生きていたら、新しい神には出会えなかったとわかりました。自分の葬儀をするようなしんどさを感じたのは、この世の時間に縛られ生きる限界を感じたのだとわかりました。「最後の神=新しい神が顕わる事なくして、世界は良くなる事はない」と日本を発つ前の「存在論」にて、いだきしん先生からお聞きした言葉が、ここで蘇ったのです。新しい神は顕れたのだと、夢を見ている様な心地となり、感動と喜びの極みでした。翌日の新聞のトップ記事に私は掲載されたのです。「争いが絶えない地に真の平和を創る」とのアラビア語の見出しが書かれていました。こんな事が起こるなんて…自分でも信じられない夢を見ている気持ちでありました。いだきしん先生からは「貴方は凄い事をやったね」とおっしゃって頂きました。想像も出来なかった事がレバノンで起こったのです。続く…。