イランでは、コンサートの空き日に政府の方がペルセポリスへご案内して下さる事になりました。ホテルから渋滞する道を通り空港に行きました。空港ロビーにて私達に同行して下さるスタッフの方が航空券の手配をして下さっている時から、何か嫌な予感がしていました。ロビーは閑散としていて、これから飛行機に乗るという動きがまるでなかったからです。予感は的中し、飛行機は既に飛び立っていました。その方が時間を間違えていたのです。大変驚きました。この様なミスがあるとは想像もしていませんでしたし、仕事をやっていればこの様なミスなどあってはならない事ですので、あり得ない事と感じたからです。それでもその方が申し訳なさそうな表情とがっかりしています姿を見ますと、何も言えずに仕方がないと諦めたのでした。そして、テヘラン市内の観光に切り替わりました。宝石店に連れて行って頂いたり、幾つかの店を見ました。そして博物館へと連れて行って頂きました。そこにはペルセポリスの遺跡が展示されていました。大変神々しい、素晴らしい遺跡に魅せられました。私は博物館が大好きですので、飽きる事がなく、ずっと居ても良い位楽しむのです。それは遺跡から吹く風、見える図形、薫る香りを解明することがとても楽しい時間なのです。歴史の真実に出会っていくのです。そしてその後、説明を受けたり書かれてある事を教えて頂いたりするのです。まず自分の生命が遺跡を見て何を感じるか、どの様なメッセージが聞こえてくるのかという事がとても楽しいのです。そして真実の歴史に出会う時、内面が開き、次元が変わっていくのです。真実は生きる力とは、常に感じ、経験してきた事であります。ペルセポリスの遺跡の所で、いだきしん先生は、別次元を見る瞳と変わっていました。いだきしん先生は未来を見ている瞳と感じる時、何か私達には分からないある何かの答えを見出されたり、正に未来を見ていらっしゃるのだと自分は感じます。いだきしん先生は、一言「ペルセポリスでコンサートを開催したい」とおっしゃったのです。忘れられない場面です。私はこの場面が脳裏に残り、心に刻まれていましたので、音楽が禁止されているイランで、それもペルセポリスという聖地にて、いだきしん先生のコンサートを開催する事に取り掛かり、困難よりない道のりでしたが諦めずにやり続ける事ができたのです。今でもこの瞬間の事がずっと心に刻まれています。ここが始まりでした。ここから再びイランに行く事が決まったのです。忘れられないテヘランの博物館のペルセポリスの遺跡の前での出来事です。

世界伝説 第26弾
この出会いが起こってから、同じテヘランの街を歩いても、街の風景を見ても、既に次元が変わって見える様になりました。二度と来れない街を見る様な見方はなくなり、どの様な街なのか、本当は人々はどの様に暮らしているのか色々な事を分かりたい気持ちで街並みや人々を眺める様になりました。テヘランの街を歩いていると、木の並木道がよく見えます。私には音楽が聞こえてくるのです。耳で聞こえる音楽ではない事はよく分かっています。きっと昔、音楽が盛んで人々は音楽を楽しんでいたのではないかと感じる遠い昔の音楽なのです。とても美しい音です。そしてそこには人々の豊かな暮らしがあります。心豊かな暮らし、文化を感じるのです。
テヘランの街を歩く事は、音楽が聞こえてくるのでとても楽しく心が豊かになりました。実際は渋滞が多く、排気ガスも多い空気が濁って苦しい街でありました。現実と、遠いいつの頃かの豊かな暮らし、文化を感じる街と私には両方感じたのです。そして内面は深く感じていける街なのです。とても神秘的で真理を探求していける空気に満ちている街と感じました。私は、本来はテヘランからレバノン、ベイルートに向かう予定でした。この時に文化大臣とのアポイントメントを駐日レバノン大使が取って下さる予定でした。日本に滞在中はまだアポイントメントが取れていませんでした。テヘランから何度かお電話をさせて戴きましたが、中々文化大臣と連絡が取れないというお返事でした。私はテヘランに滞在中アポイントメントが取れずにレバノンまで行く事は憚られました。行っても尚連絡がつかなければ、無駄になってしまうと考えました。そういう空気が流れていたのです。成っていく時と成っていかない時は、私には空間に空気の色が見え、感じるのです。この時は成っていかない空気の色をしていました。いだきしん先生に相談し、レバノンに行くことは中止にして日本に帰る事に決めました。レバノン大使もその方が良いとおっしゃっておられました。飛行機のチケットを交換と購入しにイラン航空まで行きました。テヘランの街を歩いて、やっとイラン航空の事務所を見つけ、チケットの交換、購入をしてきたのですが、何故かその時の事が心に残っているのです。何気ない場面でしたが、航空会社の女性達がヘジャブを被りながらも楽し気だったのです。下の方に何かを焼く道具があって、ナンの様な物を焼いているのです。それもとても美味しそうに見えましたし、何て女性達が楽しそうに働いているのかと微笑ましかったのです。国が違えば、働き方も違うのだという事を見て、とても楽しく感じました。いつもイランの事を思い出す時、この場面を思い出すのです。とても女性達が仲が良い様に自分には感じるのです。初めて触れる空気です。イランで私達のお世話をして下さったスタッフは女性でした。彼女は言いました。「私達の外はイスラム教、中はゾロアスター」この言葉も忘れる事ができません。イラン革命後、イスラム教の国家になりましたが、人々の内面はゾロアスターであるという事を彼女の表現から分かりました。悲しみとも何とも表現し難いものを感じました。続く…。