世界伝説 第38弾

2003年11月には、当初はイランに行く予定でした。イラン各地を撮影の旅をする事は続いています。そしてペルセポリスでのコンサート開催に向けての動きもずっと続いています。イランに行く予定を立てて日程も決まっていました。大使館にも連絡をし、大使館の方もよく分かっておられました。私もそのつもりでいたのですが、タンザニアでのコンサート後に、コンサート前と同じ気持ちにはなれず、コンサート前に予定していた事がやる気が起きてこない事にとても戸惑っていました。当時、私は「二つ本音」という表現をよくしていました。タンザニアコンサート後日本に帰国した時、「農業をやりたい」という本音が生まれ、青森県に行き、青森の縄文遺跡にてコンサート開催の道が見えたのでした。今まで通り世界平和実現の為に活動したい本音はもちろん根幹にある本音です。その為にイランへ行くという気持ちでいたのですが、農業をやりたい気持ちから青森へ行きたいという気持ちとイランへ行きたいという気持ちと、どっちも本音だったので困ったのです。11月はイランに行く予定を立てていましたので、青森に行く時間は一日もありません。両方行ければ良かったのですが、どちらかを選ばなければならないスケジュールだったのです。本来であれば当初決めていたイランに行くべきでしたが、何故か青森県の方も行きたくなり、私は珍しく迷ってしまったのでした。ふと、いだきしん先生にそのままお話ししてみました。いだきしん先生は「青森でいい」と一言おっしゃったのです。私は青森に行かせて戴こうと決め、イラン行きは変更という事でご連絡をさせて戴きました。イラン大使館の文化担当の方は大変がっかりしました。行く予定だったのに変更するなんてとても残念です、という事を繰り返しおっしゃいました。私は変更して申し訳なかったと感じ、再びイラン行きをそのまま実行する事もできたのですが、やはり感覚的には青森と見えたのでした。結局、この後イランでは行く予定であった地で大地震が起こったのです。生命は予感し迷っていたのだという事が、地震が起こった時に繋がってきたのです。11月は青森へ行く事にしました。撮影の旅です。東京で撮影のルートを考え、宿泊するホテルを探し予約しました。ところが、現地に行ったら全てのホテルをキャンセルする事になったのです。予定は変わるのです。その日撮影している中で、宿泊する場所が決まっていくのでした。そうであれば、予め予約しなくても良かったと何度思った事でしょう。金銭的な事で考えますと前日のキャンセル料が発生するホテルもあったのでした。それでも、そのホテルに泊まる気にはなれず、変更したホテルへと行ったのでした。いだきしん先生も同じお気持ちでいらっしゃいました。不思議な旅でした。青森県の自然の奥深さ、豊かさに触れ、生命の芯まで癒されました。人間になる訓練と感じる経験でした。この時、私には大変気にかかる問題がありました。ふと気づけば、その事が頭も心も占め、暗くなってしまうのでした。ちょうど十二湖に行った時です。青池という池を、いだきしん先生が撮影していました。私の心は気になる事が占めて暗かったのです。青池に映る私の心は暗かったので、申し訳ないと感じました。心は天を映す鏡とのメッセージが聞こえ、心身糺しました。瞬間心が透明になっていったのです。美しいものに出会えば人間になると、この時も経験しました。1998年6月に白頭山に行った時、頂上にある天池にて、美は過去の苦しみも悲しみも全て洗い流し、美しい心を取り戻すと経験した事が蘇りました。心は常に天を映す鏡の様に透明で澄み、美しくなければいけないという事をこの時教えられました。気になる問題は変わらずにありましたが、常に天を映す鏡である様にと心を澄まして瞬間瞬間過ごしました。りんご畑が続く道、岩木山の美しいやさしい姿、白神山地の宇宙に通ずる光の道が見える聖なる空間、全ては美しい心を取り戻す瞬間瞬間でした。奥入瀬渓流を歩く事もとても豊かな時でした。水の音によって心身洗い浄められ、心が澄んでいきます。

奥入瀬渓流は先祖高句麗の地の風景とよく似ています。裏側といわれる所に行くとそっくりと叫ぶ事があります。胸が動き、涙が込み上げてきます。何気ない風景が私には故郷高句麗の風景と重なり、涙ばかりが溢れて参ります。

この時、三内丸山遺跡にも行きました。縄文の遺跡がある地に立った時、内面が宇宙に通じました。縄文人は内面が宇宙に通じていたのだと分かりました。この感覚は高句麗古墳に入った時と同じでした。背も立たない狭い古墳の中で、内面は宇宙に通じていました。古墳の中は狭くても内面は宇宙に通じていたので、高句麗人は神を描かずに神を表わす素晴らしい壁画を描いたのだという事がよく分かりました。内面が宇宙に通じていれば、神を表わす表現ができるのだと分かりました。三内丸山遺跡でも内面が宇宙に通じました。この感覚は、いだきしん先生のコンサートで毎回経験させて戴いています。いだきしん先生は本来の人間の生きる状態を取り戻す為にコンサートをして下さっているのだと、ふと分かりました。が、本来の人間に戻る訳ではなく、進化していく経験であるとも分かりました。人間は内面が宇宙に通ずる状態を失ってしまっている事も悲しいと感じます。あるものを取り戻していかなければならないのです。元々あったままに今もあれば、人間の生きる世界はまるで違う世界となっていたと考えます。あまりに人間の生命が悲しみ生きていけない社会を作った事は、やり切れない気持ちばかりが込み上げてきます。一人一人が本来の人間の働きを取り戻し、そして更に新たな真の人間となっていけば誰の生命も犠牲にならず、皆が生きていける世界を作っていけると考えます。内面が宇宙に通ずる縄文の地にて、いだきしん先生のコンサートを開催できれば世界に貢献できるとはっきりと見えました。続く…。