2005年2月14日、レバノンのラフィク・ハリリ元首相が暗殺されたニュースに全身震えが走りました。何という事が起こったのかと、恐ろしさに震えました。レバノンに行くきっかけになったのは、突然レバノン大使館を訪ねた時「ご用件は」と尋ねられ「ハリリ首相にお会いしたい」と咄嗟に口走ってしまった事からです。口走ってしまった後、本気でハリリ首相にお会いしようと考え続けました。お会いする方に「ハリリ首相にお会いしたい」とお話をする様になりました。お会い出来ない御方ではないと感じる事が、不思議な事でした。お会いする方は、ハリリ首相と何かしらつながりがある方ばかりだったのです。いつかお会い出来ると本気になって考えていました。ハリリ首相のご出身地であるサイダを通る度に、いつお会い出来るかと、必ずその日が来る事を感じていたのです。まさかお亡くなりになるとは、あまりに悲しい事です。ベイルートの海岸線の街並みは、とても美しく、おしゃれな景観が続いています。ハリリ元首相が立て直したという事を、いつもお聞きしていました。
暗殺のされ方は、車に爆弾が仕掛けられていたというのです。ハリリ元首相の車は、銃弾や爆弾を防ぐ強固な車であったと聞いていました。それでも爆破されたという事は、余程の技術がなければ出来ないと現地の方々は皆おっしゃっていました。恐ろしい事が起こるものです。目の前が真っ暗となり、ショックは長く続きました。丁度私は、間もなくレバノンへ行く予定でした。ふと、暗殺現場が、私がいつも宿泊しているホテルに近い様に感じてはいたものの、そのホテルが閉鎖されているとは、考えつかなかったのです。出発前夜、爆破によってホテルが破壊され、今は閉鎖されているという連絡がレバノンから入りました。急いで他のホテルを予約してほしいと頼み、私はレバノンへと向かい、旅立ちました。ベイルートに着き、黒いリボンのついたハリリ元首相の写真が街中に貼られていました。喪に服している事は、その空気からそのまま感じられました。街は悲しみに沈んでいます。いつものホテルではない、他のホテルに到着しました。レバノンでは、いつも宿泊しているホテルが自宅の様であり、仕事場でもありましたので、他のホテルで過ごす事は、少し不安を感じていました。いつものホテルとはまるで違うホテルでした。ガジ教授がお迎え下さいました。私は、この時の旅では、ガジ教授に「高句麗伝説」といだきしん先生のコンサートの違いをご理解頂く事が目的の一つでした。お話している時に、同じ様に捉えていらっしゃるかと感じる事があった為です。ところが、ラウンジの椅子に座った途端、ガジ教授は雑誌を開きました。何と私の顔写真が大きく掲載されていました。そして「高句麗伝説」のフォトブックに掲載している写真が幾つか掲載されていたのです。アラビア語は読めませんが、「『高句麗伝説』の事を書いた」とガジ教授からお聞きしました。大変恥ずかしい気持ちでしたが、ガジ教授は「高句麗伝説」の事を雑誌に掲載する程ご存知であったのだという事に驚いたのです。そして、自分を恥じたのです。日本では、どんなに説明しても中々通じない事が多かったので、その反応が自分の中にあるのだと気づきました。他所の国では、同じに反応する訳ではない事も気づきました。ガジ教授は、「高句麗伝説」のDVDやフォトブックを何度も見て下さったそうです。そして、雑誌に「高句麗伝説」について書いて下さったのです。そして「レバノンでは『高句麗伝説』コンサートをしたい」とおっしゃって下さいました。最も芸術性が高いと評価下さったのです。音楽と詩の共演は、大変素晴らしいものだと、絶賛して下さいました。私は「高句麗伝説」をする気はありませんでしたので、とても驚き、気持ちは引いていました。やはり「高句麗伝説」ではなく、いだきしん先生のコンサートが良い、と心の底で感じていました。いだきしん先生も「なるほど」と頷き、大変喜んで下さったのです。「なるほど」というのは、ガジ教授が芸術性の高さの中身をお話され、詩と音楽の共演というのは、他にはない事でありながら、完全に芸術的である、という事に対して「なるほど」とおっしゃったのです。私は、そこまで意味が分からずにいましたが、いだきしん先生は未来のある何かを見ている様な瞳でおっしゃいました。いだきしん先生がとてもやる気になられておられたので、私も自然にやる様な気持ちになったのです。「海外で『高句麗伝説』を開催するなんて…。私に出来るのだろうか、大丈夫だろうか…。」と不安ばかりが湧いてきます。が、既に「高句麗伝説」開催と決まっている様に流れが作られていました。この流れに乗るよりない事だけは、生命で分かっていました。畏れも、不安も、緊張も、全ては大いなる流れに任せるよりないと心を決めました。ガジ教授が掲載して下さった記事は、丸都山城で私が詩を書いている写真が掲載されていました。アラビア語の雑誌に丸都山城での写真が掲載される事に、とても不思議な気持ちが生まれ、人生の不思議さも感じました。初めて宿泊するホテルは、海辺のホテルでした。いつも宿泊していたホテルは、街のど真ん中のホテルでした。常に車のクラクションの音とブレーキを踏むキーキーという音が、夜中でも鳴り響く所でした。初めて海辺のホテルに泊まり、いつもとは違う動きが始まる様な気配に、今後どの様になっていくのかと、未知なる世界へ向かう様な気持ちになりました。