2003年日本の聖地、熊野本宮大社 大斎原でのコンサートが奇跡を見るコンサートとなり、私達は8月タンザニアへと旅立ちました。コンサートを開催する資金を皆様のご寄付により集って参りましたが、コンサート開催1週間前になっても5000万円という大きなお金が不足していました。この現実を受け止めると、真っ青になってしまうのですが、この時はその様な間もない状態で、ただ向かうよりなかったのです。何か不安を感じたり、心配する間がある時は必死ではないのだという事がよく分かりました。この時は、只々何とかする為に毎日動いていました。私は、本音を表現し、本音を表現すると「夢のお告げ」と言っている状態があります。夢に見るのです。その事を実行する事をひたすら繰り返しました。その時、夢に見たのは「本音で生きて下さい」講演会や「高麗恵子と語る会」という会を開催するという事でした。講演会も、語る会もご参加料が3000円とか5000円という金額でありましたので、5000万円には程遠いという事を一瞬は考えました。が、他に為す術がなく、ただ本音とお告げに賭けてみるよりない状況でしたので、私は夢に見た場所を借りて「本音で生きて下さい」講演会と「高麗恵子と語る会」を開催致しました。それは、都心の歴史あるホテルでありました。建物も明治時代位のとても趣のある歴史的な建物でありました。そこで皆様と集い、語る会をする時、皆様語り始めると涙となり、号泣となる場面を目にしました。お一人お一人は、胸にこれ程の気持ちを押し込めて生きてこられたのだという事に大変驚きました。そして、一人一人の語るお気持ちをお聴きしていますと、いだきに出会う様に生きてきた方々なのだという事もよく分かりました。並々ならぬお気持ちを胸に秘め、ここに集ってこられたのです。このエネルギーは目に見えない世界で見たら、どれだけのエネルギーである事かと、私はとても言葉に表し尽くせない大変なエネルギーを感じました。場が動き、空間も動く程のエネルギーでした。ここでの表現が伝播したと感じます。語る会をする度に、また私の講演会をする度に寄付金がどんどん集まってきたのです。大変驚きました。夢を見ているのか、狐につままれた様な気持ちとなりました。やっている事は講演会や語る会であるのに、どんどんお金が集まってくるという動きは、本当に目に見えない沢山の働きかけを感じたのです。人間の表現は、空間を変え、場を変えるエネルギーがある事、また伝播する事をこの時よく分かりました。出発前には何と不足していた5000万円集まっていたのです。大変驚きました。私は、夢を見ている様で、また胸が拓かれ、心は晴れ、本当にありがたい気持ちでタンザニアへと旅立つ事が出来たのです。タンザニアのコンサートは、南部アフリカの首相会議(SADC)の一環として行われました。いだきしん先生は、一回一回のコンサートに生命賭け、全身全霊賭けてゆかれます。この時、24時間テレビ「愛は地球を救う」の番組に出演依頼され、熊本城二の丸広場で31時間、いだきしん先生が演奏した時のピアノをタンザニアまで運びました。ベーゼンドルファーインペリアルという97鍵あるピアノであります。その他沢山の楽器を運びました。この運賃はかなりの費用がかかりました。タンザニアコンサートのタイトルは「平和の灯火」です。いだきしん先生は趣意書を書いて下さいました。「人は生まれてすぐ泣く。産声は、全身全霊覚醒の瞬間であり、世界に発する最初の言葉である。」という冒頭の言葉に、自分の生命全部が涙した事をよく覚えています。赤子の産声を表す為に特別なギターを提供され、タンザニアに持っていく事になったのです。「伝説のギター」といわれていました。この「伝説のギター」を運ぶのが私の役割でした。機内持ち込み荷物の寸法を超えてしまっていますので、大変困難な事になると想定していました。事前に航空会社に連絡したり、やれる事は全てやり切り、万全を尽くしました。それでも、今までも海外に行った時に、どんなに日本にいる時に航空会社や色々な関係各所に連絡をしても、現場に行った時には、それらは無効である事をいつも感じていましたので、祈る様な気持ちで臨んだのでした。赤子を抱くようにし、自分の体の一部とし、生命ひとつに運んだのです。

