世界伝説 第25弾

テヘランに着いて最初のアポイントメントは、イランの文化部の委員長でした。事務所に伺い、ご挨拶をさせて戴きました。イラン建国記念音楽フェスティバル(文明間の対話)の詳細をお話し頂き、再びホテルに戻りました。関係者との打合せもしながら、色々な事がスムーズにいかない感じは心に気にかかりながら、招待されてこちらからどの様に動いていいかも分からずに従うよりなく、次のアポイントメントまでの待機時間がとても長くなりました。私はこの度、いだきしん先生がコンサートに向けて書かれた趣意書「熱誠」の意味が分かりたく、井筒俊彦先生の「イスラーム」という本を日本から持ってきました。待機する時間、ホテルの部屋の中で本を一心に読み進めました。イランでは内面深くを感じる事が出来、とても物事に集中出来ます。本を読む事も周りの音が一切入らず、本に書かれている世界に没頭してゆけます。とても豊かなひと時でした。本を読み進める内に、いだきしん先生の書かれた「熱誠」という意味が分かる事が出来ました事が大変うれしい事でした。コンサートが只々楽しみでした。コンサートの日がやってきました。会場に着いて驚きました。とても汚れていたのです。そして、埃っぽくて空気も悪く、気持ちの悪い所でした。ピアノは壊れている様なピアノで長い間ほったらかしにされていた事が一目で分かるピアノでした。このピアノでコンサートをするのかと不安になり、ピアノを替えて欲しいと頼みました。が、替えるピアノはないとの事で、これよりないという返事に落胆しました。汚れた、壊れたピアノにイランの社会的背景を見ました。イラン革命後、イスラム教の国家となり、法律で音楽は禁止されていると聞いていました。国が主催する音楽フェスティバルだけが特別なのだという事がよく分かりました。音楽が禁止されていますので、イランでピアノを探す事は困難でした。ホールもあまり使われていない事がよく分かる程汚れていました。私は、せめて舞台だけでもきれいにしようとモップを探し、掃除道具らしきものを借り、舞台を拭きはじめました。私が拭いた位では、きれいになる様な状態ではありませんでした。ピアノも一生懸命拭きましたが、簡単にきれいになる様なものではありませんでした。いだきしん先生に申し訳ない気持ちになりました。「コンサートホールを変えてほしい」とも頼みました。が、今日はここでより出来ないとのお返事でした。ただ、しばらく経って、もう一度コンサートが出来る様に手配をする、というお返事がありました事が、せめてもの慰めとなりました。2回目のコンサート会場は、アラスパラル文化センターと聞きました。アラスパラル文化センターも最初の会場と大差はないと私には見えました。が、少しだけ汚れが少なく、ピアノも少しだけきれいに見えました。音楽が禁止されているという事は、この様な状態になる事を目の当たりにしました。イランでのコンサートでは、私は一人の聴衆とし聴く事になりました。初めての経験です。いつも主催者ですので、聴衆の一人として何の役目もなく演奏を聴けるという事がどういう事なのかという事を想像も出来ませんでした。とてもありがたい気持ちで、一席に座らせて戴きました。お客様の様子も気に掛ける事もなく、何かあったら注意をしたり、席を立つ事もなく、一人の聴衆として座っていればいいという事が、こんなにも自由で肩の荷が下りるものかという事を、座った瞬間に実感しました。生命は感謝にあふれています。いだきしん先生の演奏がはじまると、壊れたピアノであっても、その音は生命に深く沁み込み、感動してなりませんでした。音は、要に要にと向かい、自分の生命からも「要に向かえ」とのメッセージが聞こえました。要に向かった時、私は、母を感じました。涙ばかりがあふれます。母の胎内にいる時の事をはっきりと思い出したのです。こんな事が人間起こるものかと、信じられない気持ちでした。が、母の胎内にいる時という事を確かに生命では分かるのです。私は、母の胎内にいる時、神に出会った事がまざまざと蘇りました。

「檀君」という神様が生命の内にあった事は、いだきしん先生に出会った後に知る事が出来ました。それは、いだきしん先生からその事を教えて頂き「神であっても生命の内にある事は、自律出来ない」という内容のお話をして下さったのです。そして「解放の表現をする」とおっしゃって下さいました。私はその時、幼い頃からずっと共にあった存在と分かり、この存在があって生きてきた事を自分でよく分かっていました。いつも倒れそうな時、生きていけない苦しみや悲しみにある時、私を支えてくれる存在がある事を感じ、生きてきました。この存在を解放される事は悲しくて、寂しくて耐えられないと感じたのです。いだきしん先生がピアノを弾いて下さると、私の内から出ていく事を体で感じました。3日間泣き明かしました。ずっと共にあった存在がいなくなる寂しさに、廃人の様になってしまったのです。が、いだきしん先生は、ずっとおっしゃっていました。「人間は自分の力で生きていける」と。「自分の力でやれる様になったら、前よりも、もっと出来ていく」という事をお話下さいましたので、私は一つ一つ幼子に戻った様に練習しはじめたのです。後から考えますと、先生がおっしゃる通りでした。何にも助けられない状態で、自分の力で生きはじめた時、今までよりも、もっと力がついていたのです。そして、共にあった存在も私の生命の内にある時よりも自由で、より力を発揮出来るのだという事が分かり、自分の内にあった存在は、内にはいなくなっても、共にある事が生命で分かりました。人間も神も自由になる時、本当の力が発揮出来るのだという事がその後の人生で経験出来たのです。母の胎内にいる時に出会った神は檀君と分かりました。涙よりありません。とめどもなく涙があふれてきます。母がよく言っていた事を思い出しました。母は「恵子がお腹の中にいる時が一番幸せだった」と時折よく話していました。何が、とは言わないのですが「とても幸せだった」といつも言っていました。母は神に出会ったから幸せだったのだという事が、この時初めて分かったのです。涙よりない経験です。そして、いだきしん先生の演奏は、更に内面深く、神の聖域にふれていきました。とても緊張しました。ここは誰も犯す事も壊す事も出来ないと、そして自分自身は壊してはならないと必死で、いだきしん先生の音を集中して聴かせて戴きました。日本では、この様な時に必ず物音が聞こえます。邪魔されたと感じる瞬間です。ですから、ここは咳も出来ず、物音は立てられないと身動きもせずに集中し、真剣勝負で聴かせて戴きました。聴衆のイラン人は皆心ひとつとなり、私と同じに集中して聴いておられました。見事に通り抜ける事が出来、私は神の世界に身を投じる事が出来たのです。最高の至福感に包まれました。涙は流れ続け、おさまる事はありませんでした。感動の極みを経験した素晴らしいコンサートでした。コンサートが終わり、ホテルへ帰る車の中から見たテヘランの街は、来る時に見た街とまるで違う様に見えました。街も建物も人々も同じであるのに、まるで違う様に見える事に驚きました。そして、今までの人生は何だったのかと思う程に「今が真」と生命をもって分かるのです。

今までも、いだきしん先生に出会ってからは、生まれながらの運命が解放され、真の自分で生きはじめましたので、真の人生を生きてきたと受け止めています。が「今が真」という言葉になってくるのです。いだきしん先生にこの事をお話させて戴きました。今までの人生が偽りではないのに「今が真」という事をとても分かりたい気持ちでした。いだきしん先生は「変容」と教えて下さいました。「質は変わらないけれど変化、成長していく」という表現はこの経験の事と深く合点がいきました。いだきしん先生に出会ってからの人生は、変化、変容の連続です。イランでの忘れられないコンサートを経験出来、ここに導かれた事は、大いなる働きかけと深く感謝しました。続く…。