世界伝説 第35弾
日本の航空機には既に連絡をしていましたので、問題なく載せる事が出来ました。タンザニアに向かう時に、とても小さな機材でしたので、私はギターを抱え、何としても必ず無事に運び込む気合で機内に乗り込みました。すぐに「それは何か」と止められました。私はただ、にこっと笑ったのです。「Are you a singer?」と尋ねられ「Yes」と言って、にこにこ笑って言った時にスムーズに通してくれて、特別な所に置いて下さったのです。これで私の任務は無事に終わったとほっとしました。このギターで、いだきしん先生は、赤子の産声を表現されたのです。体の中に神の道が通る経験でした。コンサートの第一音目でした。忘れる事が出来ない音は、今もずっと生命の中に生き続けています。タンザニアに着き、色々困難や問題はありましたが、この時も、ただやれる様にやれる様にと皆で一丸となって取り組み、無事コンサートの当日を迎えたのです。私はコンサート前に、いだきしん先生がお話し下さった事がずっと心にあります。奴隷貿易が行われた悲しい歴史がある地です。いだきしん先生は「奴隷を雇う人間は、自分が奴隷化される」とおっしゃったのです。その意味が分からずに、ずっと考え続けている事であります。ある場面で時々、この様な事かと分かる時があります。今でも、この事はずっと考え続けている事であります。が、人間の社会はこの様な仕組みになっているという事は、あらゆる場面で気づくのです。本来は同じ人間同士、奴隷にするなどあってはならない事なのです。やった方も奴隷化されるという仕組みの中で、やってはいけない事だという事が表れています。ザンジバル島に行った時に、奴隷貿易が行われた跡地を案内されました。今でも、鎖につながれている人の像が残っていますが、人間を魚の様に積み重ねて収容していたと説明を受けました。そして、一人一人鞭打ち、耐えられる人はアメリカに奴隷とし送られ、耐えられない人は真下に海へ続く穴が開いており、そこへ投げ込んでしまうのです。人間を人間とも思わずに、物の様に扱う残忍さには、身の毛がよだち、目を覆いたくなってしまいます。人間は何故この様な残忍な事が出来るのだろうかと、耐え難き苦しみ、悲しみに胸が潰れそうになります。私はいつも講演会でお話していますが、いだきしん先生のコンサートで、全ての人の生命は繋がっている事を自分の生命で分かるのです。そして、愛を経験します。他者を傷つける事は、自分の生命が傷つく事なのです。その事を一人一人が皆分かったら、他者を傷つける事など出来る訳がありません。人間は、人間になる事より平和な世界は創れないと身に沁みます。全ての人の生命とひとつに繋がり、愛に生きる人間である事を自分の生命で取り戻し、経験していかねば、平和な世界は創られる事はないのです。私は、いだきしん先生のコンサートを開催する事が、一番の平和への早道と考えています。どの様に方法を講じても、仕組みを変えても、人間が全ての人の生命と繋がっている生命である事を自分の生命で取り戻していかねば、真の平和は創られる事はないのです。コンサートが平和を創るという事は、中々理解されない事です。が、いだきしん先生の働き、表現なさる事を正しくお伝え出来れば、平和を創るコンサートである事をご理解頂けると考えます。タンザニア政府は「奴隷貿易を行った方と行われた方がぶつかり、未だに犯罪が起きているという事で、人間の内面から過去を解放されない限り、犯罪は繰り返され、平和は創れない」とおっしゃいました。「それ故に、いだきしん先生のコンサートがタンザニアには必要です」という依頼でありましたので、私はお引き受けしたのです。理解下さる方と、いだきしん先生のコンサートを世界中で開催する事で、平和な世界を創っていきたいと私は心から願っています。続く…。